Merci | ナノ

瞼の裏には緑色の彼のまるで魔法のようにきれいなシュートが焼きついて離れなかった。
目を閉じても閉じていなくても忘れることなんてできない彼のバスケット、彼の不器用な優しさ、丸くした瞳。
日本に来て初めて話した日本人。日本に来て初めて日本語を教えてくれた男の子。
緑間真太郎。結局名前しか知ることができずに緑間が幾つなのかわからないままだが、またどこかで会えそうな予感がして、テレビのCMで流れていた音楽を口ずさみながら靴を履いてマンションを出た。
パリを経って早2週間。日本語はある程度話せるようにも聞き取れるようにもなった。
日本ではじまる新しい生活にもようやく慣れ、近々行われる高校の入学式が今は一番の楽しみでもあった。
異国にいても入試を受けることができて既に合格済み。
届いた案内書を片手に、まだマンションの扉を抜けたばかりの母親に早く行こうと大きく手を振って急かした。

高校からマンションまでは割と距離がある。
初めて乗る電車にドキドキしたり下車駅を間違えそうになる母親にハラハラしたり、少し疲労感を感じた頃にようやく入学する高校へと辿り着いた。
校門にはたくさんの生徒と保護者たちで溢れ返っている。
辺りをきょろきょろと模索してみたが緑色の彼は見つけられず、その代わりに桃色と青色の2色を目にとらえた。
日本には随分とカラフルな髪をした人がいるものだとつい見惚れていると、溢れる人の中でも頭が飛び抜けている青色の男の子に鋭い眼光で睨まれてしまった。


「…Je suis affreux.(…こわ……)」
「名前(ローマ字)?(名前?)」
「Ce n'est rien.(あ、なんでもないよ)」


不審そうに伺ってくる母親に誤魔化してもう一度同じ場所に視線を飛ばす。
青色の男の子は後ろを向いていて、今度は背伸びをして何かを探しているような桃色の女の子とパッチリ視線が交わった。
奇抜だと思った桃色の髪は女の子にひどく似合い、ぱちぱちと瞬きを繰り返した桃色の女の子は隣にいる青色の男の子に声をかけられた様子で視線を移した。
なんというか、すごく可愛い子だった。
まるで花のようにふんわりした雰囲気をしていて、名字は自分が異性だったら間違いなく一目惚れしていただろうと思い、最後にまた後ろを振り返ってから母親に駆け寄った。



***



高校入学を控えた桃井は、制服の寸法を測ることをめんどくさがる幼馴染みの青峰を半ば強制連行させながら校内を歩いていた。
辺りには今春からこの高校の新入生となる生徒とその保護者たちがいる。
自分たちの親も同行してはいるがいつものお喋りに夢中で頭をペコペコさせながら雑談し、隣にいる幼馴染みは眠気に襲われている最中なのか、一目を気にする様子もなく豪快な欠伸をひとつ溢して耳をかいていた。


「新しい学校生活楽しみだねー」
「ふあ〜ねみ〜」
「ちょっと、聞いてる?」
「あー聞いてる聞いてるー」


まだ耳をほじくっている青峰の気怠そうな返答に頬を膨らませるが、背の離れた青峰にぽつり「可愛くねぇ」と呟かれ膨らませていた頬の空気を唇から抜いた。
制服の寸法を測るために配られた小さな手のひらサイズの紙に視線を落とす。
番号はまだ呼ばれそうにない。
つまらない。小さく落ちた声は周りにかき消され、ふと青峰がどこか遠い一点を見つめていることに気づいた。


「大ちゃん?」


青峰の名前を呼んでみる。彼は何も答えない。
もう一度名前を呼ぶと、外国人がいる。と、それだけの言葉を紡いだ。


「外国人?」
「向こうにいる金髪の―――」


背伸びをして青峰が指さす方向を見て、太陽に照らされたきれいなブロンドが視界の端で跳ねた。
靡く髪を目で追って、微かに開いていた唇から声が落ちると同時に胸の奥が跳ねる。
風に揺れて見えた整った鼻筋とビー玉のように透き通っている青い瞳と交わる瞳。
きれい。そう自然と滑り落ちた声はやっぱり周りに溶けて、ブロンドの女の子に一瞬にして惹き込まれそうになった。
中学の頃に見た金髪の男の子みたいに、でも、少し茶色の混じったブロンドの髪がふわりと揺れる。


「―――…い、おい。お前呼ばれてんぞ」


不意に耳に届いた声に視線を戻すと青峰が母親を指さして、奥にいる母親は雑談が終わったのか小さく手招きしていた。



***



制服の寸法も測り終え、寮への手続きも済んだ名字は母親と並びながら校門を抜けた。
家ら学校までかなり遠いとは言えないが近いとも言えない。
電車通学の手段を考える一歩手前で寮があることを改めて説明され、似非一人暮らしの興味もあったこともあり高校入学と共に寮暮らしが決定。
折角新しい家に棲み始めて部屋も用意したのに!と少し口を尖らせていた母親も希望に満ちた娘のお願いには弱く、たまには家に帰ってくることを条件に出して折れた。
嬉しくてスキップしそうになるがそういえばスキップなんかできないんだったと足を弾ませ、母親に笑われつられて自分も笑った。


「Est-ce que c'est plaisir?(楽しみ?)」
「C'est plaisir! La belle fille a ete trouvee il y a quelque temps.(楽しみ!さっきね、可愛い子がいたのよ)」


桃色の髪をした可憐な女の子で、ちょっとしか見えなかったけどすごく可愛かった。すごく、すっごく可愛かったの。
緑色の彼とおんなじまるい瞳をしていた女の子を思い出して小さな笑みがこぼれる。
学校が始まったらまた会いたいな。そう呟いた言葉は春を迎える風に乗せられて大きな宇宙の空へ舞い上がり、母親の優しい手のひらを頭の上からじんわと感じた。

―――Faites votre mieux.(頑張りなさい)

青色と橙色が混じり始めた宇宙を仰ぐとそんな声が耳に降ってきた。


「…Oui.(うん、)」


日本で頑張る。ちゃんと頑張るよ。
何ひとりで頷いてるのと母親に訪われたがなんでもないと横に首を振り、また小さく頷いた。


(2013.01.29)

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