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出逢いはまるで少女漫画の世界で起こる出来事のようだった。
中学1年と言えばまだ小学校を卒業したての子供で入学式の長い挨拶や話なんて誰ひとり聞いていない。むしろ頭をこくりこくりと揺らして船を漕いでいる。
入学式が終わって体育館を出れば、長い呪縛から解放されたかのように背を伸ばす人やまだ小学生気分が抜けずに走り回る人もいた。
その男の子が前方不注意で真横から激突してきたときは入学早々不幸だと思って男の子に文句を言おうとしたが、相手は謝ることすらせずはしゃぎながらどこかへ走って行ってしまった。
衝撃で倒れた膝には擦り傷が出来ていた。痛い。それからなんだか悲しい。
周りに生徒がいなかったことが唯一の救いだった。入学式の日に転んで怪我をした姿なんて誰にも見られたくない。
膝の痛みにキュッとスカートを握る。痛くて泣きたいけど、こんなことくらいで泣くのは自身のプライドが許さなかった。


「大丈夫?」
「…え?」


ただ唇を噛みしめてゆっくり立ち上がろうと足に力を込めたとき、誰もいないと思っていた場所から声が鳴った。
左右を見ても誰もいない。
少し怖くなって両手を握りしめる。こっちこっち。また声がした。
後ろを振り返ると、教室の窓を開けて手を振っている黒髪の男の子と目が合った。


「さっき転んだろ。膝、ちょっと見せて」


男の子に転んだところを見られていたんだと思って羞恥に染まる。
教室にいた黒髪の男の子は窓を乗り越えて近寄ってきた。
咄嗟に怪我をした膝をスカートで隠すが無駄な抵抗だと悟られ、擦りむいて血が滲む膝に眉を潜めた。
男の子は制服のポケットから絆創膏を取り出して器用に傷口に貼ってくれる。
ちょっぴりごつごつしている男の子の指をじっと見つめている間に簡単な処置は終わっていた。


「とりあえずこれで大丈夫っしょ」
「…あ、ありがとうございます……」
「ん。どういたしまして」


そう爽やかに答えてくれた黒髪の男の子がふたつ上の先輩だと知ったのは入学した次の日で、先輩の名前を知ったのはそのまた次の日で、その先輩が好きだと気づいたのは名前を知った2日後のことだった。
それから、先輩には既に「恋人」と呼ばれる女の人がいることに気づいたのは男子バスケ部のマネージャーとして入部した日だった。



***




卒業間近になってから部活がとても楽しかったと改めて思わされた。
冬に3年男子バスケ部員と共にマネージャーを引退。
それからは朝から夜まで勉強漬けで息抜きをする余裕もないくらい勉学に励む毎日。
その日の夜も自室にこもって勉強。参考書から視線を逸らして一息ついたとき、不意に机のはしっこにある写真立てが目に入った。
手に取ると被っていた埃が指に付着する。もう、長い間触っていない。


「…懐かしいなぁ」


弾ける笑顔でチームメイトと肩を組んでいる2年前のバスケ部員。
真ん中には先輩がいて、その隣に並ぶマネージャーの女の人の肩には先輩のごつごつした優しい手が添えられている。
先輩もマネージャーもすごく幸せな顔で笑っているのに、部員たちの端にいる自分の顔は先輩たちと反対側に視線を飛ばしていた。
せめてぎこちなくてもいいから笑えばよかった。今さらすぎる気持ちに小さくため息をつく。
写真立てを戻して参考書のページをめくった数秒後、携帯が震えた。

¨高尾先輩¨

携帯に表示される発信者の名前に息を呑む。
今まで電話なんて部活の用事以外ではかかってきたことがなかった。
先輩が引退してからは部活の用事もなくてたまにメールがくるくらい。
卒業したあとは今日まで一度もこなかった。
震える手で携帯を握る。
通話ボタンを押せば繋がってしまう。どうしよう。
緊張感が襲ってくるが、それと同じくらい先輩の声を聞きたいという気持ちが溢れ出てきて、気づけばまだ震えている指で通話ボタンを押していた。


「……、もしもし…」
『お、出てくれた。久しぶりだな』


電話越しから先輩の声が聞こえた。
最後に声を聞いたのは先輩が卒業してからもう1年になる。


『夜遅くに悪ィ。勉強中だったか?』
「あ、いえ。…大丈夫、です」
『それならよかった。』
「…先輩、どうしたんですか?」


用がない後輩に電話なんてしないでしょう。そう言えば小さな笑い声と申し訳なさそうな声の謝罪だった。
先輩が謝ることなんてないのに。ちょっと意地悪な科白を言ってみただけ。
声には出さず心の中で呟く。


『あー…。あのさ、明日って土曜日じゃん?』
「はい、」
『ウチの高校、明日の部活は珍しく休みなんだわ』
「はぁ、」
『まぁ、だから久しぶりに会わねぇ?』
「はい、………え?」


電話越しから先輩の吹き出した笑い声が聞こえてくる。何がおかしいんですか。そう言えば今のお前の顔がすぐに浮かんできたからと言われてしまった。
ハードな練習ばかりで貴重な休日は全て恋人と過ごしていると聞いたあの日から、先輩と会えるのは部活内でしかなかった。
だから、明日の部活が休みなら彼女さんと過ごすんじゃないんですかと言った。
先輩の声が途切れる。時計の針が動く音しか聞こえない。


『…オレ、いま傷心期間だからさ』


先輩の吐き出した吐息と一緒になって聞こえてきた言葉の衝撃で、煩いくらい脈を打っていた心臓が止まりそうになった。


(2013.01.23)


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