oyasumi | ナノ

手を繋いで指を絡めて首まわりに巻いたマフラーで隠れた唇から白い息を吐き出した隣を歩く恋人たちを見て、同じように唇から吐き出した白い息は恋人たちとは違って重たいため息が含まれていた。
恋人たちが歩いている側とは反対側を歩く男の子もおんなじようにハァ、と灰色の雲が散らばる空に息を吹きかけるように出していて、彼の蜂蜜色をしたきれいな髪がそよ風によってふわりと揺れる。
寒い。そう呟かれた声にため息は幸せが逃げるよとありふれた言葉で返せば、彼は顔をしかめてまたため息を吐き出した。


「…朝からため息ばっかしないでくれる?」
「お前も朝からそんな不機嫌そうな顔すんな。轢くぞ」
「ため息ばっかりされたら誰でも不機嫌になるわよ」


相変わらず物騒なことを平気で放つ彼、宮地の歩くスピードよりも少しばかり歩幅を広げて一歩踏み出した。
ため息しか吐き出さない男の隣を歩くだけで不幸が降りかかりそう。吐き捨てるように声を投げて学校の校門をくぐる。
宮地も宮地で彼女の言葉が勘に障り、オレもお前となんか一緒にいたくねぇよ。とつい負けじと強気に科白を放った。
そのときに彼女の瞳が微かに揺れたことに気づく筈もなく、宮地は突っ込んでいたポケットから手を出して下駄箱から上履きを取りだし、俯き加減ですっかり勢いをなくした彼女を待つこともなくひとりで教室へと向かって行く。
小さくなっていく宮地の背中に声をかけることも反論することもできなくて、つい数分前に喉を通って出てきた言葉を今すぐ取り消したくなる。
いつもいつもこうだ。彼にひどいことばかり言って、それで傷ついて。
普通の恋人たちみたいに手を繋いだり指を絡めたり、そんな当たり前のことをすることもなく毎日会えば口喧嘩ばかり。


「わたしのバカ。どうして素直になれないのよ…」


今日も寒いね。今日もカッコいいね。今日も大好き。頭に描く言葉は淡く消えて唇から紡がれるのは可愛くもない言葉。
下駄箱から上履きを取り出して靴を履き替え、教室に向かう足取りが重くなったことはきっと気のせいだと自分自身に言い聞かせながら教室へと向かった。
教室の扉を開けた際に宮地が一瞬だけこちらを振り向いたが、すぐに視線を前に戻してクラスメイトと雑談を続ける。
珍しく部活の朝練がないから久しぶりに一緒に登校しようと誘ってもらったにも関わらず、可愛いげのない態度で彼を傷つけてしまったかも知れない。
それ以前に、もう嫌われてしまったかも知れない。悪い方にばかり思考が働く。
宮地の隣をべったりとキープしているかのような女の子を小さく睨みつけ、席について鞄を下ろした。



***



どういう訳か、今日は何故かいつもより宮地との口論が度々重なっている。
それに気づいたのはお昼休みに入ってからで、1年校舎にいる後輩の教室に赴けば今日の貴女の星座は最下位だからと可愛らしい狛犬のぬいぐるみをポンと渡された。
厳つい表情とは程遠い困惑したような表情の狛犬のぬいぐるみを抱え、教室に戻って鞄からお弁当を取り出して宮地の席へと歩み寄る。
声をかけて顔をあげた彼は眉間に皺を寄せて、なんだか怒っているように見えた。


「清くん、お弁当食べよう」


後輩に渡されたぬいぐるみをポケットの中で握りしめる。
鞄からペットボトルとお弁当を取り出して席を立ち上がった宮地にほっと胸を撫で下ろし、いつもふたりでお昼を過ごしている場所に向かうことにした。
この時季の屋上は寒すぎてお弁当どころではなく、偶然見かけた中庭から少し離れた大木の大きな樹木のやさしい香りに惹かれて今ではこの場で過ごすことが多くなった。
今日もいつものようにふたりでお弁当を摘まみながら楽しく会話を弾ませる。…―――筈だったのに、

―――お前、マジで可愛くねぇな。

宮地の口から二酸化炭素と混じって出てきた科白にお箸で摘まんでいたおかずが落ちる。
彼にこんなことを言われるような言葉を投げ掛けたのは紛れもない自分自身で、この時にすぐ謝ったり冗談で流したりすればよかったと後悔するのはいつも祭りのあとだった。


「清くんは彼女よりあの子の方が好きなんじゃないの?」
「あの子?」
「…今朝、仲良さそうに話してた子」
「あぁ。あんなのただのクラスメイトに決まってんだろ」
「嘘つき。あの子には可愛いって言ってわたしには可愛くないって言うじゃない」


本当はこんなこと言うつもりはない。
だけど、口喧嘩しかしない女と付き合ってるのはそっちじゃないの。なんて、彼の重荷になることしか出てこない口は塞がることもなく、買言葉に売り言葉なことばかりが次々と飛び出す。
いつの間にか彼は握っていたお箸をお弁当箱に戻し、もうお弁当をしまおうとしている。


「なんでお前はいつも喧嘩腰なんだよ。普通に話せねーの?」
「そっちが喧嘩腰だからこうなるの。分からない?」
「だからさ、そういう返し方がイチイチ勘に障るって言ってんだけど」


彼はお弁当をナプキンで包み、ペットボトルの蓋をゆるめて唇を寄せる。
お茶を喉に通してペットボトルの蓋をキツく閉め、めんどくさい女。とぽつりと呟いた。
不機嫌な顔で自身の髪をくじゃぐしゃと乱す宮地を直視できない。
胸に突き刺さった言葉がじんわりと浸透していく。
事の原因は自分自身だから自業自得だ。でも、それでもやっぱり大好きな彼に突き放されたような感覚に押しつぶれそうになる。


「…どうした?」


顔をあげることができなくて俯いている頭の上から声が降ってくる。
さっきまでのトーンとは違う、どこか不安そうな声。
どうしよう。そんなことしか考えられなくて、今度は名前を呼ばれたことが引き金となったのか目尻から我慢していた涙が落ちた。
ぽたり、ぽたり。お箸を握ったまま膝の上でスカートを握りしめる手のひらに弾かれる。
泣いてしまった。本当にめんどくさい女。
涙を拭うこともできなくてただただ俯いて唇を噛みしめると、伸びてきた宮地の両手で顔を挟まれて上を向かされた。


「えっ、…え!?な、なに泣いてんだ…?」
「…っう、」
「な、泣くな。とりあえず泣き止め。オレが悪かった…(でいいのか!?これで泣き止むのか!?)」


あたふたする宮地の瞳は呆れでも怒りでもなく当惑している。
彼を困らせたいワケじゃないのに意思に反する涙はなかなか止まってくれない。
恥ずかしい。掴まれたままの顔は俯くことも許されない気がして。
だけど、涙でぐちゃぐちゃになった顔を隠すように彼はぎゅっと抱きしめてくれる。
めんどくさい女なのに、そっと優しく大きな腕で包み込んでくれる。
宮地は肩を大きく上下させながら声を落とす彼女の弱さを初めて垣間見て、口では乱暴なことしか言えないけどやっぱり彼女は可愛くて大切な存在なのだと改めて感じた。


「…泣きやまねぇとキスすんぞ」


抱き寄せた彼女の耳朶に唇を添える。
普段の強気な態度はいったいどこに行ってしまったのか、今の彼女は小さな子供のように泣いて強く制服のはじっこを握りしめ、その言葉にちょっぴり身体を強ばらせた。
握っていた制服のはじっこを離して抱きついてきた彼女の頭をふわりと撫でる。
ごめんね。清くん、だいすき。そう小さな声で呟かれた宮地は不意打ちを食らい、より一層強く抱きしめて泣き止んだ彼女に口づけをすると、押し当てた唇の柔らかい感触と背中に回された腕がひどくあったかくて溶けてしまいそうになった。



ローズジャムのなみだ


相互・仲良し記念で紫水っちへ!
遅くなったけどわたしからの愛を込めたバレンタインということで…!(ドキドキ)
(2013.02.14)

- 3 -
[prev] [next] [TOP]