24.11.21 | ナノ

舌先で唇を舐められ、その合わさっていた間をこじ開けられた。
侵入してきた舌が舌と絡みつく。
ざらりと表面が擦れ合う刺激に思わず肌が粟立つと同時に、口腔を掻き回されればされるほど背徳感に苛まれる。
驚きに目を見開いたままでいると、触れたときとおんなじ繊細な素振りでそっと唇が離れていった。

さらりと名字の髪に高尾の指が通る。
そしてその指が顎のラインをたどって戻り、その動作で名字は高尾のほうへと顔を向けさせられたが、見据えるような瞳を映すことはできずに視線はフローリングに落とされた。


「―――男主名前、軽蔑したか?」


重苦しくなった空気に溶ける凛とした声。
聞き慣れているはずなのにどうしようもなく鼓動が速く脈を打って、時間が止まってしまったかのような感覚で心臓だけがやけに痛む。


「…先輩、なんで……」
「明晰なお前ならわざわざ訊かなくても判るだろ?」


聡い名字ならすぐに理解できる。そう高尾は思って言葉を声に鳴らし、掴んでいた名字の顔をパッと離すと今度はまだ飲みかけで置いたビールを掴んだ。
壁にかけられた時計の音がひどく部屋に響く。
静寂すぎる部屋。
平然とした顔をしている高尾だが実は心臓を高鳴らせ、顔を俯かせたままじっと手の内にある缶チューハイを握っている名字を伺っていた。

―――一目惚れだった。
彼が会社に入社してきた頃から好きだった。
まさか自分が男を好きになるとは思わず、会社の上司で同性である男が彼に好意を寄せているとバレたら軽蔑されると思い、ずっと偽りの自分を演じ続けてきた苦労もたった数秒で水の泡。

(やっちまった……)

隠し通すと決めたはずなのに、気づけば身体が勝手に動いて彼の唇を啄んでいた。
ほんのりと弾力があって、柔らかくて微かに震えていた唇。
甘さに突き動かされて舌まで捩じ込んでしまった。


「あー……。ビールうめぇ」


わざとらしく明るい声を出すと名字の肩がビクリと僅かに震えたのが見えた。
想いをちゃんと伝えていないのに、突然キスをされた今の名字は頭が真っ白なのだろう。
にぎりしめている缶チューハイが音を立てる。
そちらに目線を移せばチューハイに歪みができて、中身が少しばかり溢れていた。


「…オレは、」


不意に名字が掠れた声でぽつりと言葉を落とし、不自然に言葉を止める。
名字なりに必死に言葉を考えて選んでいる様子がすぐに判った。


「オレには、判りません」


名字のにぎっていた檸檬の缶チューハイがテーブルに戻される。
立ち上がった彼の足は玄関に向かい、高尾が声を出す間もなく玄関の開く音と閉まる音が鳴った。

身体が硬直したまま動かない。
掴んでいたはずのビールはするりと手を滑り落ち、ゴトンと低い音を立てて床にぶつかった。
缶に詰められていたビール液がゆっくりと広がっていく。
ここは自分の家じゃないんだから急いで拭かなければと頭では判っているのに、中身が溢れていく様子をふたつの眼球だけがじっと映しているだけ。


「…はは、判ってんのは俺の方じゃねーか…」


ずるずるとソファーに座り込む。
喉の奥が熱くなって何かが込み上げてきて唇を噛みしめた。
頬を伝う生温かい感触を必死に堪えようとするが、睫毛を濡らしていく感触を止められずスーツでも構わず袖口で拭う。

この歳で泣くなんて想像もつかなかった。
それから、自分の気持ちにも彼の気持ちにも気づかなければよかった。


「男主名前…っ、」


思わず口から出た名前に胸の痛みが増す。
落ちて転がったビールの液がじんわりとフローリングに侵食して、顎をつたった生温かい感触がポタリと落ちた。



蜂蜜漬けのメルヘン

(2012.11.26)

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