24.11.21 | ナノ

フローリングにこぼれたビールを一滴残さず拭き取った高尾は、まるで自分の家にいるかのように再びソファーに腰をおろした。
名字も布巾を洗濯機に放り投げてゆっくりとソファーに座る。
せきを切ったように疲労感が全身にまわって一度でも瞼を閉じれば一瞬にして眠れそうだ。
少ししか呑んでいないチューハイすらも睡魔の要因となっている気がする。

目元を擦った矢先、まだコンタクトをつけっぱなしだったことに気がついた。
名字は瞼をきつく閉じると数秒間だけ待ってもう一度開けた。


「男主名前?どうした?」
「いえ、コンタクトがずれただけです」


顔を覗きこんでくる高尾に心配かけまいとそう応え、「ちょっと洗面所にいって取ってきます」とだけ伝えてソファーを立ち上がった。
名字が洗面所へと消えると、高尾は彼に聞こえないように大きな吐息を吐き出した。
切迫感がどっと消えて安堵のため息がこぼれる。
彼に口づけをしたときは、取り返しのつかないことをしてしまったと後悔の念に支配されていたが今は幸福感が盛大に膨らむ。

(すっげえ幸せ…)

自分がだらしのない顔になっているなんて気づかず、名字が洗面所から戻ってきたときに指摘されてもあいかわらず緩んだまま。
初めて見る名字の眼鏡姿に改めて美形だと思ったから、または名字の両手に抱えられている淡くきれいな花束を見たからか。
それとも、


「…、先輩。お誕生日、おめでとうございます」


名字が照れくさそうに頬を染めながら花束を差し出すからか。
もしかしたらすべてが含まれているかもしれない。
いつの間にこんな花束を買ったんだろう。なんて頭のはじっこで考え、抑えこんでいた気持ちが疾風迅雷の如く溢れだした。
両腕を広げ、強く、そしてやさしく名字の身体をぎゅっと抱きしめる。


「俺さ、世界一しあわせかも知んねーわ」
「っ、大袈裟ですね。何言ってるんですか」
「割とマジだぜ?」


不道徳な恋かもしれないけれど、たまたま好きになった人が男だっただけ。
異性じゃないだけであって好きな気持ちは間違いない。
こんなにも愛しくて大切な後輩。
名字の眼鏡奥にある瞳が一直線に高尾を見つめる。
こそばゆくて、だけど満更でもないような。そんな瞳。


「男主名前。会社じゃ上司と部下だけど、プライベートでは俺のこと名前で呼んでよ」
「…和成先輩」
「んーもうちょい砕けた感じがいいなー」
「……和成、さん…」


ぼそりと消えるような、だけど不思議と耳に届く声。


「んー…。まあ、それで許してやるか」


自分でも偉そうだと感じつつ、名前を呼んでくれた名字の顔に触れて距離を近づけた。
映る鼻先とあたたかい吐息。
そっと唇を重ねて、その吐息と交わるように再び口づけをする。
背中に回された腕は何よりも強く、そしてやさしくて。
押しあてられる唇が溶けてしまいそうになった。



うまれてきてくれてありがとう

(2012.11.29)

- 6 -
[prev] [next] [TOP]

- ナノ -