log2 | ナノ

吹きさらしのホームに肌を刺すような冷たい風が、スカートを短く折り込んでいる女の子たちのスカートをふわりと揺らした。
ティーン向けのファッション雑誌をそのまま切り取ったような丈の長い派手なマフラーをなびかせて目の前を過ぎていくどこかの女子生徒を横目で追う。
寒いねー。早く電車こないかなー。そんな言葉が女の子たちの唇から白くなった吐息に混じって吐き出される。
寒いならもっとスカート長くすればいいのに。なんて思ったけど、少し長めにおろした自分のスカートの地味さに比べれば寒いほうがマシかも知れないとちょっぴり凹んだ。
ホームにアナウンスが流れる。
改札を抜けてふわあと大きな欠伸をこぼす男の子とぱちりと目が合って、口もとを隠していたマフラーを少しだけずらして控えめに片手をあげた。


「あれ、お前電車通だった?」
「そだよ。宮地くんも?」
「オレは塾。お前も塾だろ」


小さめに片手をあげて反応してくれたのは強豪バスケ部で有名な秀徳高校に通う男の子。
もうWCも終わり、バスケに捧げてきた時間を今では全て受験に向けての勉学に変えているらしい。
片手に持っていた参考書を背負っているリュックの中にしまってもう一度背負い直したとき、アナウンスが流れるホームに電車がやってきた。
会社帰りの人や学生たちが一気に電車から流れ出てくる。
目の前から大きな男性が出てきてぶつかりそうになったけど、いきなり腕を引っ張られたお陰で正面衝突を起こすことはなかった。


「あっぶねーな。大丈夫か?」


言って、宮地は電車を出て改札口に向かって行く男性を睨みつける。
腕を掴まれたときは心臓が飛び出るかと思った。それくらい驚愕して、それくらい腕が熱かった。
大丈夫。ありがとう。震えないように唇から声を出せばそっか、と掴んでいた腕を離して彼は電車に乗り込んだ。
電車がホームにいた人々を呑み込んで走り出す。空いている座席に腰かけてからくもった窓ガラスの外を見れば、学校を出たときには降っていなかった雪がちらちらと降りはじめていた。
鞄の中から参考書を取り出す宮地の隣で、リュックを膝の上に乗せて同じように参考書を手に取る。
向かい側に座っている中年男性は窓の桟に肘をかけてうとうとしていた。

開いた参考書のページに記した部分を右、左、また右、また左と目で追う。
ガタンゴトン。電車が揺れて身体も揺れる。
斜め向かいのドアに寄りかかっている女性のヘッドフォンから微かにチャカチャカと音楽が聞こえてきた。
知らない曲だ。洋楽だろうか。可愛らしい女の子の声から滑らかな英語が聞き取れる。


「…あ、この曲知ってるかも」


隣から声が鳴った。
見れば、宮地が参考書に目線を落としたまま小さくリズムを取っている。


「宮地くんってこういう曲も聴くんだ」
「どういう意味だオイ。刺すぞ」


だって、これ恋する女の子の歌でしょ?へえ。お前でもヒアリングできたのか。あ、馬鹿にしてる。そんなやり取りをしながら前を向くと、中年男性の頭がこくりこくりと揺れていた。
電車の揺れが心地いい。
参考書を映していた視界がゆっくりと縮まる。瞼が重くて閉じてしまいそう。


「あ、宮地君!」


瞼が完全に閉じてしまいそうになったが、突然聞こえてきた女の子の声に一瞬にして目が覚めた。
前の車両から移ってきたセーラー服の女の子が手を振りながら近づいてくる。
彼女の短いスカートから覗く細くてきれいな足に目がいってしまいそうになるのを咄嗟に参考書で隠した。
彼と同じ学校で、同じクラスの子。

宮地君が電車なんて珍しいね!いつも徒歩なのに。今日塾なんだよ。そうなんだ!宮地君って進学でしょ?どこの大学に行くの?

聞こえてくる会話をシャットダウンするかのように、参考書の文字をぶつぶつと心の中で呟く。目で追っているのに内容が頭に入ってこない。
んー。彼の伸びた声だけは入ってくる。
そういえば、彼はどこの大学に行くのだろう。
同じ学校の女の子が知らないのだから、塾でしか彼と逢えない自分はもっと知ることができない。だけどやっぱり気になる。
不意に彼から名前を呼ばれて変な声が出た。


「名字、聞いてんのかコラ」
「…あ、え?なに?」
「だから、どこに進学すんのか聞いてんだよ」
「A大だけど…」


訳がわからないままそう答える。
でも、進学先なんか訊いてどうするの?なんて、そんな疑問は一瞬にして弾けた。


「オレ、コイツと同じA大に行くから」


耳の疑いようがないくらい、キッパリ、そうハッキリした口調で彼は言った。
初耳だった。
それは女の子も同じで、大きな瞳と長い睫毛をぱちぱちと瞬きさせている。
それから小さな声でそうなんだ。と言って、やってきた頃とはうって変わってどこかぎこちなく後ろの車両へ向かって歩いて行った。

女の子がいなくなると宮地はまた参考書に目線を落とし、鞄からもう一冊参考書を取り出す。
ねえ、さっきの本当?宮地くん、頭いいんだからもっといい大学に行けるんじゃないの?どうしてA大なの?訊きたいことはたくさんあるのに、言葉が喉にひっかかって声が出てこない。
ページをめくる音とレールを走る音がやさしく耳を撫でる。
時折女性のヘッドフォンから聞こえてくる音楽に揺れる彼のリズム。


「…さっきの、誰にも言うんじゃねーぞ」
「、うん……」
「絶対、A大に受かれよ。落ちたら撲殺するからな」


参考書に落とされていた視線を向けられて、言っていることは物騒なのに瞳はすごくやさしくて。
彼と一緒に過ごせる時間が塾以上になると思うとなんだかこそばゆくて、だけど、それよりも心があったかくて。
うん。絶対受かるから。そう言葉に乗せて参考書をめくった。



子鹿としあわせのはじっこ

(2013.01.12)

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