log2 | ナノ

プルタブを開けたときにプシュッと鳴った泡の弾ける音が耳を撫でた。
冷蔵庫で冷やした缶が手のひらをひんやりと包み込む。
お風呂上がりで火照った頬に缶をあてていると空いていた隣のソファーが弾力で弾み、顔を横に向ければお風呂から上がりたての高尾が頭にタオルをかけたまま「どっこらせー」なんて年寄り染みた科白を呟きながらソファーに座り込んでいた。
ちゃんと頭を拭いていないせいで髪の先端からぽたぽたと滴が垂れている。
ちゃんと頭拭きなさいよ。そう言えば高尾は冷蔵庫から取り出したチューハイ缶をあけながらわーってるって、といつものように軽い返事を返してきた。
本当にわかっているのかしら。わかっているようでわかっていないような彼を横目にプルタブをあけたチューハイに唇を寄せ、ぐいっと一気に喉に流し込んだ。


「…あ、これおいしい」


ゴクリと喉を通った味をもう一度舌で味わう。
甘いのに胸にかかるような重さがある甘さではなく、妙にスッキリする甘さが口内を弾け飛ぶように回る。
もう一度味わいたくてチューハイの缶を唇に寄せようとしたが、突然隣から伸びてきた腕が当たって危うく缶を落としそうになった。


「ちょっと、危ないじゃない。何するのよ」
「俺にもちょーだい」


伸びてきた高尾の腕がチューハイの缶を掴む自身の手のひらの上に重なる。
そのままぎゅっと握られて、重なった手が高尾の薄く形のいい唇に寄せられた。
缶に寄せた唇からぐいぐいと飲まれていく。
飲み込むたびに動く喉が妙に色っぽくて、ずっと見つめていたせいで気がついたときにはチューハイの重さが最初と比べてひどく軽くなっていた。
全然一口じゃないじゃない。小さく文句を言えば高尾に乾かしたばかりの髪をわしゃわしゃと撫でられてぐしゃぐしゃになってしまった。
だけど髪の乱れも気にならないくらい、頭に乗せられた高尾の男らしい手のひらにどきどきしている。
そんなこと口が裂けても言えない。というより、言ってしまったあとの高尾の表情が分かりやすいくらいに浮かんできて絶対に言いたくない。


「女主名前ちゃん、顔真っ赤でかーわい」
「、からかわないで」
「ほんとに思ってること、って言ったら?」


頭に乗せられていた手のひらがゆっくりと頬に滑り落ちてくる。
添えられた彼の手のひらに熱が気づかれそうでさりげなく視線を斜め下におろしたが、頬にあった手が有無を言わせないとでも言うかのように顎へと移りぐいっと正面を向かされた。


「ハハッ、すげー真っ赤。同棲してもう1年経つのにな」
「う、うるさいわね。離してよ」
「やだ。女主名前が俺と目合わしてくれたら離してあげてもいいけど?」
「…上から目線な男は嫌い」


高尾の半乾きの髪からぽたり、滴が床に落ちる。いい加減ちゃんと拭いたらどうなの。そう言って、チューハイの缶を横にあるテーブルに置いてから彼の髪に手を伸ばした。
頭からかけられているタオルは湿りが感じられない。やっぱり全然拭いてないのね。なんて小さく笑ったらなに笑ってんの、って彼も笑っていた。
高校生の頃から彼の笑顔は変わっていない。
変わったところと言えば、学生時代にはなかった笑ったときにできる目の横の小さな皺とか、低くなって大人の色気を増した声とか。付き合って8年も経てばあんなにうるさいくらい元気だった彼も大人らしい男になるんだ、と改めて感じさせられた。

だけど、8年も付き合ってきて16歳だった彼と自分はもう24歳。
今年でついに20代後半になってしまう。
周りが早すぎるだけなのか、それとも自分がただ焦っているだけなのか。所謂、結婚ラッシュという現象が起きていた。
焦りで結婚しても何の意味もないし、そもそも結婚することがゴールインではない。
そう頭では理解してはいるが、やはり会社の同僚や後輩から「彼にプロポーズされた」という話を聞くとおめでたい気持ち反面、自分たちはいつ結婚できるのだろうかと考えてしまった。


「女主名前?」


高尾の声に沈んでいた顔をあげる。
細い瞳に映る自分の顔は不安げに揺れていた。
タオルをにぎる力が弱まって、こんな顔を見られないように彼の胸へ抱きついた。


「え?ちょ、どした?」
「……なんでもない。今だけ、今だけよ」
「まぁ、俺は女主名前が抱きついてきてくれて嬉しいからずっと抱きしめててもいいんだけどさ」


彼の腕に包まれながら彼の鼓動に耳を当てた。
同棲して1年が経つのにな。なんて言ってる高尾の鼓動も十分に早い。
付き合い始めた頃とおんなじ。
いじわるだけど、そんな高尾が好き。離れたくない。言葉にしない代わりに普段抱きついたりしない高尾の腰に腕を回した。


「今日はやけに積極的じゃん。何かあった?」
「…別にないわ。今だけって言ったでしょ」


ぎゅうっと抱きつきながら言葉を紡ぐ。
背中に回された高尾の腕がやさしくてあったかい。
しばらく彼のお腹辺りに埋めていると不意にまた頭を撫でられた。


「ほんとはまだ言いたくなかったのに、女主名前見てたらすっげー言いたくなっちまったじゃねーか」
「なんの話?」
「俺の決意の話!あーどうすっかなー」
「…意味がわからない」


あーだこーだと唸っていた高尾の手が止まる。撫でられなくなった頭が寂しい。
ゆっくりと顔をあげて高尾を見れば、何やら頬を淡い桃色に染めてぽりぽりと頬をかいていた。
3%しかないアルコールが回ったのだろうか。
不思議に思いながら彼の名前を紡ぐ。和成、かずなり。ねぇ、和成。
高尾の双眼が真っ直ぐに向けられてまたどきどきした。形のいい唇がひらく。


「あの、さ…。俺ら、付き合ってもう8年だし……まぁ、なんだ。女主名前、俺と結婚してください」


花束も指輪もまだないから本当に言いたくなかったけど、俺が本気だってこと知ってほしいから。
なんて、喉から絞り出されたような声はちょっぴり震えている。
緊張を紛らすためにわざわざチューハイなんかを飲んだのかしら。そんなことを頭の片隅で考えて、まだ頬の赤い高尾に抱きつく。
甘いシャンプーの香りが鼻をくすぐった。



ダージリン伯爵が掬ったお砂糖の恋

(2013.01.09)



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