夢恋舞 (2/3)
ここ数日は雨など降ることもなく‥‥‥快晴。
何もせずとも汗の滲む陽気。
扇で風を送りながら涼む主に、歳若い女房は話しかけた。
「扇を頂戴なさってから、随分とご機嫌でございますね、桜子様」
「や、やだ、瑠璃ってば。そんな事無いわよ‥‥‥こんなにいい扇なんだから、風を扇ぐだけなんて勿体ないと思っているだけ」
赤らめる頬が初心な娘の様に愛らしい。
いつになく上機嫌の桜子に眼を細めると、女房は手にしていた衣を掲げ持った。
「では、桜子様。少将様からのお申付けに御座います。どうぞ、御召し替えを」
「‥‥‥え?」
着せられたのは季節外れの、桜色した薄い衣重ね。
意味の分からぬまま、先導の女房に付き歩く。
‥‥‥問えども、女房達は深い微笑を浮かべるのみで、誰も答えを与えてくれない。
何が始まるのか。
扇の蔭で桜子は嘆息を禁じ得なかった。
庭を進めば、そこは深い林。
然程大きくない池に浮かぶ三日月が美しい。
‥‥‥だが、それよりも。
「随分時間が掛かったのですね。待ちくたびれましたよ」
「惟盛殿?」
その姿に気付いた時から、彼しか見えなかった。
月を背に微笑を浮かべる背の君。
息を飲む程美しくて。
まるで月が、人に化けた様な‥‥‥。
「ああ、良かった。扇を持って来ていましたね。
‥‥‥では、舞いなさい」
「‥‥‥は?」
「此処でなら舞えるでしょう、と言っているのです」
「‥‥‥は?」
惟盛の言動には随分と慣れたけれど、流石の不意打ち。
「ですから」
「‥‥‥惟盛殿。桜子殿が困っていらっしゃいますよ」
明らかに言葉の足りぬ惟盛に苦笑しながら、背後から幾つかの沓音。
振り返ればいつの間に近付いたのか、時子と一族の青年達の姿があった。
「お久し降りでございます」
「久しいですね、桜子殿。今宵の舞のこと、惟盛殿に何もお聞きしていないのでしょう?」
「‥‥‥今宵の舞?」
視線をついと彷徨わせる。
すぐに、木陰に垣間見える数多な燭明かりに気付いた。
敷き詰められた桟敷に畳。
中央に坐すのは平家の長である、義理の祖父。
まるで宴の様に‥‥‥一門の見慣れた顔ぶれが並ぶ。
何よりも眼を惹かれたのは
真新しい舞台。
「惟盛殿?これは‥‥‥」
口を突くのは、扇を貰った時と同じ言の葉。
「‥‥‥舞いたいのでしょう?」
視線を逸した惟盛の頬が薄ら染まる。
軽やかな笑い声を上げる時子の隣に、一族の青年が歩み寄って来た。
「桜子殿にお似合いの扇を見つけたから、舞の席を設けて欲しい。
そう惟盛殿からお願いされて用意させて頂いたのですよ」
「‥‥‥経正殿!」
「ええ。惟盛殿は桜子姫に、随分とご執心なのですね」
「‥‥お祖母様もからかわれませぬ様に」
「これ程に美しい花を側に置けるならば、他の花など目に入る筈がない。羨ましいですね」
「重衡殿!桜子から手をお離し下さい!」
惟盛は、桜子の髪に唇を寄せた重衡を引き剥がす。
そのまま抱いた肩。舞台へと促した。
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