夢恋舞 (1/3)
「惟盛殿、これは‥‥‥?」
頃は紫陽花の花開く。
暑さに耐え兼ねて捲った御蓮。
風通しの良い室に差し込む陽射しが、焦れる程の暑さを訴える。
「貴女がいけないのです」
「‥‥‥惟盛殿?答えになってないけど」
更に首を傾げて、桜子は手に押しつけられた螺鈿の箱を凝視する。
いいから開けなさい、と言わぬばかりの惟盛の眼。
迫力に負けて蓋を開ける。
ことり、と木の音が小気味良かった。
「‥‥‥綺麗。これを、私に‥?」
鮮やかで美しい、薄紅と金色の扇。
手に取ろうとすれば、先に惟盛の指がそれを捕らえた。
「貴女はこの私の北の方なのですから、いい加減に嗜みを持ちなさい」
「嗜みだなんて、酷い言われ様ね」
「‥‥‥嗜みです。廊を渡る事も庭に降り立つ事も、私は禁じておりません。ですがせめて、他の者に顔を晒すなと‥‥‥」
語尾が弱くなるのは端々に滲む嫉妬に気付いたから。
桜子の容貌を一門の‥‥‥取り分け、女が好きな男達に晒したくなかった。
せめて顔を覆って欲しいのだと。つい本心が浮かんでくる。
「‥‥‥とにかく、貴女がひとつも扇を持ってない事が問題なのです」
「持っているわ。使ってないだけ」
‥‥‥平家に嫁ぐ時に持たされた立派な扇は、確か腹心の女房にあげたけれど。
惟盛の額がひくり、と動くのを感じて、桜子は慌てながら手元に視線を落とした。
「本当に綺麗ね。勿体ない位嬉しい‥」
鮮やかな桜梅を模した扇。
よく見ると至る所に細かな紋様が描かれている。
これ程見事な細工のものなどお目にかかった事がなく‥‥‥
それ故に目頭が熱くなる。
「‥‥‥ありがとう、惟盛殿」
「貴女に似合う物を求めたのですから、気に入って当然です」
‥‥‥相変わらず素直ではないけれど。
夫の心遣いと美を求める繊細な感覚の見事さに、桜子は俯き、深く感じ入った。
同時に燻る舞への希求。
この美しい扇で舞えたら僥倖なのに、と。
ぽつりと、舞を嗜む者として残念に思った。
婚姻を迎える前の娘であれば、奉納舞を披露することも出来たけれども。
自分は今を時めく平家の嫡流、惟盛の北の方。
帝や他の貴族達の前では流石に、おいそれと姿を晒せない。
「‥‥‥‥‥‥」
惟盛は押し黙る。
目の前にいるのは最愛の存在。
流石の暑さに耐え兼ねて、透ける薄衣を重ねる妻。
衣を通して、身体の線の柔らかさが仄かな色を醸す。
「‥‥‥桜子」
抱き寄せれば柔らかく凭れる愛しき熱。
立ち上がり御簾を降ろし、束の間の夢に溺れた。
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