うすむらさき (2/2)
「‥‥‥‥‥‥さい」
「え?」
「貴女の指に針が刺さるからやめなさい、と言ったのです」
逸らしたままの顔は決まり悪そうに、少し紅く染まっていた。
何故か桜子の頬も、釣られて同じ色に染まる。
慌てて俯く。
眼に触れるのは薄紫の上質な絹。
滑らかな肌触りのそれが、衣になるまで後一息なのだ。
夫の言葉に従って、今さらやめるのも勿体ない‥。
取り敢えず絹に刺した針を引き抜こうとした。
桜子の指を、小さな刺激が走る。
「あっ」
ちくっとした後、指先にぷっくりと盛り上がる紅い玉。
「桜子、見せなさい」
慌てて引っ込めようとする手を素早い動きで掴み、惟盛は血の滲んだ指を口に含んだ。
桜子の動悸が激しくなろうとも、お構い無しに舌で舐めとる。
口の中に広がる鉄の味。
「こっ、惟盛殿っ!?」
引き抜こうとした手は更に引き寄せられて、桜子はぐらりと前のめりになった。
柔らかい衝撃。
抱き留められ、眼を上げれば、桜子に向けられた愛し気な視線にぶつかった。
「だからやめなさいと言ったのです。そそっかしい貴女だから、こうなる事は分かっておりました」
‥‥‥今のは確実に貴方の所為だ。
そう反論しようとした桜子だったが、後に続く惟盛の一言を聞いて取り止めた。
「貴女を傷付ける者は、例え貴女自身でも容赦しません」
「‥‥‥私に怪我をして欲しくない、と素直に仰ればいいのに」
「何か?」
「いいえ、何も」
込み上げる笑いを、惟盛の胸に頬を埋める事で誤魔化して、桜子は衣に薫き染められた香に包まれた。
甘える仕草を受け、背を撫でる手が、優しいものになる。
もう一度顔を上げれば、瞼に降って来る唇。
ひんやりとした感触が心地よかった。
「‥‥‥でも、この衣を仕上げるまではやめません」
「私の言い分が聞けないと?」
「ええ。だって貴方の為に、心を込めて縫っている衣だもの」
「‥‥‥‥‥‥」
黙り込んだのは照れている所以。
桜子が嬉しそうに笑うと、唇を重ねて声を封じた惟盛。
たった今、胸に生まれた熱。
‥‥‥どうにか鎮めたい。
それが出来る唯一人の愛しい人に、縋る様に腕を回す。
誘いかける桜子に笑みを零した惟盛の、指先を感じながら
眼を、閉じた。
数日の後。
紫衣を纏った桜梅少将が平家の邸のそこかしこで見受けられた。
満開の桜に包まれて、時折、眼差しを緩ませて。
終
前 次
表紙