そして、決別
「久しいな、桜子。そなたの息災な姿、我は安堵したぞ」
「お義祖父様‥‥ご無沙汰しております」
「固くならずとも良い。そなたは何があろうと我の孫よ。今とて変わらぬ」
相も変らぬ暖かな言葉に、桜子の眼は濡れた。
『お前が雪見御所に居た頃から、清盛は少しずつ変わった』
『変わった、とは』
『今の清盛は、惟盛と同じだ。怨霊の世の中を作ろうとしている‥‥平家再興の妄執に憑かれているんだ』
『‥‥ですが、将臣殿。私も平家再興を夢に見ます。いけない事なんでしょうか』
『いいや。けど、関係ない人間まで巻き込むのは許せねぇだろ?』
「桜子、どうしたのだ?」
桜子は我に返り、真っ直ぐに義祖父の眼を見詰めた。
「あ‥‥いえ、少し考え事を」
「おお、そうであったな。そなたが此処に来たのは惟盛に会いたい一心からであったな」
「はい。惟盛殿に会いたくて、袂を別った身でありながら参りました」
清盛がふっと笑む。
将臣には決して明かさなかった地名をあっさり告げたのは、桜子を不憫に思ってのことだろう。
その優しさは変わってはいなくて、故に桜子は罪悪感を覚えた。
「ここに来れば会えると思っていました。惟盛殿」
「桜子殿・・・一体何用ですか」
「私の事を覚えていて下さったのですね」
「・・・・・・たった今迄忘れておりましたよ」
急げば間に合うだろう、と清盛に背を押され走ったのは、雪見御所の隅に植えられている桜。
出立前に一度、此処に来ると思った。
この木が、焼き捨てた六波羅邸の桜の枝から生まれたものだから、なのか。
かつての二人を見守ってくれた、思い出の桜。
だから‥‥‥。
桜子の気配に気付き、凭れていた幹から身を起こすのは、やはり惟盛。
「・・・・・・もう、行かれるのですか?」
「・・・・・・・・・何処から、そんな話を・・・」
「ふふっ、清盛様が教えて下さいました」
「あの方も余計な事をなさる」
「私が無理に聞き出したのです。貴方に会いたかったから」
冷たい眼。
呆れた口振り。
それがこんなにも、愛しい。
生前の思い出を忘れていない、この人が愛おしい。
もう二度と会えないと思っていたから、余計に。
想いを込めて見詰める。
ふと視線がぶつかった瞬間、惟盛の瞳が緩んだ気がした。
「最後に聞かせて下さい。
私の事をただの一度でも、
・・・・・・愛しいと思って下さいましたか?」
今ならば、ずっと聞けなかった事も答えてもらえる気がして、思い切って問う。
すると惟盛は吃驚したのか固まった。
それから、ゆっくりと息を吐く。
彼の綺麗な指先が緩やかに波打つ髪に触れ、それを弄んだ。
「・・・・・・・・・これはまた、おかしな事を・・・」
「・・・惟盛殿・・・」
「私が貴女の様な只の娘を、本気で愛しむとでも思っていたのですか?」
‥‥‥彼はきっと気付いていない。
生前、嘘を付く時に必ず髪を弄っていたことを。
「もう、よろしいでしょうか?出立の刻限が迫ってまいりましたゆえ」
桜子の返事も聞かず、惟盛は踵を返した。
振り返らぬ後ろ姿をじっと見詰める。
やがて姿も消え、辺りが静寂に満ちても、まだ。
‥‥砂利の踏む音が背後に迫るまで。
「‥‥‥倶利伽羅峠だそうです」
「そっか。こっからだとちょっとあるか。
‥‥辛い事させちまって悪かったな」
「いいえ。あの人に会えて良かったもの。将臣殿には感謝しています」
「サンキュー」とよく分からない単語を耳にしながらその意味を問わない桜子。
別のことで思考が占められていた所為だが、将臣は気付かないのか策を練っていた。
別れ際に垣間見た惟盛の瞳に
ざわりと、胸騒ぎを覚える。
それはまるで、惟盛を失った日の悪寒に似ていた。
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