『見て惟盛殿、紅い月が綺麗ね』


『綺麗ですか?紅の月は不吉の前兆とも言います」


『そうかしら。私には血の色よりもっと深く見える。
‥‥‥‥貴方を想う色を表せば、きっとこんな色』


















水滴が落ちる音が惟盛の意識を覚醒させた。



眠っていた‥‥?


日暮れているのか、明かり一つないそこは静寂に包まれていた。


怨霊の彼には暗闇は視界が渡り、かつ快くさえ感じる。




さらさらとした感触はどうやら褥に寝かされているらしく、そして見慣れたものではないことから、誰かの所有する邸なのだと感じた。


ゆっくり上半身を起こす。
痛みは既に失われている。



此処に運んだのは恐らく経正で、こうして雪見御所に帰らず伝手を頼っている。

それほど自分が前後不覚に陥っていたのだ。


見下していた輩によって。



「油断していたと言えど、次はありませんね‥‥‥‥‥おや」



髪に絡めた指先がふと止まる。

褥の一部に熱を感じ、そこに眼を向けて。

こんなに驚いたのはいつ以来なのだろう。


「‥‥‥‥‥‥」



褥の、惟盛の足元に突っ伏して眠る女が居た。

猫のように身を丸め、すやすやと寝息を立てる女がいる。

その手に握られたままの手巾。


ちらりと見遣れば枕元に、小さな桶があった。




‥‥‥衾も被らず手足を縮こまらせて眠っている。

人間は、意図も簡単に熱を出すと言うのに。




「‥‥‥愚かな」




起こすべきなのか。


否、起こして此処から追い出してやるべきなのだ。

女の体調故でなく、この自分の傍に居る事への嫌悪を表して。

自分の邸なのだから空いてる室でも整理させ眠りなおせばいいのだ、女‥‥‥桜子は。





近付くな。

近付けるな。

後悔せぬように、触れてはならない。







伸ばした手が黒髪に辿り着く前に、漆黒の眼が薄ら開いたのは、何処かに眠る願望の現われなのだろうか。



「‥‥‥惟盛殿」



真っ先に名を呼ばれることに酷く安堵する。

まだ生きていた頃の感傷が残っているのか、散々苦しめてきたそれは、今またむくりと頭をもたげようとしていた。





危険だと、頭が警鐘を打ち鳴らす。





「何故貴女が此処に居るのです」

「此処は私の邸だからです」





唇を尖らせる気配。

それもそうだろう、目覚めるまで看病していたのに、起きたと思えば冷たい口を叩く。


‥‥‥それでいい。怒り此処から離れるのなら。



「何度言えば分かるのです?鬱陶しいので離れろと」

「仕方ないでしょう?貴方は酷く怪我をしていて、放って置けなかったんだから」

「それが余計な事なのです。下賎な者の手当てを受けた所で、この身が汚れていくだけでしょう」




‥‥‥あの時の桜の姫ならば、これ程の暴言に黙っては居ない。



足音を荒げて出て行くことを願った、のに。

ぽたり、ぽたりと。
俯く桜子から滴り落ちて、床に音を立てる雫。











「余計なことでも、何でもいい。貴方を失えない‥‥‥っ」

















『成る程、貴女の想いは血色ですか?恐ろしい』


『笑いながら仰っても、怖がっているように見えません』


『‥‥‥血の色、貴女の仰る通りかもしれませんね。身体を巡る想いは、熱く流れるものと酷似していて‥‥‥私を形造る』












‥‥‥例え血が通っていなくとも

一度身体を流れていたモノは、堰を切って表に出る。


涙のように、失った紅のように。



過去の自分の基礎だった感情は、死して尚残っていたらしい。











柔らかい身体を抱き寄せ、口接ける。

一度だけ無意識に眠る桜子に犯した「過ち」と同じ、止められぬ激情と衝動によって。











‥‥‥触れてしまえば、引き返されぬ。









そうと知りつつ、唇の柔らかさに止める術も持たぬ。

深い繋がりを欲し、半ば引き倒すように褥に横たえ、桜子を掻き抱く。












人間から流れる血を美しいと思っていた。
体内に留めるのは勿体無いと。

その理由が漸く理解できた。





流してしまえばいい。

飛び散らせ赤い香気を漂わせ、吐き出し、流し尽きて忘れてしまいたい。

失った自分の代わりに他の者のそれを流してしまうしかないと。
















残された想いはずっと巡る、紅。

形造る唯一のもの。




 
 



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