伏見別邸











何かに立ち止まるたびに

空ばかり見上げていた。















「桜子様。桜子様は何処で御座いますか?」



瑠璃ではないもっと年若い女房が呼んでいる。


答えようとして、桜子は再び空を見上げた。







‥‥呼ばれたような気がして。







「‥‥‥此処にいるわ。何の用ですか?」


京の端、伏見稲荷社の近くに建てられた瀟洒な邸。
真新しい庭園に桜子は居た。


「お客様が参られております、桜子様」

「客人ですか?珍しい‥‥‥瑠璃はどちらに?」

「ご案内差し上げるとお客様の元へ」

「そう。瑠璃が自ら向かうと言うことは、お見えになられたのは平家の方ですね」

「はい、経正様が」



うら若くとも女房の長である瑠璃が案内するのは、失礼の許されぬ客だと決まっているのだから。



「急ぎお越しくださるよう、瑠璃殿からお言伝を預かっております」

「分かりました」



女房の先導に続き、山桜の幹から離れる。


ひらり、舞う雪が花弁の如く

桜子の髪を撫でた。







惟盛とあの日交わしたのは、離縁。
けれどそれは両家の要望で世間には伏せられていた。



物忌みの為京に方違えを成さねばならず、泣く泣く背の君から離れたと。

そんな妻の寂しさを少しでも埋める為、敢えて山の裾に邸を新設したのは
‥‥‥山が好きな妻に捧げる惟盛の愛情だと。



それが、貴族の間でまことしやかに囁かれている噂なのだ。

未だ桜子の他に惟盛が通う姫のない事が、それらを真実と見なしているのだろう。
そして皮肉にも、二人の仲睦まじき逸話しか外に流れていないことも、嫌疑の念を抱かせぬ原因なのだろう。



‥‥嘘ではない。

桜子の為に枝振りの良い山桜を植えてくれる程愛されている。

ただ、その愛が義父母と平家一門からのもので、夫からのそれではないだけ。






御簾越しに対面するつもりで居たが瑠璃に「奥方様、こちらへ」と手を引かれた。


夫でもない殿方なのだからそれはどうかと思うが、雪見御所の日々を考えれば今更だとも思う。

それでも珍しいと桜子が驚くのは、伏見に来てから行儀作法に煩い瑠璃の行為と、奥方様と呼んだこと。
惟盛の妻である、と強調された呼び掛けが妙に不自然だった。

その意味は広い室の一角を遮る御帳台の向こうにあった。



「‥‥‥どういう、こと」

「桜子殿の寝屋への訪問をお許し下さい。こちらしか思い浮かばず」

「いえ、それは構わないのですが‥‥」



申し訳なさそうに眼を伏せる経正に首を振って、視線を落とした。



「申し訳御座いませぬ。奥方様の御元が一番安全だと判断致しました」

「瑠璃殿を叱らないで下さい。桜子殿以外には極力伏せたいと申し上げたのは、私なのですから」


向けた視線。眠る人物と経正を見れば、伏せたい理由を理解した。



謝られても、困る。
何故なら桜子は言葉が出ない程、胸が締め付けられているのだから。





‥‥‥彼がまた、消えてしまうのかと思って。
とうに死した存在だというのに、横たわる彼が不安を誘う。




御帳台に設えられた褥に眠るのは、惟盛。




溢れる不安と、上回る愛しさ。

どうにか頷く事で詳しい話を促せば、経正の眉間に深い憂いを感じた。




「宇治上神社に進撃したのですが、源氏の将と戦い深く傷を負いました」

「怪我‥‥?」

「私が駆けつけたときには既に敵はなく、惟盛殿の意識もありました。ですが、その後すぐに倒れられたのです」



‥‥‥経正が一旦言葉を区切る。



桜子には伏せているが。
自分も含め清盛や敦盛、そして惟盛はただの怨霊ではない。

自我を持たぬ怨霊とは違い、神宝による反魂を成した存在には「意思」がある。
弊害はあるものの、肉体的に言えばそう簡単に傷つくことなどないのだ。


「惟盛殿は意識をなくす前にこう言っておりました。忌みしき源氏の神子‥‥‥と」

「源氏の神子‥‥」







その名は終焉の響きを持ちながら、桜子の胸に舞い降りた。






 




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