しひて恋しき
貴女がいとおしい と
貴女がかなしい と
その眼はいつも訴えていた。
この幸福はいつまでも続くと、
続くことを祈っていた。
「嘘吐き‥‥‥」
『戦を終わらせ我が平家の栄誉を守り、そして‥‥‥桜子の為だけに青海波を舞う』
別れ際の約束は果たせぬまま
‥‥‥‥永遠に、果たされぬままに。
「嘘吐き、っ‥‥‥」
瑠璃すらも退がらせて、たった一人。
空間がやけに広かった。
「‥‥‥惟盛殿」
『おや、何を泣いておいでです?似合わぬ事などお止しなさい』
『似合わぬって‥‥失礼ね!』
『貴女の泣き顔は見るに堪えませんからね。笑っている方がまだましです』
『‥‥素直に言ってくださればいいのに。笑顔が綺麗だとか』
『何を図々しい。ただ、他の‥‥‥男の前で泣かれては困ります‥‥‥‥‥‥惚れられてしまう』
『え?最後になんて仰ったの?』
『‥‥‥‥‥‥最後?ああ、美しくない泣き顔を披露すれば迷惑がかかる、との言葉ですか?』
素直でなくても、誰よりも愛してくれた人。
『今年も、桜を共に見られましたね』
『‥‥‥ええ。今宵の桜も、殊の外美しい』
『本当に‥‥‥綺麗で誇り高くて‥‥‥何度見ても飽きません』
『‥‥‥‥‥‥』
『‥‥‥惟盛殿?私の顔に何か?』
『いいえ‥‥‥貴女の様だと思っただけです』
時折、零れる本心はいつも熱い人。
「惟盛殿‥‥‥」
再び名を呼ぶ。
応えが無くとも、口にせずには居られなかった。
「惟盛殿‥‥‥惟盛殿、惟盛殿っ‥‥‥‥」
恋しくて恋しくて。
名を呼べば呼ぶ程に遠くなる。
足音がして、御廉が巻き上げられる。
瑠璃と、膳をしつらえに来た女房の姿すら煩わしい。
二人の衣から燻る香。
‥‥‥この室の、彼の残り香を消してしまう気がして。
あれから幾日経ったのか。
もう何も考えられずにいた。
「‥‥‥桜子様、姫様‥‥どうか少しでもお召し上がり下さいませ」
あれから、瑠璃はずっと眼が赤い。
食事を摂らぬ主人に気が細る程に心配しているのだ。
その思いは、伝わっている。
‥‥‥それでも。
「‥‥‥ごめんなさい。今は食べられないの」
「ですが、このままでは‥‥‥っ」
泣いてしまった瑠璃に申し訳なく思いつつ、御廉越しに庭を見る。
‥‥‥白い雪を被りながらも、桜はあの日のままに咲いて居た。
変わらぬ姿で
「‥‥‥瑠璃。お義祖父様に文を届けて貰えるかしら」
「は、はい!」
やっと、真面にこちらを見てくれた桜子が嬉しくて、瑠璃は涙を堪え頷いた。
さらさらと文をしたためた。
筆に染みてゆく墨の色は、絶望の闇のように
白い紙を塗り潰してゆく。
「お願いね」
文を押し抱き退室する瑠璃の背中を、見つめた。
「‥‥‥ごめんなさい」
誰と知れずに謝る。
喪った者を取り戻す術があるのなら
失った愛を再び手にする機会があるのなら
迷わずに是と頷く。
彼の眼が桜子を映さずとも
彼の心が桜子に手向けられる事なくとも
構わないと思っていた。
唯求めるは、愛しき背の君の、その姿――‥‥‥。
例えその先に新たな絶望が訪れようとも。
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