少年





しずしずと、廊を渡れば僅かな風と蝉時雨。


外に出れば暑さが凌げると思ったが、気のせいのようだ。

桜子は忌々しげに首を振る。





長い髪が微かな風を産む音と

しゃらん、と背後で音が鳴った。




「‥‥あの‥‥‥」

「え?」

「いや、これを‥‥‥貴女の物ではないだろうか」



振り返った桜子の目に真っ先に飛び込んだのは、華奢な白い手。

そして握られたのは蝶の髪飾り。



「あら」



それは夫からの贈り物の一つで、螺鈿細工の美しいことから気に入っていたもの。
今日も黒髪を一部留めることに用いていた。



「いつの間に?‥‥‥大切なものなの。ありがとうございます」



礼を述べ、ここ数年ですっかり夫に叩き込まれた完璧な作法で頭を下げる。


上げた桜子が眼にしたのは、儚くも美しい少年。



「‥‥それならば、良かった」



濃紫の纏め髪を揺らし微笑する様は、まるで美姫とも紛う程。


眼が合うと彼は、ほんのりと頬を染める。

その恥らう表情がなんとも愛らしいと思うのは、姉のような目線で見ているからだろう。







初々しい少年に一瞬微笑を深くした桜子。





そしてその笑みは、更に深くなる。


少年の肩越しにこちらに近づく人物を見つけたから。



「惟盛殿」



涼やかな声音が愛しそうに、彼の人の名を呼ぶ。



そのことから目の前の姫が、名を呼ばれた親戚が愛しむ、唯一人の妻であると彼は知った。




桜子の輝く笑みに見惚れてから、少年は振り返る。

そこには渋面を浮かべた一門の年長者。




「‥‥‥また扇も持たずに貴女は‥」

「あら、私の愛用の扇を取り上げなさったのはどなたかしら?」

「貴女がいつまでも擦り切れた扇など持ち歩くからでしょう?代わりなら沢山寄越したと言うのに、突っ返したのは誰ですか?」

「あ‥‥私はこれで‥‥」



雲行きが怪しくなったのか

仲良くじゃれているのか。




二人の間に入るほどの度胸も親しさもない。

敦盛はそっと立ち去る。




少年が振り返る。

絵巻物の様に中睦まじき姿に頬が緩んだ。




 



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