悲報
その報をもたらしたのは瑠璃ではなく。
平家に永く仕えていた古参の女房だった。
「‥‥‥嘘、よね‥‥?」
文机に向きあっていた桜子の手から、筆が滑り落ちた。
墨を含んだそれは、桜色の単衣に黒い染みを広げる。
首を振る女房を見るまでもなく、それが真実である事を知った。
こんな重大事を偽りで口にすれば、それこそ咎められるのだから。
「‥‥‥‥あの方は、部屋にいらっしゃるのね?」
「桜子様?」
桜子の意図に気付いた瑠璃が咄嗟に窘めようとするも、時既に遅し。
勢いよく立ち上がると、桜子は身を翻して御廉を捲り外に滑り出た。
「桜子様!」
貴族の姫が女房の先達もなく、渡殿を走る。
まして、扇や袖で顔を隠さずに。
白昼堂々と走る桜子に、擦れ違った公達が振り返った事すら気付かない。
「‥‥クッ‥‥‥威勢の良い女だ」
「あちらから走っていらした、と言う事は‥‥‥惟盛殿の北の方でしょう。桜子殿、でしたか」
恐らく惟盛殿の元に向かうのでしょう。
告げる銀髪の男に、よく似た容姿の男は鼻を鳴らした。
どうでもいい、と言わぬばかりに。
「‥惟盛殿、いるの?」
「‥‥‥‥‥‥は?」
がさり、と草を掻き分ける音がした。
誰かが近付く気配。
場所を移そうと思い腰を上げた時。
鈴の様な声音と同時、若い娘が姿を現した。
「‥‥‥こんな所で何をしているのですか」
呆れ声と共に溜め息が出る。
よもや、貴族の娘がこの様な昼間に姿を晒すとは‥‥‥。
「扇はどうなさったのです?女房は?」
「そんな事はどうでもいいんです」
整然と彼女は言い切り、一歩、また一歩と前に出た。
何故か泣きそうに潤む、彼女の眼。
吸い込まれるように、惟盛はじっと見つめていた。
桜子は惟盛の正面に立つと、そっと腕を伸ばす。
「小松内府殿が‥‥‥‥‥‥お義父様が‥‥‥」
「ああ、貴女も聞いたのですか。泣く程の事でもないでしょう。生者はやがて滅ぶ、それだけのこと」
「それだけ、なのですか?」
「ええ。冷たいとお思いでしょうが、私は哀しいと思っておりません。確かに善き父ではありました。ですが、理解に苦しむ方でもありましたから」
「‥‥‥だから、悲しくないと?」
「そう言う事になりますね」
あっさりと返す惟盛は、実父の死と言う事実を受け止めていた。
濃茶の髪を一筋、指先に巻き付けては散らす。
あまり関心がないとさえ見える行為を、桜子は見ていた。
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