恋
「‥‥‥桜子殿?」
「え‥‥‥」
眼前に惟盛の手。
男のものとしては幾分優しいそれが、桜子に差し出されていた。
「え?」
「‥‥‥貴女の為ではありませんよ。もしも転んで、見るに耐えない鼻になるといけませんから」
喧嘩を売らんとする様な言葉使い。
惟盛らしいと言える。
今までの桜子ならば怒っていただろう。
‥‥‥けれども。
「‥‥‥ありがとう‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥貴女の為ではないと言っているでしょう?目の前で怪我でもされては、私が咎められてしまいますからね」
なんて、言いながらも。
「ふふっ」
「何を笑っているのですか‥‥‥風変わりな姫ですね、貴女は」
「風変わりなのは駄目でしょうか?」
「‥‥‥さぁ、どうでしょう」
足元に大きめの石があれば、握る手に力が籠る。
僅かでもつまづく気配を感じれば、強い力で引かれる。
桜子が転ばぬ様に。
突然、外に連れ出したのもきっと‥‥‥。
やがて辿り着いたのは、一本の古木。
「惟盛殿。桜、散りましたね」
「もう更衣の頃ですから」
二人が出会った薄紅色の桜木は
いつしか力溢れる緑となっていた。
桜子はの手は、懐かしさを感じる幹に触れる。
「連れて来てくれて、ありがとう」
ここに来たのはきっと、自分の為。
平家に嫁いでから、邸に籠りきりだった桜子。
外が恋しいと。
密かな望みに、気付いてくれたと思うから。
惟盛から返事はない。
けれど背中から桜子を抱き竦める腕に、更に力が籠る。
「‥‥‥ずっと、貴方の側に居てあげますからね」
「‥‥‥‥‥‥何を偉そうな」
‥惟盛の腕の中で桜子が笑う。
それは鈴の音のように軟らかく。
耳にする度、心弾む。
惟盛は溜め息を吐いた。
いつか素直に言えるだろうか?
とうに、貴女を恋うていると‥‥‥
出会った場所で祈るように、惟盛は眼を閉じた。
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