熱と鼓動

 



「見て!緑ばかりね!」

「‥‥‥言われずとも見えております」



牛車を降りてから、桜子はずっとこの調子。

物腰は決して悪くないが、愛想が良いとは決して言えない惟盛の返事を、さして気にする風でもない。


至って上機嫌だった。





あまりに嬉しくて、桜子ははしゃぐ。
新緑の濃い匂いに誘われる様に目を閉じ、肺一杯に風を吸い込んだ。



「‥‥‥っ!!うっ!」



大量に吸い込んだ空気に、桜子は噎せ、身体をくの字に折り曲げて咳き込んだ。



「‥‥‥貴女は童ですか?」



耳に心地良い美声には、確実に呆れの感情が込められている。

なのに、背を擦るその手は優しい。


やがて咳も治まり、桜子は顔を上げる。
‥‥‥こちらを見下ろす眼が、安堵で緩むのを確かに見た。

途端に桜子の胸が大きな音を立てる。





全身が脈打つ感覚。

顔が熱くなるのは何故。



「あ、ありがとう‥‥‥惟盛殿」

「‥‥‥‥‥‥本当に‥‥‥貴女から眼が離せませんね」

「‥‥‥えっ」





つい、と慌てて桜子から眼を逸らす惟盛の頬が、赤く染まる。
まるで失言を誤魔化そうとするような動作。



桜子は眼を見張ったまま、その場に固まっていた。




惟盛は今、何と言ったのか?

新婚とは言え、既に幾夜も共に過ごしている。


送られる後朝の歌は、情熱に溢れているのに。
当人の口からは、甘い囁きなど皆無だった。






―――貴女から目が離せません―――








再び全身に熱が生じる。








恋など絵物語の中のこと。

政治としての婚姻には不要。







そう思っていたのに、

いとも簡単に高鳴る鼓動。




 



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