翌朝
「桜子様、お起き下さい。桜子様!」
「‥‥‥んぅ‥まだ寝たい‥‥」
「なりません!」
ここは藤原のお邸ではないのですよ!と声を荒げている瑠璃を、薄目を開けて桜子は見上げた。
そう言えば何故ここに‥‥‥と思考を巡らせる。
だが。
「瑠璃ぃ。私何故ここにいるのかしら?」
「‥‥‥早速呆けてしまわれましたのね。お可哀相な桜子様」
溜め息を吐きながら肩を落とす瑠璃に、ああそうかもね、と軽く返しておく。
‥‥‥思い出した。
『貴女の方こそ、その不躾な言い様を何とかなさったらどうですか?舞う姿は天上の桜精の様なのに、口を開けばこれですか?全く残念な事ですね』
「‥‥‥言ってくれるじゃない」
「桜子様?」
悔しさを浮かべながら身を起こした主に単衣をかけてやりながら、瑠璃は問う。
「いいえ。なんでもないわ」
「でしたら宜しいのですけれど‥‥‥昨夜は参られませんでしたわね、結局」
瑠璃の言葉に束の間悩むも、直ぐに思い当たる。
来るべき筈の許婚者が、通って来ぬなど一大事。
瑠璃は桜子に付く女房であり、藤原家との文係でもある。
それ故に、昨日の‥‥‥言わば初夜の首尾を報告せねばならない。
そしてそれは、今後の両家の姻戚関係を築く上で重大な要因なのだ。
二人が滞りなく婚姻を済ますこと。
この世の常の習いとしての通い婚であれば、また違ったかも知れない。
だが、桜子は唯一人で平家に飛び込んだ。
事情により、初めから共に住む。
父の実定としてはやはり心配で仕方ないのだ。
もし、桜子が平家から浮いてしまえば。
『二度と戻って来る事は許さぬ』
なんて、嫁ぐ前日に言葉をかけて来た父だけれど、
それはきっと嘘だと桜子は分かっている。
結果、清盛に睨まれて、たとえどんなに政治的な立場が悪くなろうとも、娘を取る筈だ。
だからこそ、
「ねぇ、瑠璃。昨日の夜遅くに惟盛殿はいらしたのよ」
「‥‥‥ご冗談を」
「あら、本当よ。大体こんな事で嘘をついて、私に良い事があると言うの?」
首を傾げわざと無邪気に聞いて見る。
女房であり乳姉妹の少女は戸惑いながらも同意するしかなかった。
桜子の眼裏に浮かぶ、月明りに照らされた美しい青年。
「惟盛殿は来てくれたわ。私達は庭で出会ったの」
「左様で‥‥‥ございますか」
「ええ。とても綺麗な方だったわ」
「‥‥‥確かに、惟盛様は今世の光の君、とまで噂される程のお美しさだとお聞きしましたが‥‥‥」
その時は、彼も平家の一員だと言っていたからいい。
‥‥‥姿を見せない許婚者の代わりを押し付けても、連帯責任じゃない。
などと、気楽に思っていた。
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