初夜
「遅いわね」
「左様でございますわね。‥‥‥見て参りましょうか」
「やめてよ、瑠璃。はしたないと思われるでしょう?」
すっかり月は登っている。
六波羅邸の庭は広く、武士一門のそれにしては随分と優美だと、最初に見た時桜子は感動していた。
平家にも、雅やかさが分かる公達が居ると言う事だろう。
「このままだと寝そうだし‥‥‥庭で舞ってくるわ!」
「姫様!なんとはしたない!」
「大丈夫よ、こんな所まで誰も来やしないって!」
言うが早いか十二単の幾枚かを脱ぎ捨て庭に降り立つ。
扇を手に眼を瞑ると、浮かぶ青年の姿。
非常識な男だと思ったけれど‥‥‥
息が止まりそうになる程見惚れたのも、彼が初めてだったから。
婚礼の夜に、他の男を想うのもまた、いと美しき哉。
桜の舞
「貴女は‥‥‥」
聞き覚えのある声がした。
手を止めて目を開けると、驚愕の表情を浮かべる男が立っていた。
夢に見た姿。
「これは‥‥‥桜が見せた夢かしら?」
「は?何を惚けた事をおっしゃっているのですか?」
青年が口を開いた瞬間に、桜子は夢から醒めた気分だった。
紛れもない、実物の彼がそこに居る。
桜子はひくり、と頬を引き釣らせた。
「ちょっと、ねえ!!何なの貴方!!この前といい今といい無断で人の舞を見ないでくれない!?」
「なっ、なっ‥‥‥なんとっ!?貴女が勝手に人の前で舞っているだけでしょう!?大体此処は私も住む邸なのですから、不法侵入の貴女はさっさとお帰りなさい!」
「黙って聞いてれば酷い言い様ね!私は今日からこの家の一員になったのよ!だから此処は私の庭でもあるの!本当に不躾な方ね!それよりも勝手に舞を見ないでよ!」
「貴女の方こそ、その不躾な言い様を何とかなさったらどうですか?舞う姿は天上の桜精の様なのに、口を開けばこれですか?全く残念な事ですね」
「うっ‥!そっちだってね!黙っていれば素敵なのに、その性格は最低ね!まずはそこからどうにかなさったら?」
‥‥‥二人の喧騒は文字通り朝まで続いた。
罵り合いながら、互いが見惚れたと暴露して居る事に、当人も、また相手も気付かないまま口喧嘩は続く。
相手が自分の許婚者だと知ったのは、翌日の夜の逢瀬での、事だった。
前 次
表紙