陽炎 連載中 (1/2)

 



「ゆき殿。どうかなさいましたの?」

「あ、紫姫と深苑くん。おはよ」


名前を呼ばれた少女が、世話になっている邸の主達を振り返ると、にっこりと笑った。
呼び止めたのは、十歳になるという双子。

一人は紫の長い髪を一部結い、小袿を見に纏う姫。
柔らかい笑みが見る者を和ませる、そんな優しい少女。

そして対照的なのは隣に立つ少年。


「お主、また外に出るつもりなのか」

「うっ‥‥そんな事はないよ‥‥」

「幸鷹が探していたのだ。朝餉の刻限になっても室におらぬと」


紫姫とそっくりの可愛らしい顔立ちなのに、似合わぬ渋面。
水干姿が何とも言えず凛々しくて‥‥‥

いや、ゆきには凛々しく映っている訳ではなかった。


「‥‥‥聞いておるのか?お主はまだこの世界に慣れておらぬ。一人で出るなと何度も、」

「可愛い」


深苑の背に何やらぞくりと、悪寒めいた物がはしる。
手がすっかり乙女組みになったゆきの眼が、キラキラ輝いているから。


「‥‥っ、ゆき、やめ」

「深苑くんも紫姫も可愛いーっ!!」

「――っ!!」

「きゃっ」



深苑は目を白黒させている。
それもそのはず。

どちらが子供なのか、そう思う程に顔を輝かせたゆきに、紫と二人抱き締められていたから。


「や、止めろ!どうしてお主はいつも!」

「大好きだからー!」

「まぁ、ゆき様‥‥‥」


元宮ゆき、双子に夢中な至福のひととき。

深苑が真っ赤になり紫がはにかむ。
それがまた可愛くて、堪らなくなった。


「‥‥‥‥‥‥」


‥‥‥けれどそのうち、ゆきは二人と同じ位の存在を思い出す。

人では無いけれど、優しくて小さかった‥‥‥白い龍神のぬくもりを。


「‥‥‥気は済んだのか?ならば離せ」

「‥‥‥あ、ごめんね。そうだった、幸鷹さんが探してるって、何でかな?」

「ご用向きまでは存じておりませんが、まだお待ちしていると思いますわ」

「分かった、じゃ戻ってみるね」


相変わらず渋面の少年と笑顔を浮かべる少女に手を振って、ゆきはパタパタと渡殿を走った。


「一時は沈んでおられましたけれど、本当にようございました」

「‥‥‥あの者のせいで気の休む暇すら失せた気がするが」


ほぼ毎度、強烈な抱擁に諦めた心地の兄を見て、紫は忍び笑う。

白き龍神の神子によって、京に平穏が訪れたからこそ愛しい‥‥日常。












「幸鷹さん、すみません!!」

「いいえ。どうぞ顔を上げて、中へお入り下さい。とは言え女性の部屋に失礼させて頂いているのは、私の方ですが」


走って息切れしたゆきを見て、幸鷹は穏やかに笑う。
女房に用意された茶器を前に、手にした書から顔を上げて。

正面の畳に腰を落とすとゆきは彼の手にある書物に眼を落とした。


「幸鷹さんは本当にいつも読書してるんですね」

「知識を得るのは良いことです。貴女も読書はお好きですか?」

「う〜ん。京‥‥あ、私がいた京なんですけど。そこでは色々と読まされました」

「そうですか。厳しい先生がいたのですね」


ゆきの苦虫を潰した表情を見て幸鷹がクスクス笑った。
つられてゆきも吹き出してしまう。


「うん、弁慶さんは厳しいですよ。でも字が読めなかった私の為に、読みやすい本を探してくれたり、根気良く教えてくれたし‥‥あと、九郎さんも口煩いけどいい先生でした」

「弁慶殿、と仰るのですか?五条の伝説で有名な武蔵坊弁慶と同じ名ですね。だとすると、九郎殿はさしずめ源九郎義経、でしょうか」

「はい、本人です。有名人ですもんね‥‥‥って、あれ?」

「どうかなさいましたか?」

「いえ‥‥‥」


一瞬引っかかった疑問は、幸鷹の問い掛けで霧散した。


(ま、いいか。何だったかまた思い出すよね)


幸鷹の綺麗な指先が茶器に触れ、優雅な所作で注がれた器をゆきに手渡す。


「今日はお仕事が終わるの早かったんですね」

「急いで片付けましたから。宜しければ今日も、ゆき殿の世界のことを教えて下さい」


知的好奇心が旺盛な幸鷹が微笑ましくて。
ゆきは大きく頷いた。


「もちろんです。今から?」

「ええ。お願いします」











新しい世界。

新しい神子。


新しい八葉に出会って、十の夜を数えた。












「‥‥‥で、怒った有川くんは次の日にお弁当を作る気が失せて、将臣くんは仕方ないからパンとコーヒー牛乳を買って食べてました。たまにはこれでいいんだよ、って言って」

「それは将臣殿も災難でしたね」

「仕方ないと思います、多分有川くんに余計なことをしたんだもの。お弁当を拒否されるなんてよっぽど怒ったんだねって望美ちゃんも驚いていましたから。将臣くんは平然としてたけど」


時間を忘れ話し込む。
幸鷹がとても聞き上手だったから、ゆきも昔を思い出しては溢れる様に言葉を紡いだ。

その一言一言を聞き逃さず、丁寧に相槌を打ってくれる事に、更に意欲が沸くのも事実。


「いつも手料理を食していると、時には軽い食べ物が恋しいのかもしれませんね」

「う〜ん‥‥‥痩せ我慢に見えたけどなあ」


首を傾げて人差し指を唇に当てて。
そうして懐かしむ様に視線を上向けるゆきを、幸鷹は微笑ましく思った。

花梨とはまた違った視点で、未来の話を聞かせてくれる。

生き生きと語る高校での生活。
その話にいつも出てくるのは、彼女が慕っている三人の名前。
聞けば、未来の「京」を救うために世界を跳んだ白龍の神子と天の青龍と白虎らしい。

プライベートの事はあまり話さないものの、学校での事はよく話してくれる。
まるで幸鷹自身が校舎に居るような錯覚をさせるほど、くるくると表情を変えて‥‥‥。


「幸鷹さんって随分と詳しいんですね。花梨ちゃんにもいっぱい聞いていたんですか?」

「何が‥‥‥ですか?」


自身の思考に入り込みそうになっていたことに気付く。
幸鷹に話しかけたゆきは、彼の少し驚いた表情に驚いていた。


「高校のこととか、あっちの世界のこと。パンが軽い物だと言うし。あとこの前もスキンダイビングの‥‥‥発音が綺麗だったし詳しいから」


未来の資料なんかないはずだから。
前々から疑問に思っていたことをゆきは訊ねた。
そう、未来の‥‥それも、時空すら違う現代のことなど資料として残るはずがない。
それなのに、淀みなくカタカナ語や英語を話し、まるでそれを「知っている」かのように返してくるなんて不思議だ。

現に彰紋やイサト、勝真や双子など割と仲良くなった彼らに同じ事を言っても不思議そうな顔をされる。

それが、九郎達の待つ「京」でも普通の反応なのに。


「ええ。まぁ‥‥‥」


幸鷹は語尾を濁らせ曖昧に微笑む。

どうやらこれ以上は話す事はないらしい。
滑るように、彼の指がそっと眼鏡の中心を押し上げた。


「‥‥‥幸鷹さんは、フレームなしの眼鏡なんですね」

「私は?フレームがどうかされましたか?」

「‥‥‥あ」


幸鷹の言葉にハッと我に返る。
咄嗟とはいえ、何を言い出したのだろう。幸鷹に向かって。

きっと今の自分は、奇妙な顔をしてるはず。


「‥‥な、何でもないです。すみません」

「いいえ。長くお話をさせてしまったのでお疲れでしょう。私の方こそつい夢中になってしまい、申し訳ありません」

「とんでもない!楽しかったです」

「‥‥またこちらに伺っても良いでしょうか?」

「はい、もちろん」


ありがとうございます、と幸鷹はにこやかに御簾を捲って退室していった。

それを見送って、ゆきは深い溜め息とともに脇息に凭れる。









「‥‥‥未練がましいな、嫌になっちゃうよ」








幸鷹に時々、見惚れてしまう。

眼鏡を押し上げる、手なんか見るともう‥‥‥。


「なんで時々、有川くんにそっくりになるんだろ、幸鷹さん」


同じ天白虎だから、とか。
生真面目なところが似てる、とか。
眼鏡とか。


‥‥‥錯覚しそうになる。




to be continued

  

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