隠詩 (2/4)





「彰紋くんのお兄さんが今の帝なんだ?」

「うん。本当は帝の上にもう一人お兄さんがいたらしいけど、早くに亡くなったんだって」


同じ時代から来たもの同士、あまり貴族の事情に興味が無い。
女房に聞かれたら「不敬」だと叱られるから、花梨とゆきは声を潜めて話し込んでいた。

「ふぅん‥‥‥どっちにしても本当は遠い存在なんだね。なのにあんなに親切で優しいなんて、人間が出来てるなあ」


身分なんて関係なく、彰紋はとても優しい。
実際、ゆきに幾度となく香の手解きをしてくれているのだから。

感心していると、ふぅ、と花梨が溜め息を吐いた。


「なに?」

「‥‥‥‥ゆきちゃん、それ彰紋くんに言わないほうがいいよ」

「へ?それって何のこと?」

「彰紋くんが遠い、って事‥‥‥ええと、傷つけるから」

「大丈夫!言わないよ。彰紋くんの良さは身分じゃなく中身だって分かってるって」

「えー‥‥と‥‥」



今まで色々と話してきたのだ、花梨は気付いている。
ゆきは果てしなく天然だと言うことを。



泰継が以前彼女に付いて話してくれた。
強い霊力を持っていると。

けれど、正直言ってそれが目の前の少女の事とは結びつかない程に、頭に「ど」が付く天然だと思う。


「本当に立派で優しくて、鑑みたいな人だよね」


‥‥‥誰だ。
雛鳥のような彼女に、彰紋の印象を植え込んだのは。


「‥‥‥そんな都合の良い事言うの、本人しかいないか」

「‥‥‥花梨ちゃん」

「あ、ごめん。なんでもない独り言だから」


ゆきの眉間が寄せられる。
てっきり花梨は、今の発言を聞きとがめられたと思っていた。


「今日はどうしたの?独り言が多いね‥‥‥夏バテ?」

「‥‥‥‥うん。もうどっちでもいいかな」

「?」


(‥‥‥‥頑張れ)



花梨がそっと祈った相手はゆきでも彰紋でもなく、赤髪の第三者だったり、する。


















「そういえば、彰紋くんは沈香が好きなの?」


本日は聞き香を致しましょう、と彰紋が持参したのは漆塗りの箱。

乱箱と呼ばれるそれを開け、中身を丁寧に広げている時の一言に、彰紋の手が止まった。


「‥‥‥よくお分かりになりましたね。他の草花と混ぜたりもしますが、沈香を基礎に組むことが多いんです」

「やっぱりそうなんだ!」


二人で、にへらっと笑う。
周りに花でも散りそうなほど、平和な笑顔。


「はい。沈香をお分かりになるなんて、ゆきさんは鼻がとても良いんでしょう。僕も教え甲斐があります」

「え?‥‥あ、違う違う!翡翠さんがね、教えてくれたの」

「‥‥‥翡翠殿?」

「うん。翡翠さんも香にも詳しいらしくてね。彰紋くんの腕前はなかなかだって言ってたよ」


(二人が聞き香ってのをしたら面白そう)


打敷という敷物を敷いて、香盤をその上に置き、更に菊の形をした小さな皿を幾つか上に並べてゆく。

彰紋のゆったりした優雅な手付きに見入りながら考えていたのは、ある意味「世紀の対戦」の結末だったりする。
翡翠と彰紋と、香合わせをしたらどうなのだろうと。

‥‥‥つまりゆきは、彰紋の表情など見ていなかった。



「‥‥‥香も、ですか」

「へ?なに?」

「いいえ。お待たせしました」

「あ、そうだ。先生!」

「はい。ゆきさん、どうぞ」


元気よく手を上げたゆきを笑顔のまま促す。

手は、総包と呼ばれる香包を収納している布を開き、数種類の練香を確認しながら。


「先生、イサトくんも呼びませんか?」

「‥え?イサト、ですか?」

「うん。さっき邸に来たみたいだし。イサトくんの気を感じたから」














彰紋が珍しく、固まっていた。












(‥‥あれ?仲良しだと思ってたんだけど‥‥やっぱり気が散る、とか?)



「ご、ごめんね教えてもらう立場なのに!」

「いいえ。貴女が宜しければイサトをお呼びしましょう」

「うんっ!じゃ、呼んでくるね!!」


ぱたぱたと軽い足音を立てて御簾の外へとゆきが出る。




「‥‥‥‥‥‥」




尚も練香を確かめながら‥‥‥
彰紋は、溜め息を吐いた。











「何だってこの俺まで、貴族のお遊びに付き合うんだよ?」

「イサトくんだって来るって行ったくせに」

「‥‥‥すみません、イサト」

「い、いや‥‥‥いいけどよ」


なんだかさっきより、室内の気温が下がった気がする。

‥‥いや、気のせいだろう。

風邪でも引いたかもしれないし、とか思いながらゆきは示された場所に腰を下ろす。


彰紋を挟みコの字型に、機嫌の宜しくないイサトと向かい合った。


(そんなに貴族が嫌いなんだ。強引に引っ張って悪いことしちゃったな)


「ごめん、イサトくんも楽しめるかなって思ったんだけど‥‥私みたいに」

「‥‥‥別に。気にすんな」


ゆきがイサトに謝れば、物凄く不貞腐れながらも取り敢えず頷いた。


「ゆきさんは‥‥楽しいんですか?」


イサトとは正反対の、柔らかい声が割り込んだのはその時。


「え?うん。彰紋くんが丁寧に教えてくれるから楽しいよ」

「‥‥香が、楽しいんでしょうか?それとも‥‥」

「それとも‥‥?」

「何でもないんです。始めましょう」

「‥‥‥?」


どうしたのだろう。
今日の彰紋は何か‥‥‥変だ。


試香を焚きそれを嗅いだ後、本香を焚き始める彼をゆきはじっと見つめた。


何となく思いつめているような気がするし、元気が無い気もする。


「本香焚き終わりました。どうしますか?イサト」

「俺にはわかんねぇからいいぜ」

「そうですか。では、ゆきさん‥‥‥」

「ありがとう」


はい、と彰紋が手元に置いた香炉を、礼を言いながら手近に寄せる。

持ち上げ鼻を近づけるゆきの手を、待ったと言わんばかりに掴んだのは彰紋。

イサトに背を向けて、彼の耳に入らないように、そっと囁く声音で。


「もしも、ゆきさんのお答えが間違えていたら、僕の願いを一つだけ叶えていただけませんか?」

「‥‥‥私が?私に叶えられるお願いなの?」

「ええ、貴女にしか叶えられません」

「う、うん。わかった」




‥‥‥正面から、紅い髪の少年の鋭い視線を感じる。

ゆきは慌てて香炉を持ち直して手を窄めて。
ここ暫くで彰紋に教えられた作法で、香を「聞いた」。



「‥‥‥ん?」



(えええーっ!?初めての香りなんだけど彰紋くんっ!!)



「ゆき、分かったのか?」

「‥‥‥‥ゆきさん?」


二人がこちらに注目している。
イサトは「分かるのか?」という好奇心と、若干心配そうに。



そして彰紋は、純粋に心配そうな表情で
‥‥‥ゆきの戸惑いなど、気付いてないようだ。

香には多種あるのだ。
ゆきがまだ習ってないものを習ったと勘違いをしたのかもしれない。

仕方ない、と素直に諦めることにした。


「あの‥‥‥‥‥分かりません、ごめんなさい」





ふと、彰紋が天使みたいに、笑った。





「イサト、香合わせは終わりました。どうしますか?」

「遅くなっちまったから帰るけどよ、お前はどうする?」

「僕ですか?片付けたら帰ります。あまり長居してゆきさんのご迷惑になるといけませんから」

「そっか。じゃぁまたな、ゆき!」

「うん、またね」



御簾を潜ってイサトの足が遠退く。

それが消えるまで耳を傾けながら、二人は片付け始めた。





道具を全て総袋に包む。
上品な黄土色に赤茶色の刺繍が、滑るように綺麗な絹地。
ひんやりした触り心地が気持ちいい。



「お願いってなんなの?」



手違いで答えられなかった、なんて言えない。
彰紋を責めているみたいでそんなの好きじゃないから。

答えられなかったのは事実だから、ゆきは率直に聞いた。



「‥‥‥ゆきさん。難しい事を承知でお願いします」



真面目な顔して、ゆきの両手を押し抱いて。


逸らせない、明るい色彩の瞳。


ゆきの胸がドキドキと落ち着かない音を立て始めた。










「‥‥‥僕を、好きになってください」







「‥‥‥‥‥‥‥へ?」











 

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