陽炎 連載中 (2/2)
───彼を諦められたら
次は私、どんな人に恋するんだろうって
切なさの後にいつも、そんなことを考えていたんだよ。
ゆきが幸鷹に乞われ元の世界の話をするのは、これで何度目だろう。
藤原邸の居候になってからというもの、ほぼ日課と化していた。
今日もまた多忙の合間を縫って、幸鷹は彼女に会いに来る。
その様子は誰が見ても楽しそうで。
そしてゆき自身も幸鷹との話を楽しみにしていたりするので、この機会が減る事はなかった。
「‥‥でね、望美ちゃんが張り切っちゃって。将臣くんとクロールで競争をしたらしいんだよ。学年が違うから私は見られなかったけど」
「誰も止めなかったのですか?授業中でしょう、教師に叱られるのでは」
「うん?止めなかったんじゃないかなぁ。あの二人はいつもそんな感じだったから、回りも慣れてるんだと思うよ?」
「成る程。望美殿も将臣殿も素晴らしい方なのですね」
「‥‥‥へっ?」
意外だと言いたげに、ゆきは眼を丸くした。
ゆきが驚いたのは幸鷹の言葉から。
体育のプール授業の話をしている最中に脱線して、一つ先輩の二人の話にレールが切り替わっていた。
そんなことはいつもなので、幸鷹も慣れている。
(今の話のどこから「素晴らしい方」がでてくるんだろう‥?)
確かに、すごくすごく素敵な人たちだけれど。
きょとんと首を傾げるゆき。
正面で困ったように笑みを浮かべている青年の真意を窺った。
「ゆき殿から、いつも大切そうにお名前が零れるのです。貴女がそれ程尊敬されている方々ですから、きっと素晴らしいのでしょう‥‥と申し上げたかったのですが」
「‥‥‥今までの話聞いてて思うでしょ?二人ともたまにぶっ飛んでるって」
「ええ。私が近くにいれば小言の一つや二つ零さずに居られないだろうと、ゆき殿が密かに思われていることも」
「なっ、なんでそれを!」
ゆきの表情が分かりやすいからだ。
と、誰もが思う事実を告げず、幸鷹は眼を緩める事で答える。
その顔はちっとも怒っていないからゆきはほっとした。
決まり悪く笑った所で、視線が幸鷹の眼差しとぶつかって‥‥‥ゆきの胸がぎゅっと締め付けられた。
「うん。素敵で‥‥とても大好きだった」
無意識に滑り落ちた、本音。
大好きだった。
望美も、将臣も、そして‥‥。
『‥‥‥元宮』
想いを告げる事無く離れた彼を。
「っ!ゆき殿!?」
「‥‥‥‥えっ、」
何故か慌てた幸鷹の声にびっくりした。
つい今とは打って変わって引き締まった彼の口元。
(あ‥‥)
どうしたの?と聞こうとして。
けれどその前に、頬に熱い何かが伝っている事に気付く。
慌てて俯き、もう遅いと知りつつ必死で瞼を擦った。
「ごめんなさいっ」
「いえ‥‥私なら大丈夫ですから」
‥‥突然泣くなんて最低だ。
幸鷹もさぞ困っただろう。
これ以上泣く事だけは許せない。何とか堪えて俯く。
「故郷が、恋しくなったのですね」
頭の上から降ってきた声に、ゆきは俯いたまま首を横に振った。
生まれ育った世界も、そして弁慶や朔達と出会ったあの世界も、確かに恋しい。
帰れるか分からなくなった今、夢に時々見てしまうほど。
ホームシックだと誰かに指摘されれば否定できないだろう。
「‥ち‥がう‥‥」
───恋しいのは、故郷よりも。
「ゆき殿?」
これ以上幸鷹に名前を呼ばれると崩れそうになる。
その声で、彼にそっくりな生真面目な口調で。
なのに彼とは違う話し方で呼ばれると。
いつもは大丈夫なのに。
間違えない為に、彼との「相違点」ばかり見ていようとしてきたから。
たまに不意打ちにひるむ事があっても、気付かぬフリも上手になったつもりでいた。
幸鷹は幸鷹だと。
重ねてしまうのは失礼なのだと。
ちゃんとわかってる。わかってる。
なのに‥‥‥。
「ごめんなさい‥‥ごめんなさい‥っ」
「私こそ、貴女を困らせるつもりはなかったのですが‥‥すみません」
「え‥」
そっと耳を打ったその言葉は、少し掠れたようなおかしげな響きを持っていた。
彼を見れば、小さく、笑っていて。
「‥‥貴女の想う誰かと、私が、似ているのでしょう?貴女の記憶を混乱させてしまっているのですね」
「‥‥っ!?」
‥‥息が止まるかと思った。
幸鷹に、気付かれていたのだ。
彼と幸鷹を繋げて見てしまった、この浅ましい心を。
「幸鷹さん‥」
恐る恐る顔を上げる。
幸鷹は少し傷ついたような眼をして、それを隠したかのように小さく微笑していた。
記憶のどこにもない表情。
‥‥‥思えばこの時
初めて、彼を見たのかもしれない。
to be continued
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