隠詩 (4/4)







うろ覚えで焚いた香は、それでも上手く焚けた。

彰紋の手解きを受けると聞いた女房が持ってきてくれた香箱から、練り香を一つづつ手に取り嗅いでゆく。


そうして火を付けて今、香を「聞いて」いるのだけれど‥‥‥。



「‥‥無意識に選ぶ私って、何なんだろ‥‥」




菊の花の匂いが広がる。





気高い日輪のようで、慈愛を感じさせる

‥‥‥彰紋の衣に薫き染められた、匂い。






久しぶりに嗅いだら、胸が少し痛んだ。

























「あれ?花梨ちゃんは?」

「神子様は彰紋殿とイサト殿とご一緒にお出かけになられましたわ」

「そうなんだ‥‥‥もしかして怨霊?」

「はい。一条戻り橋に現われた怨霊を封印なさる為に」

「そっか‥‥‥」



(じゃ、しばらくは帰ってこないかな)



今日こそは勇気を出して、話しかけようと思ったのに。
どうもタイミングって上手く噛み合わないらしい。


紫姫の言葉にホッとしたような残念なような、複雑な溜め息を落とした。


それは、彰紋と最後に会った日から最初に迎えた満月の、翌朝だった。



「ところで紫姫、今日は深苑くんと一緒じゃないんだね」

「はい。兄様は今、清めの花を作っておりますわ」

「清めの花?‥‥‥もしかして、花梨ちゃんの?」



ゆきは初耳だが、「清め」というからには、花梨に関するものだろうと思った。

案の定、目の前の姫が頷く。


確かに、ゆきの知るもう一人の白龍神子――望美と比べると、花梨の気は不安定だと感じる。


それは花梨の神子としての力が低いのではなく、この京全体の龍神の気が不安定。
それ故に身中に穢れが溜まっていくのかだろう。


清めの花とはきっと、その穢れを浄化するものなのだ。


「深苑くんにも会いたかったけどな。仕事の邪魔しちゃ悪いよね」

「まぁ、ゆき殿。兄様を気にかけてくださってありがとうございます。私から何か言伝いたしましょうか?」

「うん!深苑くん大好きっ!ってお願いね」

「はい、かしこまりましたわ」

「もちろん紫姫も大好き!」

「‥‥まぁ」


にこにこと嬉しそうなゆきが、少し照れた紫姫をぎゅっと抱きしめ頬擦りする。
後ほど彼女の伝言を聞いた深苑が心底嫌そうな表情をすることは‥‥‥二人にはどうでもいいことだった。


そうやってじゃれていれば、胸のつかえが取れる気がした。




















邸がざわめき出したのは太陽が高く上った時だった。



珍しく足音を立て、女房達が回廊を走って行くのを、いつものスポットに座るゆきが気付く。
あまりの慌てっぷりにちょっと声を掛けずにはいられない。



「どうかしたんですか?」

「ああ、ゆき様!神子様方がお怪我をっ‥‥!!」


それだけ言い置いてまた走っていった。



「花梨ちゃん達が怪我?‥‥ってまさか!」












『神子様は彰紋殿とイサト殿とご一緒にお出かけになられましたわ』

『はい。一条戻り橋に現われた怨霊を封印なさる為に』















ゆきの足も床を蹴る。

もともと走りが早いわけでもない。
それでも先の女房を追い越したのは、女房装束と軽装の違いだけなのか。


裾が捲れて足が見えるのも、思い切り足音を立てているのも気にしなかった。




「彰紋くん!花梨ちゃんイサトくん!!」

「あ、ゆきちゃん?」

「おう、すっげぇ足音立てて走ってよ。どうかしたのか?」

「‥‥‥あ、れ?」



急に止まったから酷い動悸に襲われている。


どこに行けば分からないから、取り合えず花梨の室に来てみれば、二人はゆきを見上げていた。

花梨は無傷なようだが、イサトの足元で二人の女房が手当てをしている。
彼にはそれが不服なようで時折何か言いたそうにに顔を顰めていた。



「怪我‥‥」

「あ、ああ‥‥まぁ、ちょっとな。大したことねぇよ」

「私を庇ったから、二人とも‥‥‥」

「ちょっ、ばっ、気にすんなって!あれだ‥‥お前を守んのが八葉の役目なんだからよ」

「‥‥‥ごめんなさい」

「もういいって!謝んなってさっきから言ってんだろ?大体お前が封印してくれたお蔭であの怨霊はもういなくなったんだからよ」




花梨が気落ちしていて、今にも泣きそうに謝っている。

そしてそんな彼女をイサトが宥めていて。




いつもなら誰かしらいる筈の他の八葉の姿が見当たらないけど、もうそろそろ集うはずだろう。





それよりも、ゆきの頭を占めていたのは唯一つの、事だった。






「‥‥‥彰紋くんはどこ?」








‥‥‥どうしてだろう。

酷く、気が重い。





「‥‥‥」

「‥‥‥ゆき、あのよ」





彼の名を出した途端に俯くから、妙に胸が騒ぐ。




「彰紋くんも一緒だったんだよね?」

「うん‥‥。あのね、彰紋くんが一番酷くて、意識がほとんどなくてね‥‥‥イサトくんがおぶって帰ってくるはずだったんだけど」

「帰り道に、あいつにべったりな貴族の若様とたまたま会ってよ、血相変えて牛車に乗せられてった。今頃‥‥‥」







      足元が崩れそうな、錯覚

      妙に  クラクラする








「多分、東宮御所に運ばれたと思うけど、かなり酷い怪我で‥‥‥って!ゆきちゃん!?」



再び足音がしたと思ったら、そこにいたはずのゆきの姿は消えていた。

















「‥‥はぁっ‥はっ‥‥っ!もう!なんでこんなに御所って広いの!?」



邸から出て、覚え始めたばかりの京を走った。
多分、彼の住む東宮御所にいる筈。
そう思いながら。


藤原家の客人とは言え殿上人でもなければ皇族の娘でもない、ただの女。

そんなゆきの身分で、東宮に目通りが叶うなんて考えてもいないけれど。


それでもせめて、門前にいる舎人にでも
彰紋の容態を尋ねられたなら‥‥‥。









‥‥‥謝りたかったのに。


『本気に取れないよ』
って言ったことを。
心無い言葉で傷つけてごめんって。

そして、ちゃんと言いたかった言葉があるのに‥‥‥








 









一縷の望みをかけてさっきから気になる建物に近づくも、
誰の邸か?と奇妙なことを問う怪しい娘など相手にするはずもない。
舎人には一瞥で無視されるか、追い払われるかしかなかった。


挙句の果てに、さっき怨霊が出たからか、通りには人の子一人存在しない。



こんなに広い建物ばかりだと、どこに東宮御所あるのか分からなくて。





随分あちこち辿って、涙か汗か、視界が良く見えなくなってごしごしと手で擦る。


その中でもひときわ大きな建物の門が見える大通り。
そこに力なく座り込んだ。



初めから、聞けばよかったのに。紫姫か幸鷹にでも。

東宮御所がどこかを。






(‥‥ううん、本当はそうじゃなくて、もっと前)



こんな風に泣いてしまう位なら、初めから。



「ちゃ、ちゃんと素直に言えばよかった‥‥!!」

「‥‥‥誰に何を、仰りたいんですか?」

「彰紋くんにね、ちゃんと考えるって。それから‥‥‥」

「それから?」

「それから‥‥‥


‥‥‥‥‥‥‥え?」





顔を上げて最初に目に付いたのが、手。

見覚えのある、明るい色の袖。





目線をゆっくり上に辿っていって‥‥



「‥‥‥怨霊?」

「‥‥いえ、彰紋です」

「‥‥‥は?」

「本当に良かった。貴女が来て下さらなかったらどうしようかと思っていたんです」



いつの間にか夕焼けになっていた空。

ゆきに手を差し伸べる少年を茜色に染めていた。




それは、確かに今
逢いたいと思っていた人で。


確か大怪我をしていると聞いていたはずの人で‥‥。


(‥‥‥あれ?ピンピンしてる?)



「イサトと花梨さんは上手く説明できないだろうと知っていましたし‥‥」

「ちょ、ちょっと待って!あの、さっぱり話が見えないんだけど‥‥‥‥彰紋くん、だよね?」

「はい。僕は彰紋です」

「‥‥‥怪我?」

「イサトが丁度怪我をしていたので、話を合わせて貰いました。貴女が僕を少しでも思ってくれるなら、きっと来てくれると思って」

「なっ!なんなのそれ!?すっごく心配したんだよ!!」



彰紋の手を思い切り払い涙目でゆきが叫ぶ。

どれほど心配させたか。
どれほど後悔したか。それを彼は知ってしたのだということに腹を立てた。



「信じられない!彰紋くんのバカ!!」

「すみません‥‥最後の賭けだったんです。けれど貴女を泣かせてしまうなんて‥‥」

「な、泣いてなんかないよ!」

「ゆきさん‥‥‥」


影が落ちた。

否、影でなくそれは彰紋が座ったからだと気付く。



躊躇いがちに頭を撫でてくる優しい手つきに零れそうなのは、悔しいのとホッとしたのと、言いようのない涙。

でも、泣くことは癪に障るから、ゆきは必死に歯を食いしばった。


















「ところで、何であんな言い方をしたの?‥‥す、好きになって、って」



しばらく撫でられるまま大人しくしていたけれど。
口を開いたと思ったら、率直過ぎる質問に彰紋は苦笑した。



「それは‥‥‥」

「?」

「‥‥イサトと約束をしていたんです。だから、はっきり貴女を好きだとは言えませんでした」



素直に伝えていれば、ゆきさんにもっと早く気付いて貰えたのかもしれないんですよね。

そう付け足す彰紋に、ゆきは真っ赤になりながらも問いを重ねた。



「約束?そう言えば前もチラッと言っていたけど‥‥何?」




‥‥‥聞くんじゃなかった。

後悔したのはこの後、すぐのこと。






彰紋の満面な笑顔が天使のようなのに何故だろう。




梶原邸に寝食を共にしていた魔王、もとい軍師の青年を連想させたから。







「恋を応援する代わりに、イサトには僕の言うことを聞いてもらっていたんです」

「へえ‥‥‥って!!なにそれ?何かがおかしくない?」

「イサトですか?ゆきさんに始めてお会いした時に真っ赤になっていたんで、僕、助けてあげたかったんです」


「ふ〜ん、優しいね‥‥って!わ、私に会って?‥‥‥‥てゆうか言うことを聞いてもらうって何!?

‥‥ああもう!!何からツッコめばいいのかわかんないっ!!」


「どうか落ち着いてください、ゆきさんは笑っているのが一番可愛いんですから」

「あっ‥‥‥」




彰紋はゆきの両手をぎゅっと握って、自らの口元へ近づける。

ほんの少し掠めるように指に触れた唇。
まるで宝物を扱うような‥‥。



鼓動が跳ねたこれは、恋から生まれたものなんだろうか。





「イサトには正直に話しました。僕は、いつの間にか貴女といるのが楽しくなったと。応援はもう出来ないと」

「‥‥‥えーっと‥‥」


手を握られたまま、離れない。
頬が熱くて、目の前の彰紋の頬まで赤くて。

それが更にゆきの鼓動を速くした。



「ゆきさん、僕のことを真剣に考えて下さるんですよね?」

「‥‥‥う、うん。まぁ」

「嬉しいです!好きになって貰えるよう、僕は努力しますね」




純真なのか、そうでないのか。

天使だと思ったのに、一筋縄でいかないあたりは地朱雀だからなのか。


(早まったのかなあ)


なんて、思ったけれど。








「‥‥‥貴女のことが好きです」






その一言だけでこんなに跳ねる心は、とても正直。









‥‥‥きっと、私は

あなたの事が好きになる。


どこにも隠せないくらいに、きっと。









The end







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