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絢子が十六の春を迎えた。
健やかに、日に日に美しく成長してゆく姫君の姿は、平家一族の者達の笑みを誘う。
刀を好み漢書を読み漁る、見た目は優雅な姫。
‥‥‥半ば、苦笑を含むものではあるけれど。
今宵は夜桜を愛でる宴。
そして今は、夕暮れには幾分早い。
そんな廻廊を一人歩く重衡に、仄かな桜花の香りが届いた。
「また見事に咲いたものですね」
彼の声を聴く者はなく、けれど重衡自身も気にしていない。
庭に、今年も見事な薄紅を実らせる桜に届けば良いのだからと。
応えるかの如く、ひとひら舞うのは薄紅のかけら。
重衡は眼を細めてから、目的たる室の御廉に手を掛けた。
「失礼。支度は済みましたか、絢子」
「はい、お兄様。どうぞ」
室内から絢子が答える弾む声音。
御廉を潜り一歩中に進んで重衡は立ち止まった。
そこにいたのは、
桜重ね衣装を纏う‥‥‥一人の姫。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥お兄様?」
「‥‥‥絢子、ですか‥?」
「私は絢子ですけど‥‥どうかなさったの?」
はっと我に返った時には、真下から絢子がこちらを見上げていた。
心配だと訴える眼。
笑みが零れる。
「すみません。これほどに美しい姫をお目にかかった事がなく、つい見惚れてしまいました」
「‥‥‥まぁそんな‥‥‥‥と、照れて差し上げたいのですけど、あちらこちらの姫君と同じ事を囁かれたくはありませんわ」
絢子が拗ねて視線を逸す。
髪飾りが揺れ、ふた粒の紫玉が硬質な音を立てた。
「絢子?それはもしや、他の姫に‥‥妬いて‥」
「っ!そんなつもりなどありません!!」
絢子の怒りに染まった頬の愛しさに、重衡は上機嫌だった。
‥‥‥確かに他の姫に甘く囁いた事もある。
決して否定するつもりはない。
けれど隠された真実を、絢子が知る日は‥‥‥きっと、先だろう。
「‥‥‥私は絢子姫に妬いて貰っているのですね」
「‥‥‥っ、ですから私は!」
「ふふっ。可愛い姫に妬かれるとは、男冥利に尽きるというもの」
「‥‥‥もうっ!知りません!」
嬉しさ余りに笑い過ぎ、絢子を怒らせたようだ。
先に室を出ようとする耳まで赤く色付いていた。
御廉を途中まで巻き上げた袖を掴む。
ぴたり、と動きを止める肩を、背後からそっと包んだ。
「‥‥‥嫉妬する私を、お兄様はお嫌いになられますか?」
小さく頼りなく。
俯き加減の横顔からは表情など、見えもしない。
けれど、泣いているように思えた。
「‥‥‥いいえ。絢子が私の為に妬いてくれる事程、嬉しきことはありません」
「‥‥‥‥‥‥本当?」
「ええ、勿論。貴女は私の大切な姫ですから」
腕に力を込めれば、絢子が安堵する気配がした。
肩の力が抜けたのを感じる。
「そろそろ参りましょうか?父上や兄上がお待ちでしょうから」
こちらを振り仰ぎ微笑を浮かべる絢子の額に、素早く唇を寄せる。
「‥‥‥お兄様っ‥」
先程とは違った頬の紅を浮かべる、それが何より愛しかった。
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