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‥‥‥降る、雪

白く白く、清らかに。




消えそうな意識の中で誰かが呼んでいた。







「お兄様!!」





‥‥兄?

それは、誰のことだろうか




「しっかりなさって!重衡お兄様!!」




違う、自分は「銀」

主に与えられた瞬間に生を受けた、新しき名





否定しようとして、酷く全身が痛むことに気付いた。

まるで痛覚が、意識を浮上させようとするかのように。



「お願い‥!!」



けれどこの声は暖かく、自分を包んでいる。




闇の中で、声の聞こえる先に小さな光。

段々と丸くなり、深闇の中で灯る。





何故か抱きしめたいほど愛しくなって

腕を伸ばすとそれは簡単に手の中に落ちた。













光は弾けて、姿が消える。

身体に吸い込まれ、代わりに‥‥‥‥


置き去りにされた記憶が、想いと共に蘇っていく。






『愛しております‥‥‥重衡お兄様』






愛の告白にしては随分と距離のある、優しい言葉をくれたのは




‥‥‥‥‥絢子
















「‥‥‥‥絢子‥?」

「お兄様!?」



重い瞼をこじ開けて、銀は言葉をなくした。

痛み故ではない。
それを言うならば逆に、先程までの胸の痛みが嘘のように消えていた。
あれ程苦しんだ圧迫感も綺麗に消失していて、寧ろ清々しい心地。




絶句したのは、この身が雪に埋もれぬ為に頭を抱えてくれている娘が、泣いていたから。


‥‥‥‥忘れていた、愛しい娘。



「‥‥絢子‥」

「‥‥‥え?」

「絢子」



再び呼べば、元は菫の、今は涙で紅くなった瞳を見開き驚愕の色を浮かべた。



「まさか‥‥‥」



慄くような微かに震えている声が途中で途絶えた。


信じられぬ、と言わぬばかりの絢子。
そんな彼女の涙を拭う。
自身のこの指先もまた、震えていた。



「‥‥‥まさか、どうして‥?私はまだ、何もっ‥‥!?」

「絢子!!」



思い出した愛しさは激流となってあふれ出し、気付けば絢子を自らの胸に深く閉じ込めた。



「思い出したの‥?お兄様‥‥」

「ええ‥‥‥‥っ!!」



喉が詰まって上手く話せない。



何故、忘れていたのだろう。
何故、思い出せなかったのだろう。

三草山に居た事までは覚えているのに、その後の記憶がぼんやり霞掛かっている。
思い起こそうとすれば酷く気分が悪くなる。

それが不安を誘うから、かつて誰よりも慈しんだ黒髪に頬を埋めた。



「おにい‥‥‥‥‥重衡」



涙を含んだ声に胸が締まる。

唇を重ねる。
愛しさと空いた時間を埋めるには、ただ一度の口接けでは足りなかった。

‥‥けれど胸から身を起こして笑う絢子には、拭い切れない涙以外に再会の余韻を見せなかった。
迷いが吹っ切れたような、晴れた笑顔。



「お兄様、高館に帰りましょう。望美さんがお待ちですわ」

「‥‥そうですね。神子様をあまりお待たせ出来ません。ですから‥‥‥明日お話を致しましょう。積もる事がありますから」

「明日‥‥‥‥‥‥」

「絢子?どうかしましたか?」

「いいえ」



重衡は一旦区切り、両手を取るとそっと胸に押し抱く。
先程までの絢子の笑顔が消えていた。



「‥‥‥私は貴方を解放するために此処まで参りました、愛しいお兄様」



全てのしがらみから。
‥‥‥絢子自身から。
彼を自由にする為に、此処に来たのだと。

これだけは「今」、どうしても伝えたかった。





重衡は満足そうに笑う絢子と手を繋ぎ銀は高館に戻る。

絢子の真摯な眼の意味を、明日の朝になれば聞こうと密かに思いながら。




けれど、

彼の決意が行動に移されることはなかった。



















 






望美を高館に送った後のことだった。



「‥‥ぅ‥‥ぐっ‥!!」



銀の身をまた苦痛が襲う。

痛みにのた打ち回りそうになるのを堪えながら、手は胸元を掻き毟る。



「‥‥っ、こ、‥れはっ!!」


自分の手が肩の晒を引き千切ったその下、つまり露出した肌を見遣って絶句する。


紅く浮き出た紋様が光っている。


それが熱を持ち、銀を痛みによって締め付けて行くのだから。



「‥‥あぁぁっ!!‥ぐ、ぅぁっ‥‥‥!!」



呻き声は誰も聞くことなく、月夜に虚しく響いた。



‥‥‥忘れてしまいなさいな‥‥‥




脳裏を蹂躙してゆく女の声を、漸く思い出した。



「忘れ、る‥‥ものか‥‥っ!!」



‥‥‥忘れておしまいなさい。貴方にはまだ、やるべき事があります‥‥‥




「っ!‥‥ぐぁっ‥‥!!」



痛みは一層激しくなり、正気を保てなくなった。
がくり、と地面に膝を付く。

眼が霞み、酷い嘔吐感から何度か吐いた。

それでも抗い続けた。


もう、悲しい思いをさせたくなかったから‥‥‥





「絢子‥‥‥っ!」






‥‥‥意識を取り戻した時には再び、

全てを失った「銀」だった。






 

 
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