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「弁慶、お前は驚かないんだな」
行き先も決まった時に、将臣が弁慶に問うた。
彼が平家の人間だと知るも、顔色一つ変えないどころか、至極冷静だった人物。
「こんな時に源氏も平家もないでしょう。それに君が平家だというのは、うすうす感づいていました」
まさか還内府その人だとは思いませんでしたけどね。
そう続ける弁慶の眼を見て、どうだか、と将臣は思った。
何となくではあるが、弁慶は知っていたように思う。全てを。
落ち着いた弁慶を余所にして。
やり切れない怒りをぶつけるのは、源氏の総大将だった‥‥‥今は謀反人となってしまった人物。
「将臣っ!お前が還内府と知っていたならっ‥‥‥」
「九郎殿‥‥‥どうか‥‥この場は抑えて‥‥」
激高する九郎を、敦盛が何とか宥めようとしているのを弁慶は静かに見ていた。
「仕方ねぇさ。九郎義経と知ってたなら、俺も違ってただろうさ‥‥‥色々と」
「将臣殿まで‥‥」
言い合っても、憎みあっても詮のない事は互いが良く知っているだろう。
今後行動を共にするなら、ある程度は衝突させて毒を吐かせるべきだが、今は猶予がない。
「文字通りの呉越同舟だね。決着をつけるなら嵐が過ぎてからにしてくれないか?」
弁慶と同様の考えのヒノエが冷静に諭す。
将臣と九郎は間の悪そうな表情を浮かべながらも、我に返ったようだ。
「今は上陸できる場所があるならいくしかないだろ?」
心底うんざり、といったヒノエに内心苦笑した。
彼ばかりに纏めさせては、後々拗ねるかも知れない。
「そうですね。陸に着き落ち着くまでは抑えてください。平戸でいいんですね?」
確認と、尚一層の冷静を促すために、弁慶はもう一度行き先を口にした。
反論の声など上がるはずもない。
将臣が頷こうとした時だった。
仲間のものではなく、この場にも相応しからぬ柔らかい女人の声が遮ったのは。
「‥‥‥‥平戸に参られてはいけませんわ、将臣殿」
‥‥‥気配一つなかった筈なのに。
呆気にとられた一同が振り向く、視線の先には一人の女。
「絢子‥‥‥殿?」
「お久しぶり、ですわね。敦盛」
「‥‥‥絢子か。わりぃ、起こしちまったか?」
「‥‥‥お気になさらないで。それよりも、今、平戸に向かわれると耳に挟んだものですから」
「ああ。お前の意識がない間に色々起きちまってな」
「大丈夫です。存じ上げております」
確かについ先程まで、確実に眠っていたはず。
ヒノエ達と「事情」に付いて触れていた時には、彼女は起きた気配もなかった。
たった今起きたとしたら、「知っている」と将臣の説明を拒否する筈がない。
見知らぬ者が、早船に大勢乗り合わせているのだ。
普通なら驚くなり、説明を求める筈なのだが。
絢子にはそのどちらの様子も見受けられない。
望美や九郎達の視線をものともせずに、真っ直ぐ将臣の元に歩いてくる。
「将臣殿。平戸は危険ですわ」
「絢子、お前‥‥‥」
ここで将臣は、もう一つの違和感にやっと気付いた。
彼女が自分を「将臣」と、人前で呼んだことは一度もなかったのに。
‥‥‥一瞬伏せた眼がどこか苦しそうに見えたのは、将臣の気のせいだろうか。
「松浦党は既に懐柔されております」
「‥‥‥それは本当か?」
眉を顰める将臣の腕に触れ、絢子は真っ直ぐに彼の眼を見据えた。
何処から聞いていたのか知らないが、俄かには信じがたい一言。
だが、他ならぬ絢子が自分を欺くことだけはない。
‥‥‥信じるに値する人物だと言う事は、将臣自身が証明できる。
「どういうことか、説明してくれるよな?」
「その前に、美しい姫君を俺たちに紹介してくれよ」
流石はヒノエ、と将臣は苦笑した。
お陰で張り詰めていた空気が和らぐ。
彼女の存在が気に掛かるのは、何もヒノエだけではない。
詳しい話を聞くのは、先ず彼女を紹介してからだろう。
‥‥‥だが、この緊迫した状態なのだ。
彼女を平家の一員だと紹介することに、幾分気が引けた。
黙っているとは言え、今だ燻るものを隠そうともしない九郎がいる。
九郎が望美に対して怒鳴っているのを何度か見て来ていたのだ。
蝶よ花よと育てられてきた貴族の令嬢に、九郎の怒りの矛先を向けられては堪らない。
「ああ、彼女は 「将臣殿」」
やんわりと、だが確実に将臣を遮ると、絢子が一歩前に歩んだ。
「今さら隠し立てする必要もございませんわ。私は平絢子と申します。どうかお見知り置きを」
肩で切り揃えた髪を揺らしながら、絢子は優雅に一礼をした。
何をしているんだろう、
もうここに君は来ないのに
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