1 (1/2)
夏草の咽るほど濃い匂い。
源氏の大将として熊野別当に協力を得る為、京から旅をしてきた。
そしてようやく着いた目的地が熊野、ゆきの世界では和歌山県に当たる。
真夏の熊野は暑くて、けれど濃緑が幾分和らげてくれる。
君がいた物語 @
「兄上、はい!」
満面の笑顔。
ゆきの手にはどう見ても雑草。
渡された九郎は、首を傾げた。
宿まで後少し。
休憩を取りましょう、との弁慶の鶴の一声で、皆思いのままの場所にいる。
「なんだこれは?」
「私のわがまま、聞いて欲しいなって思ったの」
「‥‥我が侭?」
いきなり細長い雑草を手渡されても。
彼女の真意どころか、行動の意味すらさっぱり分からない。
そんな状態の九郎にお構いなく、ゆきは少し顔を染めた。
「さっき兄上、結婚するつもりだって‥‥」
「なっ!?あれはじじ、事故だ‥‥っ!」
ほんの少し前の出来事を思い出し、心の蔵が飛び出しそうなほど慌てふためいた。
事は一刻程前に遡る。
「熊野での用が済めば、兄上にお会いしてくるつもりだ」
山道を登りながら息一つ乱さずに告げれば、隣で顔を上げる気配がした。
九郎が声を潜めていたので、前や後ろを歩く他の者には聞こえていない。
、熊野で合流した有川将臣には気付かれたくないらしく、素性を隠さねばならず。
自分達が源氏である事を。
「‥‥ですが、今は事の収束に奔走すべきでしょう。兄弟の再会は落ち着いてからで良いのでは?」
ちらりと九郎を見、慎重な言葉を返した。
事の収束‥‥即ち、平家を滅ぼす事を意味している。
「それとも、九郎には大切な用があるんですか?」
「ああ、兄上にお尋ねしたい事がな」
源氏の大将として邁進してゆく為に、聞いておきたい事があった。
先日、九郎の元に極秘裏に届けられた書簡。
それ故に、弁慶には伏せておかねばならなく、曖昧に濁すしかなく。
隣の男の眼が不意に鋭くなった事など、九郎は知る由もなかった。
「成る程。とうとうゆきさんとの婚姻に向けて動くんですね?」
「‥‥はぁっ!?な、何を言ってるんだ弁慶!違う!」
突然笑いながら声量をあげた弁慶。
いきなり何故どこからそんな話題に変換したのか。
つい荒げた声に‥幾つもの好奇の視線が突き刺さるのを感じた。
「おや‥そうですか。九郎にその気はない、と」
「だ、誰もそんな事は‥っ」
「そんな事は?九郎がゆきさんを娶る気がないのなら、代わりに僕が」
「何を言っている!!」
最早、注目を浴びているのもすっかり忘れた。
誰が見ても、紅潮していると分かる表情で、しどろもどろに紡ぎ出す。
「い、いずれ俺が‥‥」
「いずれ?何です?」
「な、なななんだ、妻問いするつもりだ!」
「僕にですか?」
「馬鹿!ゆき以外に誰が!‥‥っ!?」
叫んだ瞬間、自分に向けられている視線に我に返る。
しん、と水を打ったかのように流れる沈黙。
次の瞬間、
「あ、兄上っ!?」
怒ったのか照れているのか。
大股で進むと、驚くゆきの手を掴んでずんずんと茂みの中へ消えた。
「あ!おい、九郎──!!」
「ふふっ、若いですね」
「お前もなぁ‥‥あまり苛めるなよ」
「何を言っているんですか将臣くん?九郎の事ですから、ああ言わなければ休憩する気になってくれないでしょう?」
「‥‥‥弁慶さんも、普通に休憩しようって言えばいいのに」
「望美さん、人は疲れた時ほど癒しを求めるんですよ」
弁慶の言葉を裏返せば、自分が疲れたから九郎をからかって遊んでみた、という事らしい。
「悪趣味‥」
「ありがとうございます。夕刻には町に到着するので、僕達も休憩を取りましょう。九郎にはゆきさんが付いていれば大丈夫ですから」
ぽつり落とされた望美の言葉はきれいに無視された。
そして、場所を移動した二人から冒頭の応酬らしきものがが生まれることになる。
後
戻る