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紫陽花が色付く季節。
「よく降るな」
橙色の髪を揺らして勢いよく走りながら一人ごちる。
雨に濡れながら京邸に駆け込むと、真っ先にとある部屋を尋ねた。
廊下から声を掛けると「どうぞ」と明るい声。
九郎はふっと小さく笑い、部屋の障子を開けた。
「ゆき?何をしているんだ?」
「あ、九郎さ‥‥‥「約束しただろう」
九郎がニッと笑いながら開けた戸口に凭れて立っていた。
少し照れているものの、ゆきを見る眼はこの上なく優しい。
「‥‥‥‥‥‥あ、兄上、お帰りなさい」
「‥‥‥‥‥‥‥あ、ああ。ただ今、ゆき」
心なしか九郎の頬も赤くなった。
満面の笑顔で九郎にお帰りと言ったゆきだったが、すぐに怒った表情を浮かべる。
「あ!またずぶ濡れのまんまじゃないですか!!」
「‥‥‥そ、そうだな‥‥」
「もうっ!仕方ないなぁ。
拭くものを取って来ますから上着を脱いで下さいねっ!」
ぱたぱたと元気良く走り去る背中を見ながら、九郎は一人クスクス笑う。
(ゆきには理解出来ないだろうな)
「お待たせ!って、まだそこにいたの?風邪引くから中に入って下さい」
半分無理矢理に手を引かれ、室内に入る。
立ったままの自分に背伸びしたゆきが、ばさっと頭に布を被せて拭き始める。
「いや、自分で拭くからいい」
「ダメ!この前だって中途半端にしか拭かなかったくせに」
「しかしだ「兄上?」‥‥‥‥‥‥‥わかった、頼む」
「ほんとに仕方ない人だなあ、兄上は」
「そうか。すまないな」
背伸びするゆきに配慮して座る九郎と、
溜め息を付きながら膝立ちになり、熱心に髪を拭くゆき。
普通なら甘く見えてもいい光景が
彼らの場合、仲睦まじい兄妹の様にしか見えない。
「ところで、ゆきは何を作っていたのだ?」
「てるてる坊主。知ってますか?」
「てるてる坊主?
‥‥‥あぁ、晴れる様に願掛けする物か」
ゆきは九郎の頭上で手を止め、じっと眼を覗き込んだ。
「晴れたら兄上が風邪を引く事もないでしょう?」
『妹』が自分を心配する気持ちにふっと笑う。
「なら、俺も手伝わなければならないな」
「当たり前ですよ、兄上」
背後には、丁寧に九郎の髪を櫛で梳くゆき。
気付かれない様に、九郎は小さく微笑んだ。
(お前には分からないだろうな)
『仕方ないなぁ』
この一言の為に、こうして濡れて来る事を。
てるてる坊主にお願いを
(明日は晴れますように!)
(この場合、逆さにすれば雨なのか?)
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