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それは今日の仕事を終え、茶屋で一杯引っ掛けようかと、仲間達と門を出た瞬間の出来事だった。
門戸の横で待っていたらしい数人の女達が、継信を見つけ顔を輝かせた。
そのうちの一匹の猛牛‥‥‥
‥‥‥もとい、人間の女がこちらに向かって‥‥‥‥突進してくる。
巻き起こる土煙と、地面を揺るがす轟音。
「継信様っ‥!!お会いしたかった!」
「え、はっ?あの‥」
「おーっ?継信、知り合いか?」
勿論、知り合いなどではない。
「い、いや‥」
「どうかこちらを!」
「‥ふ、文!?ですが、わわ、私にはっ」
「───九郎義経様にお渡しして下さいませっ!!」
「‥‥‥」
恐らく恋文(しかも分厚い)を呆然とする継信に押し付けると、牛‥‥‥‥否、女は用件が済んだとばかりにそそくさと帰っていく。
「もー、丸美ったら恥ずかしがりなんだからー!」
「え〜っ?だって九郎様の前では緊張して話せないんだモン☆」
「あはは、でもこれで九郎様も丸美の気持ちに応えてくれるってー!」
「やだぁ〜、恥ずかしい〜!!」
何が「モン☆」だ丸美。
何が「やだぁ〜」だ丸美。
その時その場にいた野郎共は一様にそう思った、と後に語る。
「‥‥‥」
「‥‥継信、おーい」
「駄目だ。こいつ固まってるぞ」
「無理も無い。敵襲の方がまだ抜刀できる分マシだからな」
「‥いやまぁ‥‥情熱的な姫君って事だ、継信」
「しかし、九郎様目当ての姫君もこれで何人目だ?」
「さぁてねぇ。それも全部継信が窓口だよな」
「‥‥‥‥」
「まーだ固まってるぜこいつ」
「まぁ、継信は昔からゆき殿命だからなぁ」
「──〜〜っ!?そっ、そんな!ゆき殿は関係ないだろうっ!?」
「‥‥‥やはりゆき殿の名前には反応するんだな」
今日も今日とて、優顔の佐藤継信二十三歳。
その人を安心させる容貌から、(色んな意味で)女性の人気を博していた。
継信くんの悩みB
夕暮れ
「あぁ、またですか。最近増えて困ってるんですが。継信にも苦労を掛けましたね。その文は僕が預かりましょう」
一旦邸の中に引き返した継信に、然るべき返事を書きますから、と請合ってくれたのは弁慶。
九郎だと扱い兼ねて困り果て、挙句とんでもない返事をしかねない。
そう言えば以前、弁慶の留守時に出待ちの女性に渡された文があったが。
あれはどうなったのだろう。
そんなことを思いながら、継信は弁慶に文を渡した。
「ふふっ。あの時は九郎が誤字を添削し始めていましたからね。取り上げて円滑なお断りの返事を書きましたよ」
「左様で‥‥」
何故考えが筒抜けなのかは今更問わない。
何しろ相手は、継信が慕う女性曰く『外見菩薩な魔王』らしいから。
「‥‥‥継信?」
「‥‥!!いえ、では私はこれ、これにて失礼!」
笑顔の後ろに閻魔が笑っていた。
佐藤継信。
悩みの尽きない心優しい佐藤家の嫡子。
この歳になると、流石に縁談の数は星の数と匹敵する。
いやそれは大袈裟だが、釣書を持ってくる両親縁戚親戚友人家臣上司‥‥それはそれは賑やかな周辺だった。
継信はそれらを全て断っている。
否。是が非でも叶えたい縁談は一度あったのだが‥‥‥。
「いい加減身を固めなければならぬ、か」
昨夜、とうとう父に申し渡された「最後通告」を噛み締めた、その時だった。
「‥‥ゆき殿?」
「継信さん‥‥?」
信じられない人を見た。
──こんな所で出会えるなんて。
弾む心は正直で、それだけで頬が染まる。
それも一瞬の事で、すぐに彼女の異変に気付いた。
「どうされたんですか!?」
「あはは〜、足を挫いちゃったんです。で、でもちょっと休憩したら立てると思うんで、大丈夫です」
「いけません。私で宜しければお送り致します」
「えっ!?いいですよ!お仕事終わっているんでしょ?私は一人で‥‥」
「なりません」
照れ笑いするゆきに整然と言い切って、散らばった荷を拾った。
それからゆきの腕を取り、優しく立ち上がらせて、近くにあった大石に座らせる。
「失礼‥‥腫れておりますね」
「っ、大丈夫っ、歩けます‥」
痛そうに眉を顰める娘に、束の間悩んだものの、継信は真っ直ぐ彼女の眼を見た。
‥‥‥邸に一旦戻って良かった。
こうして貴女のお役に立てるなら。
貴女を、一人にせずに済んだのだから。
「ごめんなさい。重いでしょ?」
「いいえ。これしき何の重さも感じません。戦装束よりも軽いので」
「え〜っ?‥‥継信さんは優しいな」
「いっ‥いえ、優しいなどっ‥!!」
夢のような一時。
今ならば、生きたまま極楽浄土を垣間見れる気がする。
「ところで、継信さん今日はお仕事遅かったんですね」
「‥え?いえ、そうではないのですが‥‥」
「‥‥‥‥あぁ、そっか。いつものアレかぁ」
恐らく弁慶か景時から聞いているのだろう。
継信の後頭部辺りで、小さくゆきの笑う声がした。
背中に心地好い重み。
後ろから肩に回されている腕。
女性ならではの柔らかさと聞こえた声に、思わず継信の顔が紅く染まった。
背負っているのがゆきだから。
「‥‥‥兄上、モテるもんね」
「‥‥‥九郎様は源氏の御旗印。御身分や御外見に引き寄せられる女性が多いのでしょう」
「うん‥身分もあって、恰好良い‥‥‥もんね。あ、惚気てるんじゃないんだよ!?」
「ええ、存じております」
「‥‥‥兄上はモテるし、私より身分もあって綺麗な女の人なんて一杯いるんだよね」
「ゆき殿」
「‥ごめんなさい。最近、そんなことばっかり考えてたから、つい‥‥‥継信さんには迷惑なのにね」
継信の想いを知る友人ならば、此処で口説いて見せろと言うだろうか。
‥‥‥いや。
自分達が尊敬し護り抜くと決めた総大将の大切な人を相手に、本気で継信をけしかけたりしないだろう。
それに、継信はゆきの笑顔が好きだった。
「‥‥‥ですが、誰一人として御心を知らないのでしょう。九郎様のお全てをご存知なのは唯一人なのです」
それは心からの本音。
九郎に傍近く仕えている継信には、主の心の所在だけは、胸を張って言える。
「どうか九郎様をお信じ下さい。ゆき殿が居らっしゃるからこそ、あの御方は強くあられるのですから」
「‥‥継信さん‥」
「九郎様は貴女を何よりも大切になさっております」
どうか笑顔で。
成就したいと願う気持ちは、とうに捨てている。
代わりに願うのは、大切な存在の幸福。
「‥‥‥ありがとう‥ございますっ‥」
首にぎゅうっとしがみ付かれた。
温もりが強くなって、継信の頬が真っ赤になる。
震えた声は、きっと涙を押さえているのだろう。
涙を堪えているのだろう。
継信に、負担を掛けぬ為に。
‥‥‥それでいい。
一度は縁を欲した恋しい娘の涙を拭うのは、自分じゃない。
それは、たった一人の役目。
「ゆき」
「‥っ!?兄上!」
背後でゆきが、がばっと顔を上げる気配を感じた。
声を掛けたのは、やって来たのは。
誰かなんて確認する必要は無い。
彼が今、どんな表情を見せているかも。
「弁慶に聞けばお前が先に帰ったと言われてな。探したぞ」
「う、うん、ごめんね兄上?ちょっと足を」
「ゆき殿は足を挫かれておりました」
「‥足?」
背中の重みが消えた。
九郎の腕に抱え上げられたゆきは、申し訳なさそうに眉を下げている。
「へへ、ちょっとコケました」
「馬鹿か。笑い事ではないだろう。継信が通り掛かったから良かったものの、一人でどうする気だったんだ」
「うっ‥ごめんなさい」
「全く‥‥‥‥だから一人で出歩くなといつも言ってるんだ」
その時のゆきの表情はが、継信の知らないもの。
そして、ゆきを見つめる九郎の眼差しが、とても優しくて。
宝物のように大切に抱く、腕の強さとか‥‥‥
「───九郎様、私はこれで」
邪魔をしないようそっと一礼してから、歩き出する。
その背に、主の声が掛かった。
「継信!苦労をかけたな」
「いえ」
「感謝する」
「‥‥っ!そんな、自分には勿体無いお言葉ですっ!」
「継信さん、本当にたすかりました!ありがとうございますっ!」
‥‥この、笑顔に惹かれたのだ、自分は。
「今度お団子奢りますねーっ!」
「あぁ、俺からも何か礼をしよう」
「い、いえそんなっ」
一度は欲した笑顔は、初めから手に入らなかった。
けれど、不思議と満たされた心地だ。
夕陽を背に歩き出した
佐藤継信、二十三歳の春の夕暮れ。
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