(1/1)
「下がっていいぞ。大儀だったな」
「‥‥‥はっ。勿体なきお言葉」
夕暮れ染まりかけの、京。
先日の戦の事後報告書と雑務。
それらを何とかこなした継信は、主と仰ぐ九郎の元を辞した。
佐藤継信、二十二歳。
代々、源氏に仕える佐藤家の嫡男であり跡継ぎである彼は、弟と共に源九郎義経に仕えている。
九郎直参の四天王と呼ばれる武将の一人。
そんないかつい肩書きは、けれども本人を見ると首を傾げたくなるもの。
何故ならは、当の継信は童顔‥‥‥優しく、ともすれば可愛らしいとさえ言えるような容貌をしているから。
流石に背もそこそこ高く、身体付きも決して貧相ではないのだが。
第一印象はいつも「男ですよね?」と来る。
そんな彼は最近、元気がなかった。
「あれ?継信さん、こんにちは」
「‥‥‥‥ゆきさん!?」
六条堀川にある、主が仕切る政務の邸。
仕事を終えた継信が門を出た瞬間に、掛けられた声。
思わず、のけ反ってしまった。
ああ、顔が赤くなるのが分かる。
「はい?ゆきですけど」
ゆき、と呼ばれた少女はにっこりと笑う。
頷いた拍子に栗色の髪が元気よく跳ねるのが、何とも彼女らしかった。
「九郎様をお待ちでしょうか?」
「え?あ、うん‥‥‥」
九郎の名前に反応して、真っ赤に頬を染めるゆきを見て、継信は溜め息を付きたくなった。
‥‥‥最近、継信に元気がないのは。
「あの‥‥‥まだお仕事中ですか?」
「ええ。九郎様ならまだ御政務に取り掛かられておりますが。宜しければ、中でお待ちになられては?」
かつて、妻にと望んだ少女。
最初から、彼女には主がいると分かっていた、けれども。
秘めた想いなのに何故か周りに知られてしまい、軍奉行や軍師にまで真相を問われた事もあるのだ。
秘めた筈の恋は、父や祖父の預かり知るまでになってしまった。
そして‥‥‥今年の春、縁談の話が、主の兄君たる源氏の棟梁から来た、のだが。
「‥‥‥う、ん‥‥‥迷惑かかるといけないし、いいです。帰ります」
「そんな、ご迷惑だなどと私は決して!!」
「えええっ!?」
踵を返そうとする彼女に、思い切り否定した言葉。
私情がたっぷりと含まれていた。
大声にびっくりしている彼女を見て、しまった、と思う。
「‥‥‥中でお待ち下さい。外はもう、冷えてきておりますから」
「はい、ありがとうございます」
柔らかな笑顔を浮かべる少女は、罪深い。
多分、継信は自分の事を諦めたとでも思っているのだろう。
そして罪悪感も手伝っての、笑顔なのかも知れない。
「私が部屋まで案内致しましょう」
「お願いします」
促す様に触れた、小さな肩。
華奢で柔らかい、女性ならではのもの。
開いている部屋はいくらでもある。
‥‥‥案内するのは、一番遠い部屋がいい。
そうすれば、
ほんの一時でも長く
貴女と歩けるから。
「あ、そうだ!ご結婚おめでとうございます!」
「‥‥‥‥‥‥‥は?」
「‥‥え?違うんですか?」
「いえ、全く身に覚えありませんが」
待て。
落ち着け、良く考えろ継信。
そういえば、記憶に触れる『結婚』の二字‥‥‥。
『継信。そんな調子では手柄どころか、うっかり命を盗られますよ』
『申し訳、ございません‥‥‥』
『ゆきちゃんに振られた事がよっぽど辛いんだね〜』
『ならば新しい縁談を組みましょうか』
『‥‥‥はい』
『継信もこう言ってますからね、縁談の件は景時に任せましょう』
『ええっ!?オレ!?‥‥‥って今の継信はまともじゃない 『い い で す ね、景時?』』
『えええっ?』
‥‥‥‥‥‥。
我に返り立ち止まれば、濡れ縁の真ん中。
‥‥‥なんという恐ろしい記憶だろう。
継信は頭を押さえた。
「‥‥‥‥‥‥ゆき殿、私は結婚など致しません」
「そうなんですか?」
「はい、私は今でも‥‥‥」
「‥‥‥え?」
正面から、少女の肩を掴んだ。
時だった。
「私は 「継信―――――――――っ!!」
こちらに向かってくる、猪のようにも見えるもの。
唐突に呼び捨てにされて、継信は眼を丸くした。
その間にも距離は縮まり、走って来たもの‥‥‥九郎は、二人の間で立ち止まる。
‥‥‥あと少しで接触事故を起こす所だった。
その勢いのまま。
橙色の髪をした青年は、ゆきの肩から継信の手を引き剥がすと、思い切り抱き締めた。
「あ、兄上!?」
「‥‥‥九郎様」
「継信!‥‥‥‥‥‥こいつは俺の部屋で待たせるから構わん!」
嫉妬丸出しに言い捨てて、「ちょ、兄上ってば!」と訳の分かっていないゆきの手を引きずっていく、主の姿。
「つ、継信さん!!ありがとうね!!」
「ええ。またお会い致しましょう、ゆきさん」
「‥‥‥‥‥‥っ!!」
引き摺られながらも振り返り手を振る少女に自分も振り返して。
継信は本日数度目の溜め息を吐いた。
我が主が、何と言うべきか‥‥‥あれ程嫉妬深いとは思わなかった。
悩みの尽きない
佐藤継信、二十二歳の秋の夕暮れ。
戻る