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誕生日特別編:君の中の僕
「ゆき、市に行かないか?」
そう言えば午後から時間があるし、前から欲しがっていた、巾着でも買いに行こうか。
‥‥‥と思いながら九郎は声を掛けた。
今までのゆきなら、嬉しそうな満面の笑顔で九郎に飛び付いて来るか、
もしくはやはり嬉しそうに笑い「用意してくるね!」と自室に走るのが常だが。
今朝は、違った。
「えっと‥‥‥今日は、ちょっと、無理なんだ」
「‥‥‥は?」
「ごめんね、兄上!!」
心底申し訳なさそうに両手を合わせて謝るゆきに、九郎は呆然と‥‥‥した。
音にするなら、がが〜ん、といった感じだろうか。
「何か、用事があるのか?」
「ああ、うん‥‥‥‥‥‥秘密」
恐る恐る理由を問えば少し考え、指先を口元に充ててふふっと笑った。
「そ、そうか。わかった」
「本当にごめんね、兄上」
「いや、気にするな」
ゆきの頭を撫で、忙しそうにぱたぱた走り去る背中を見ながら、九郎は午後からの時間をどう潰そうか、と思案に暮れた。
‥‥‥そうだ、ゆきが一人で出かけるのは危険だ。
付いていってやるのもいいかもしれない。
(‥‥‥ち、違うぞ!ゆきの用事が気になる訳ではないからな!!)
誰に聞かれるともなく、九郎は激しく首を振った。
求める妹の姿は庭に面した広縁にあった。
膝を抱えて座り込み何やら記した紙を眺めては、う〜ん、と唸っている。
小難しい顔がつくづく似合わないゆきなのに、今は決断を迫られた大将の様な表情を浮かべていた。
こうして九郎が眺めていても、一向に気付く様子がない。
「お‥‥‥」
「ゆきさん、お待たせ」
彼女を呼ぼうとした九郎を先回る様に名を読んだ声は、良く見知った男のものだった。
「あ、弁慶さん」
「すっかり待たせてしまいましたね」
「いいえ。これからの事を考えながら待つのも楽しいから大丈夫です」
「ふふっ、可愛い事を言いますね。ではご期待に応えましょう」
「はい!お願いしますね!」
嬉しそうに立ち上がったゆきは弁慶の反対側‥‥‥少し離れた背後に立つ九郎に気付く事もなく、軽い足取りで弁慶の元に走った。
彼女が来るのを微笑みながら待っていた弁慶は、おもむろに華奢な背中に手を回すと、
‥‥‥あろう事か、九郎を見て笑顔を深くした。
面白そうな、表情を浮かべて。
「‥‥‥‥‥‥」
何があったのか把握出来ていない九郎は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
昨日迄の「兄上の特権」を、弁慶に取られた気分だ。
ゆきが嬉しそうに笑うのも。
ゆきと待ち合わせして出かけるのも。
勿論、自分と共に京邸に出入りしている弁慶や、主の景時や朔にだって、ゆきは懐いているのだが。
『兄上!』
一番は、いつだって、自分だと自負していたのに。
(これは、いわゆる兄離れの時期なのか?)
九郎の背中は哀愁を帯びていた。
あれから景時の式神に呼び出されて、六条にある邸に赴いた。
兵同士の諍いがあったとの事。
本来なら総大将の九郎が出るはずもない。それは景時も熟知の上なのだが、今日は執拗に‥‥‥執念を感じる程の呼び出しを受けた。
ゆきの為に空けていた午後は思わぬ形で潰れた。
「九郎、本当に悪かった!今日はどうしてもこっちにいて欲しかったん‥‥‥あ」
「そうなのか?」
「あ、ああ、うん。何かが起こりそうな予感がしたからさ〜」
あはは!と何故か慌てたように笑う景時に首を傾げるも、むしろ好都合だと九郎は思った。
今頃あの二人がどうしているかなど、考えずに済むから。
この季節にもなれば、暗くなるのが早い。
邸を早めに出たつもりだが、辺りはすっかり夕闇だった。
「すっかり遅くなったね、腹減ったな〜。死にそうだよ、ほんとに」
「‥‥‥ああ」
徒歩で京邸に向かう道中。
九郎は景時が話し掛ける言葉に上の空で答えていた。
その様子を横目で確認した景時は苦笑する。
源氏の総大将も義理の妹には形無しだな、と。
もっとも、妹につれなくされた兄の哀愁なら、嫌と言う程分かるから‥‥‥幾分、同情が籠っているかも知れない。
やれやれと思いながら、
また景時は九郎に話し掛けた。
「ただいま〜!!」
空腹で死にそうだと言っていた割に、元気良く景時が帰宅を告げる。
ぱたぱた‥‥‥と、独特の軽い足音が聞こえた。
ゆきが、満面の笑顔で二人の元に走って来る。
「お帰りなさい景時さん―――兄上っ!!」
「‥‥‥ゆき?」
ゆきは、九郎の腕の中に
真っ直ぐに飛び込んだ。
九郎の首にぎゅっと抱き付いてくるゆきは、いつもの彼女。
‥‥‥いや、いつもよりも大胆なその行動に、朝と同じように九郎はホッとしながらも固まった。
暫しぎゅっとしがみついていたゆきが、顔を上げる。
眩しい程きらきらと眼を輝かせて。
「兄上、お誕生日おめでとう!!」
聞き慣れない言葉を口にしたのだ。
「ゆきさんの世界では、生まれた日を祝う習慣があるんですよ」
「そうなのか?変わった習慣だな」
夕食までの待ち時間。
弁慶と景時、そして九郎が板間に座り話をしていた。
「残念ながら僕は、君の誕生日を祝う準備に付き合っただけなんですよ。
まぁ、九郎のあんな表情を拝めたし、楽しく過ごせましたが」
クスクス笑う弁慶を睨むけれど、九郎の眼に鋭さはなかった。
ゆきはここ何日も、準備に頭を悩ませていたらしい。
そう聞けば、しぜん頬も緩んでしまう。
「九郎が大好きな食材を手作りするんだと、張り切っていました」
「結局、ゆきちゃんが一番大好きなのは九郎なんだね〜」
いつの間にか空に浮かんだ一番星を見上げながら、景時は「内緒だけどさ、九郎を呼びだしたのもゆきちゃんに頼まれたからなんだ」と九郎に言った。
(そうだったのか)
心の底から安堵して、九郎も星を見上げた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥で?」
「で?とは?」
「これは、何だ?」
九郎は恐る恐る『それ』を指さした。
「‥‥‥‥‥‥な、なかなか個性的な料理だね〜」
「でしょっ!?兄上の為に本当に考えたんだよ!!」
「わ、私は止めたのよ。いくら九郎殿の好物でも、これは‥‥‥」
引きつりながら何とか褒めようとする景時。
すっかり絶賛されたと思い込み胸を張る、普段は料理が得意なゆき。
申し訳なさそうに、ゆきの暴走を止め切れなかったと、態度で謝る朔。
「で、これは‥‥‥」
「兄上お誕生日記念の特別料理!柿の煮物だよっ!!」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
‥‥‥‥‥‥恐らく自分の好きな柿を料理すれば喜ぶと思ったのだろうか。
九郎は目眩がした。
「ゆきさん、素晴らしい出来上がりですね」
「本当っ!?弁慶さんが教えてくれたからですよ」
「べっ、弁慶お前っ!?」
「‥‥‥何か?」
「い、いや‥‥‥」
驚く九郎の眼前で、微笑む弁慶の背後に‥‥‥黒い念が見えた、気がした。
どうしてだろう。
祝いだと言われながら、拷問を受けている気がするのは。
「ね、兄上?」
「なっなんだ?」
呼ばれて顔を上げれば、悲しそうなゆき。
今にも泣き出しそうに、眼を潤ませている。
(うっ‥‥‥)
「兄上‥‥‥食べてくれないの‥‥‥?」
「た、たたた食べるぞ!!」
「??どうしたの?」
「感動しているんでしょう。ねぇ九郎?」
「そ、そそそそうだ!そうだとも!!」
「良かったあ!!」
そして九郎はにこにこと素直に笑うゆきに「はい、あ〜ん」と食べさせて貰った。
にこにこと黒く笑う弁慶と、憐れみの視線を投げ掛ける梶原兄妹の前。
不覚にも涙ぐんでしまったのは、珍味のなせる技か感動からか。
答えは本人のみぞ知る。
その後、息も絶え絶えな九郎に
「お誕生日おめでとう!!
兄上がずっと健やかにいられますように」
正面から抱き付いたゆきは、頬に口接けを落とした。
‥‥‥幸せであるように。
祈りを、こめて。
‥‥‥一瞬だけ沸き上がった想い。
気付かない事にした。
星の明かりが眩い、九郎が生まれた日の、出来事。
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