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‥‥‥ただ、お前を側に置いておきたかった。






第八章:もしも叶うならば






「‥‥‥朝だ」



いつの間に眠っていたのか。

ゆきは起きてすぐにそう思った。


眠る前に自分が何をしていたのか、思い出すまでもない。




泣いていた。
弁慶の部屋で蹲って。

ずっと背中を擦ってくれた優しい弁慶の掌に、我慢など出来なかった。



「そうか。弁慶さんが運んでくれたんだね」



泣き疲れて眠ってしまったゆきを、弁慶が自室まで運んでくれたのだろう。

あれだけ泣いてしまえばスッキリしたのか、お腹が威勢の良い音を立てる。



「こんな時、兄上だったら呆れて笑うんだろうな‥‥‥って、私重症だなあ」



どんなに好きでも。
どんなに愛されていても。

九郎にとっては、兄と妹。

それが真実だった。



「‥‥ああ、もう、ダメダメ!湿っぽいのはナシ!」



考えれば考える程暗くなる。

だからまず、自分が今やるべき事をすべき。

そう、まずは‥‥‥。



「ご飯ごっはっん〜!!」



手早く着替えると、自室を後にした。













廊下をぱたぱた走る。

そう言えば、と気付いて足を止めた。


弁慶にまだ、礼を述べていなかった事に。

弁慶の部屋に引き返そうとして待てよ、と考えなおす。


(弁慶さんに花でも持って行こうかな)


と思い、裸足で庭に降りた。

譲が丹精込めて育てた苗を引っこ抜くのは可哀相だから止めて、その辺に生えている花でもいいか、と辺りを見回しながら庭の奥へ進む。


今の季節、譲が手を入れてない場所にも花は沢山咲いていて、京邸の広い庭は彩りに満ちているから。


(どれがいいかな‥‥‥‥あ、あれだ!!)



前方に、紫陽花の様な薄紫の花。


あれが弁慶に似合うだろう、とゆきは走り出して‥‥‥‥‥‥数歩で。



足が、止まった。








「望美‥‥‥」







苦渋に満ちた声。


再び駆け出したゆきの視界に飛び込んだのは。





「あ‥‥‥」



眼が合ってしまった。



「あ、ご、ごめんね兄上、望美ちゃんっ!!」



咄嗟に身を翻して全速で駆けながら、黙って逃げなかった自分を褒めなければ、と思った。





背後でゆきを呼ぶ声がする。


けれど、振り返らない。
振り返られる筈もない。









抱き合う二人を
もう一度見るなんて


ゆきには出来なかった。



激しく動悸する胸を押さえながら、ゆきは部屋に戻る。
また弁慶の優しさに縋って泣く事だけはしてはいけない。
そんなに甘え過ぎてはいけないから。





「びっくり‥‥‥した」


これからも二人と共にここに住めば、今の光景など当たり前かもしれない。

そればかりか、もし二人がこの先‥‥‥。


(‥‥‥‥‥‥そんなの、辛過ぎる)



ともすれば零れそうになる涙を、必死に押さえた。









『答えは急がないからね』

『君には考える時間が必要でしょうから』

『覚悟が出来たら、教えて』










「兄上。これは、逃げる事になるのかな」



答える声はなかった。


















「‥‥‥九郎さん。追いかけないんですか」

「‥‥‥‥‥‥いや、いいんだ」



いつの間にか解かれていた腕に寂しさを感じながら、望美は一歩下がった。

何か言いたそうに、ゆきの去った後をいつまでも見ている九郎に声を掛ける。

二人でいる今くらい自分を見ろ、と思いながら。



「九郎さん」


「‥‥‥あ?ああ、すまない‥‥‥‥‥‥望美。それが俺の気持ちだ」



振り向いた九郎は真摯な眼。



「俺は‥‥‥」



その先を聞いたのは望美、ただ一人だけ。















「‥‥‥よし!!」



いつまでも落ち込んでは駄目だと自らを叱咤した。
気合を入れて立ち上がる。

力を入れて襖を開ければ、ぱん!!と小気味のいい音がして、



「うわっ!!」

「兄上?」



まさに今ゆきの部屋を開けようとした九郎が驚いていた。



「お、お前な!!普通に開けろ!驚くだろう!!」

「ご、ごめんね!!‥‥‥って、どうしたの?」

「ああ‥‥‥」



ゆきが理由を問えば、九郎は何故か気まずそうに眼を逸らせた。

そんな様子を見て、さっきのことだと分かったが、そんな話を聞ける筈もない。



「ね、兄上。向こうむいてくれない?」

「‥‥‥?かまわんが」



ゆきの願いに首を傾げながらも聞き入れて背中を向ける九郎に‥‥‥


後ろから、抱きついた。



「ゆきっ!?」

「ダメ。ちょっとだけ充電させて」



はぁ、と九郎が息を吐く音を布越しに聞いた。
たくましい鼓動。








九郎の背中に抱き付いたまま、ゆきは動けなくなった。

今までと何ら変わりない、引き締まった背中。

変わってしまったのはゆき自身の気持ち。




九郎もまた、さっきから動く気配も喋る気配もない。








ゆきの胸の鼓動は、今までで一番速い。



望美を『許嫁』だと庇ったとき、
二人の頬が染まったのを見た時から、

‥‥‥一段と速くなって、困る。


熱くなる両頬。



「九‥‥郎‥‥さん‥」



自然と名を呼ぶ。



「‥‥‥兄上‥‥‥だろう?ゆき」



振り向かない背中。

素っ気ない返事。








九郎が求めているのは、妹のゆき。





女としてではなく

庇護すべきか弱き存在として





惜しみない愛情を注ぎたい、と。






「‥‥九郎‥‥‥‥兄上‥‥」



ゆきは空気を吸い、震える唇で呼び直した。




「‥‥‥き」

「何だ?」



九郎は、眉根を寄せながら振り返った。
ゆきの揺れる瞳に驚く。



「‥‥‥なんでもないですよ?あ、暑いですねっ!私、ちょっと涼んできますから」



ゆきはその場から走って逃げた。
九郎は何も言えず、黙って見ているしか出来なかった。



自分には、彼女を幸せに出来ないと、わかっているからこそ。


ゆきは、妹。


彼女が無事に嫁ぐまで守るのが、自分に課した使命で。
非公式ながらもそれは、頼朝の耳にも入っているのだ。

‥‥‥そして、後白河院の前で誓った許婚者もいる。

ゆきの想いが誰を向いているかは知らないが、幸せになって欲しい。


九郎は暫く立ち尽くしていた。















「‥‥‥どうしよう‥‥」



邸を飛び出したゆきは、ぶらぶらと歩く。

咄嗟に飛び出した所で、行く当てなどないのだけれど。




(仕方ない‥‥‥師匠の邸でも行って泊めて貰おうかな)








今は、顔を見られない。
望美も、九郎も、共に‥‥‥。








『心配するな!お前は俺が守ってやるからな!』


頼り甲斐のある、笑顔。
不器用だけど誰より優しいそれは、いつも嬉しくて。








『‥‥‥ならば俺が、この世界での兄となろう。お前が独りにならぬように‥‥‥‥‥いつか、お前が嫁ぐまで』


真摯な眼差しは、その場に二人きりだったから。
余人がいれば決して言わない一言。


身寄りのないゆきに、
突然京に来てしまったゆきには、何より嬉しい言葉だった。






(おかしいよ、私。九郎さんは兄上でしょう?)




妹でなくなれば、あんな優しい笑顔は見られない。



あれは、『妹』だけの特権。






「‥‥妹、かあ‥‥‥いつまで、妹でいればいいのかな」










こんな想いを抱かなければ、望美と九郎を心から応援出来たのに。

二人の幸せの為に、協力だって出来たのに。




自覚した今はもう、その腕の中には飛び込めなくなった。
無邪気さを装おうなんて器用な真似、ゆきには出来ない。








『あなたがすき』

囁いてしまった本心。
聞かれなくて本当に良かった。







今にも涙が零れそうになってきて視界が歪んだ時。



涙が流れ切った頃、ゆきは決意する。




叶わない恋に、さよならする為に。








いつか、九郎と望美を笑って祝福する、ために。




再び京邸に戻ると、ゆきはまっすぐ景時の私室に向かった。




 





  
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