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‥‥‥昔、自分に良く懐いていた犬が自分を覚えてくれていた事を、心底嬉しいと思った。

平泉に来てからというものの、知己の青年が金と名付けたこの犬は、九郎の姿を見かける度に千切れんばかりに尻尾を振る。



が、今日は違った。



「‥‥ぎゃあっ!!」

「おい、金っ!」



館から結構歩いたそこは、静かな草原だった。


ここでなら思い切り遊ばせられるだろう。

それまで大人しく散歩を楽しんでいた犬の綱を外した瞬間に、黄金色の身体は真っしぐらに少女に飛び掛った。

色気の欠片もない素っ頓狂な声と共に、金に押されゆきが草の中にひっくり返る。

胴体を掴んで引き剥がそうとする九郎の事などお構い無しに、金はゆきの頬をひと舐めした。



「‥!!や、ちょっ‥‥くすぐった‥!!」

「こら!金!いい加減にしないか!」

「あはははは!!やだ!ははは!くすぐったいから止めてっ!!」



その後はゆきの身体を漂う香の匂いをくんくんと嗅ぎ回る。
余りにもくすぐったいからと、とうとう笑いの発作が起きてしまったゆき。
身を捩って笑い転げる様を見ていると気の毒になってきた。



「ひゃはははは!!」

「‥‥っ!金!!」



意思を込めて名を呼ぶと、金の動きはぴたりと止まった。
耳を項垂れながらこちらを見る。

くぅん、と弱く鳴くのを見てしまうと、つい苦笑してしまう。

許しを請い上目遣いに見てくる姿が、最愛の恋人にそっくりで、つい。



「ゆきが困っているだろう‥‥俺達はここにいるから遊んで来い、金」



頭を撫でてやると金は大きく一鳴きして真っ直ぐに林の仲へ走って行った。
それを束の間見送って、九郎は手を差し伸べた。



「痛む所はないか?」

「‥‥うん、ありがと」



腕に捕まり起き上がって、裾やあちこちに付着した砂を払った。

九郎が視線を落とすと、彼女の膝に払いきれていない雑草。
屈んで、向かい合わせるように座りながら払ってやる。
その時の九郎はと言えば、特に何も意識はしていなくて、ただ純粋な親切心だった。




「あ、兄上っ!」

「ん?どうした?」

「‥‥あ、の」



呼びかけるだけ呼びかけて、それ以上何も言葉が降りて来ない。
それを不審に思い顔を上げる。


眼が合ったゆきの顔は真っ赤だった。



「‥‥‥っ」

「‥‥‥?」



羞恥で真っ赤に染まったゆきの、無言で向ける視線を辿る。


真っ直ぐに向けられていたのは九郎の手。


‥‥膝を払うのに夢中になり、汚れた箇所を追って‥‥‥太腿の、足の付け根を払っていた、九郎の手。



「‥‥‥っ!!す、すまない!!」

「う、うんっ!!」



望美を見つけた時の譲の反応よりも速い速度で、九郎が手を離す。



「お、俺はお前の裾を払っていただけで、深い意味はないんだ!」

「う、ん!分かってる!!」



二人ともに、熟れた林檎よりも紅い。

落ち着かねばならぬ、と深呼吸を一つ。

丁度同じ瞬間に目の前の少女の胸も逸らされたので、
再び眼が合って‥‥‥二人、同時に噴き出した。



「ふふっ。私たちらしくないね」

「らしくないとは何だ」



九郎特有の、憮然とした面持ち。
だが、その口調は咎めるものではなく、どこか楽しそうだった。




 

 
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