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「兄上」

「‥何だ」

「緊張してる?」

「‥‥終わるまで大人しくしていろ」



隣の九郎にそっと囁けば、盛大な溜め息が返って来た。
威風堂々と、武家の若大将らしく胸を張りながら座っているものの、緊張しているのか置物のように表情を崩さない。






九郎が今朝言っていたように、雨は夕方に上がった。






婚儀が執り行われるのは、二人の新居となる真新しい檜の香り漂う邸。

武家の仕来り通りに、まず輿に乗り、松明を掲げ持った景時に付き添われて門へ。
門火を焚き、輿が門に入るときに九郎の家臣が松明を受け取る。





請取渡しの儀と呼ばれる儀式をつつがなく済ませて、ゆきは祝言の間で九郎と顔を合わせた。



普段より上質な白の絹に、瑠璃色の笹竜胆紋が眩しい直垂姿の九郎。

見慣れない涼しげな姿がもう、格好良過ぎて。
思わず頬を染めたゆきだったけれど‥。



「もうっ、少しは褒めてくれてもいいのになあ」



だが、九郎はといえば最初にゆきを見て固まったきり、一向にこちらを向いてくれなかった。

だからゆきは少し‥‥否、かなり拗ねているのだ。



「全く、お前は‥‥少しは俺の立場も察してくれ」

「へ?兄上?」

「だっ、だから!お前を見ていると、落ち着かないんだっ!」



やっとこちらを向いた、と思えば顔を赤くして怒鳴りだした。
対するゆきは意味が分からないらしく、首を傾げている。



「兄上‥‥私、今日は落ち着いて座ってるつもりだけど」

「違うっ!!お、お前が綺麗だからだなっ‥‥……あっ!」

「‥‥‥っ!兄上」





‥‥しまった。




九郎が我に返った時は既に遅く、しん、と静まる祝言の間。



式三献を終え無礼講となったばかりの室内には、梶原兄妹を始め源氏の家来や仲間が、九郎の声に動きを止めた。



「いっ、いや、その‥‥何でもない!気にするな!」



真っ赤な顔で口籠もる九郎の隣で、同じように頬を染めながら眼を潤ませているゆき。

いつもの二人らしい姿に、一同の目元が緩んだ。



「‥‥九郎、もっと優しく言ってあげてよ〜」

「ふふっ。今日のゆきさんは、どんな花よりも輝いていますからね。九郎には勿体無いですよ」

「ホント、今からでも遅くないぜ。そんな気の利かない野郎は辞めて、オレにしときなよ」

「──ばっ!馬鹿な事を言うなっ!!」



とうとう立ち上がった九郎に、皆が囃し立てる。



「おい望美。九郎が刀を抜いたら俺達で止めようぜ」

「うん!腕が鈍ってたから丁度いいね」

「‥‥兄さんも先輩も、どうして武器持参してるんだ‥」

「「そう言う譲(くん)だって」」

「譲、祝言には隠し芸をするものだと、神子が言っていたよ。私も手伝うよ」

「‥‥‥先輩、白龍まで唆さないで下さい」



がくっと項垂れる譲。

眼を輝かせて九郎で遊んでいる男達。




何年もそれを当たり前に見てきて、
きっとこれからも続く光景。




「ゆき、おめでとう」

「‥うむ、九郎ならお前を大切にするだろう」

「心配ないわ、先生。泣かせたら皆が黙っていないもの。海の藻屑ね」

「‥‥‥あはは、朔が酔ってる」






───暗くなった空に、雨上がりの星。



室内からは見ることが出来ないのに、眼を閉じれば星が瞼に広がった。


きっとそれは、遠い世界で確かに見守ってくれていると、教えてくれているように。



(お父さん、お母さん‥‥‥私、幸せだよ)



ぶっきらぼうで、純粋で、照れ隠しにすぐ怒る。

でも、誰よりも真っ直ぐで、揺るがない人。



彼の傍なら、雨でも槍でもきっと私、笑っていられる。



「ね、兄上」

「何だ?」

「今日がバレンタインデーって、知ってた?」

「‥‥‥ああ、譲がな」


諦めたようにそう言って、照れたのかふいと横を向く。
きっと、去年のことを思い出しているのだろう。

そんな九郎に愛しさが込み上げた。



「あのね、寝間にこっそりお菓子を用意してるんだ」

「そ、そうか」

「だから、今夜も‥‥‥‥去年みたいに‥優しくして、ね」

「‥‥‥っ!!っ、ばっ!何を言っているんだお前はっ!」










ずっとずっと、そのままでいて


‥‥‥愛しい兄上。




1000年先まで




















  
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