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あれから数日が経った。

ただ義兄妹の距離が遠くなった以外は、いつもと変わらぬ昼下がり。




ゆきがその知らせを受け取ったのは、一条にある土御門邸での事だった。



「ゆき、今日はもう帰りなさい」

「師匠?私、まだお菓子食べただけで修行してませんよ?」

「熱心で、やる気が空回りする弟子を持って光栄だと言いたい所だけどね」

「それ褒め言葉じゃありませんよね?」

「景時から式が来たよ‥‥‥九郎殿が斬られたそうだ」



ゆきのツッコミを綺麗に無視して師の郁章が言った言葉。
普段なら怒るはずの少女も、この一言にその反応はない。


からん、と音がして、郁章がそちらに眼をやれば、ゆきは手にしていた菓子の器を床にぶちまけていた。
黙って身を翻す、青褪めた弟子を見て郁章は溜め息を吐いた。



「式に乗せてあげようかと思ったが‥‥‥‥あの分だと走っても変わらないだろうね」



最後の修行の日は、あっけなく幕を閉じるものだと郁章は一人ごちた。
















京邸に着いたゆきを、朔がまっすぐに九郎の私室に通した。
部屋には弁慶が居て、九郎の怪我は怨霊によるもので穢れは望美が祓ったと告げた。


「傷による熱が出ると思うので‥‥‥今夜は君が付いていてくれませんか」

「え?でも、のぞ‥‥‥」

「いいえ。君も今日はそうした方がいい位分かっているでしょう?」



ゆきは戸惑いながらも頷いた。












すっかり夜になった。

水に浸した綿布を絞り、九郎の額に乗せる。
ひんやりした感覚に違和感を覚えたのだろう、「う・‥」と唸った。



「兄上、大丈夫?」

「‥‥‥ああ、ゆき、か‥‥‥」



うっすらと眼を開けて、枕元に座るゆきを見つけると、ふと視線と頬とが和む。

それが『愛されている証』だと、今までは何より嬉しく思っていたのに。



(私が欲しいものは違う)



「兄上、有川くんがお粥作ってくれたんだけど‥‥‥食べられそうにないね」

「‥‥‥すまない」

「何謝っているの?兄妹でしょ?」

「‥‥‥‥‥‥ああ。そうだな」



ゆきは手にした布で、こめかみや首筋に流れる汗を拭う。
いつもなら嫌がるだろうこんなお節介も、今は意識が朦朧としてるからか眉を顰めるだけだった。




「‥‥‥じゃ、また後で来るね」



部屋を出ようと、ゆきは立ちあがる。




「‥‥‥ゆき‥‥‥」

「うわっ」



急に手首を強く、下に引かれて
ゆきは寝具の上に尻餅をついた。



「な、何が‥‥‥」



振り向いたゆきの視線は、赤く僅かに潤んだ眼に捕らえられた。




「・‥な‥‥‥」

「・・・え?」



強い、眼で。












「どこにも行くな、ゆき」















‥‥‥兄上、あなたは無意識でも


それは残酷だよ。










眼を見開いたゆきの腕は、更に強く引っ張られた。

ゆきは無抵抗のまま九郎の上に倒れ込む。



「俺の、側に‥‥‥」



それはどこまでも小さな呟き。




ゆきの頭と背中を腕の中に抱き込むと、九郎はすうっと眠りに落ちた。

身動きしようとしたが、閉じ込めた腕はぴくりともしない。




「‥‥‥ひどいよ、兄上」



私はどうすればいいの?


あなたを好きでいる事が辛いのに。

あなたが好きなのは、望美ちゃんなのに。





九郎の腕の中、ゆきは声を殺して泣き続けた。















抱き締められるとこんなにも愛しい。

こんなにも、苦しい。



強く引き寄せられた胸はいつにも増して熱くて、薬と九郎の香の匂いが混じってゆきの鼻腔をくすぐった。









やがて、腕の力が少し抜けたのを感じて、ゆきはそろそろと首を上げた。


(今日で最後だから、覚えておけるように)



愛しい人の顔を見る。

さっきまで苦しそうに寄せられていた眉も、今は穏やかだった。
すぅすぅと、安らかな寝息を立てている。






弁慶が、望美ではなくゆきを九郎の側に置いた理由。
それは、九郎が安心するから、だけではない。
ゆきが九郎の傍に居られる最後の日だから。


‥‥‥それは、弁慶と梶原兄妹だけが知っている秘密。





ゆきは自身に回った九郎の腕を持ち上げた。
そっと褥に戻して、ゆっくりと身を起こす。


熱も、朝には下がるかも知れない。
それほどに深く眠っている。

ほっとしていつかのように、ゆきは九郎の眼に掛かった前髪を掻き上げた。


















‥‥‥これからも私は、あなたを想うね。


朝になれば、稽古しているあなたの背中を思い出して。


真っ白い昼の日には、雪の中を歩きながら繋いだ手を。
笑いながら抱き合った事を。


夕暮れには、河原で二人座り込んで話を聞いた事を。


そして


そして、夜になれば‥‥‥‥‥‥今日の、ことを。



きっと思い出す。








『俺は心底お前を守りたいと思った‥‥‥‥‥‥この世界の、兄として』












大好きだった。


大好きで大好きで‥‥‥いつしか愛してしまっていた。






もう兄妹としていられない。


だから、

逃げるように出て行く私を




許してね。






「さよなら、兄上」



初めて重ねた唇は、自らの涙の味がした。

気付かれないように、そっと触れた後‥‥‥ゆきは今度こそ部屋を出た。











「九郎は眠ったようですね」

「はい。ありがとう、弁慶さん」



側にいさせてくれて。
九郎の部屋の前の縁側に腰掛けていた弁慶は、ゆきを見て柔らかく微笑んだ。



「明日、九郎の眼が覚めるまで待たないんですか?」

「‥‥‥決心が鈍りますから」

「ゆきさん‥‥‥」



弁慶は何かを言い掛けて、諦めの溜め息を吐いた。
この優しい人に心配をかけないように、ゆきは精一杯笑う。


「幸せになりますね」

「心にもない事は、言わない方がいいでしょう?君はすぐに顔に出るから」

「意地悪」



図星を指されてゆきが膨らむと、弁慶はクスクス笑った。
優しく頬に触れる弁慶の優美な指先。



「君に本当の笑顔が浮かぶ日が、そう遠くないと僕は信じています」

「‥‥‥ありがとう!」



頭を下げると、今度こそゆきは足音を立てないように、邸の門へと急いだ。












「お待たせしてすみません、景時さん」

「え?あ、ううん。オレも今来たばかりだよ〜。準備はもういいの?」

「はい。もう大丈夫です。朔には朝、挨拶出来たし。弁慶さんにも、今‥‥‥他の人には出来なかったけど」

「‥‥‥そうか。じゃぁ、行くよ?」

「はい!」



この先に馬を待たせているからね、と景時の言葉。

歩き出したゆきは、一度だけ立ち止まり振り返った。



月明りに冴える京邸と。



そこに住む大切な人達に、届くように頭を下げる。













『頼朝様から君に縁談の話を頂いたんだ』

『君は、佐藤家の嫡男、継信を知っていますよね?』

『実は継信が君に想いを寄せている話は、有名だったんだ。オレの耳にも入って来た位だからね』

『それを知人から聞いた継信のお父上が、鎌倉殿に泣き付かれたそうなんですよ。梶原殿の預かりの姫君を是非わが息子に、と』



嫌なら断っていいんだよ。



と景時が優しく言ったが、頼朝直々の縁談を理由もなく断れる筈もない事は分かっている。

そう言うと、

『簡単ですよ。僕か景時が君の許婚者だと言えばいいだけですから』

『ええっ!?』

『おや、残念ですね。僕は構わないのに』

『えええっ!?』

『ふふっ』


弁慶がからかう横で、景時が苦笑していた。

あの日は、まさか自分が引き受けるとは思わなくて。









「行こう、景時さん」

「‥‥‥そうだね。ゆきちゃんがいいなら行こうか」








鎌倉は、遠い。
馬に乗っても数日はかかる。

その間に、ゆっくり整理できたらいいと思った。


そして、伴侶となる継信と色々話をしよう。
先日会っただけだが、彼となら上手くやっていけるかもしれない。
















‥‥‥ずっと、あなたの幸せを願っている。

胸を廻る想いは、どんな事があっても消えそうにないけれど。








過ぎ去りし日々に別れを



 

  
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