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あまりにもぼーっとしていたので、後ろから来る気配にゆきは気付かなかった。
はっと気付いた時には、背後から抱き締められていた。
「こんな所でどうしたんだい?可愛い姫君」
「ぎゃあっ!!何するのっ!?」
「チッ。静かにしなよ」
耳元で囁かれた言葉にゆきはびっくりして叫んだ。
背後を見ると、赤髪の少年が舌打ちする。
「ヒノエくん‥‥‥‥?」
「何してるんでしょうね、彼は」
先日六波羅で出会った少年の名を望美が呟き、譲達が呆れている中で、弁慶は得心のいった顔をしていた。
「何って、可愛い姫君は海賊に連れて行かれるんだぜ。知らなかった?」
言いながら、少年はゆきを抱き上げる。
「知るも知らないもないでしょ。あなたの事も知らないのに」
「オレ?ヒノエって呼ばれているけどね‥‥‥へぇ、オレに興味あるんだ?」
「だから、何するの‥‥‥」
ゆきの声は弱くなる。
赤い頬。
潤んだ眼。
ヒノエと名乗った彼の眼がすっと細くなる。
「‥‥‥お前ね、本当に分かってないわけ?」
「‥‥‥え?」
そのまま彼の顔が近付く。
二人の距離が後少し、といった時。
「何をするっ!?」
怒声と共に伸びた九郎の腕が、ヒノエの腕の中のゆきをもぎ取って、同じ様に抱き抱える。
「ヒノエ!!俺の妹に何をするつもりだっ!?」
「‥‥‥‥は?九郎の妹?‥‥‥‥なら、ちゃんと見てやりな」
ゆきに対する態度は何処へやら。
ヒノエは冷たく九郎を見た。
「何を‥‥‥?」
「姫君、凄い熱だぜ」
九郎は眼を見開き、腕の中を見る。
ゆきは呼吸が荒く、苦しそうに眼を閉じていた。
「弁慶!!」
「一旦帰りましょう。リズヴァーンさんの所には、また行けばいい」
身体が、熱い。
頭がクラクラする。
望美の花断ちを見てから、ずっと調子がおかしかった。
(望美ちゃんの花断ちがあまりにも綺麗で、嫉妬したのかな‥‥‥)
夢の境界線で呟いて、けれどもゆっくり首を振る。
違う、そうじゃない。
『私も九郎さんのこと‥‥‥』
望美のあの呟きが聞こえてから、ゆきはずっとクラクラしていた。
何かが足りないと思うのに、何が足りないのか分からない。
(どうしてこんな気持ちになるのかな)
ゆきには分からない。
何かが変わりそうな不安。
‥‥‥怖いよ、兄上。
だけど、左手が暖かくて、何故か安心した。
「あ‥‥‥」
ぼんやりと眼を開けたゆきが最初に見たものは。
障子戸から差し込む夕日に照らされて、橙色に色付く髪。
「兄上‥‥‥?」
九郎は、胡座を掻いたまま寝息を立てていた。
あの、生真面目で融通の利かない不器用な人が、居眠りをしている。
そのことにびっくりして、ゆきはすっかり眼が覚めた。
ゆっくりと視線を巡らせば、ここはゆきの部屋ではなく、居眠りの主のそれだった。
部屋の隅に、きっちり畳まれた上掛けを見つける。
このままでは九郎が風邪を引いてしまう。
取りに行こうと寝具から這い出そうとして‥‥‥ふと左手に気付いた。
ゆきの左手を包んでいる、九郎の左手に。
「‥‥‥兄上」
ゆきの手が冷えないようにしているのだろう、繋いだ手ごと寝具に包まれていた、ことに。
‥‥‥‥‥‥涙が止まらないのはなぜだろう。
ゆきは手を離さないまま、もうひとつの手も重ねた。
二つの手でも包みきれない大きな手。
優しい手の甲に額を押し付け、しゃくり上げる。
この感情の意味は分からないままに、でも今胸を占める想いははっきりと分かっていた。
「兄上‥‥‥っ!!」
「ん‥‥‥ああ、起きたのか?」
小さなゆきの泣き声に、九郎は眼を開ける。
「うん」
そうか、と頷こうとして九郎はゆきの涙に眼を見開く。
「どうした?‥‥‥何処か痛むのか?」
手を伸ばそうとして、ふと左手に気付いた。
繋がれたままの左手を解く事なく、空いた右手の指先で、零れる涙を拭った。
「お前の具合に気付かなくて、すまない」
お前を守ると決めたのにすまなかったな、と。
悔恨の滲む声。
指先は何処までも優しいから。
再び涙が溢れそうになって、ゆきは眼を閉じた。
「‥‥‥謝らないでいいから、お願い聞いて?」
「なんだ?今なら何でも聞いてやるぞ」
ああ、もう本当に。
(兄上、大好き)
九郎の妹で良かった。
「兄上、一緒に寝よう?」
「なっ!?」
愛しさが込み上げる。
どこまでも優しい兄上には、
明日になったら、熱に浮かされたせいだと言ってあげよう。
だけど、
(今だけは甘えさせてね、兄上)
涙でゆらゆら視界は揺れて、九郎の顔はよく見えない。
見なくたって、慌てふためいている事くらい良く分かる。
「嫁入り前の娘が‥‥‥」
なんて、ぶつぶつ言っている。
内心でクスクス笑って、ゆきは再び眼を閉じた。
翌朝、なかなか起きない九郎を起こしに来た譲は硬直した。
腕枕で仲良く眠る兄妹に、何をどう突っ込めばいいのか激しく悩む。
‥‥‥二人の微妙な関係は、理解出来そうになかった。
愛しい温度
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