(1/1)
今度生まれ変わったら、あなたに似た子供を抱いて、一緒に歳を取りたい。
皺だらけの手を繋いで、公園を散歩できるような。
そんな運命を生きるの。
海の暁〜black〜
『還海』B
黒龍が目の前に立っている。
「五行の気が、強くなったからだよ」
最初から知っていたように、白龍がにっこり笑った。
‥‥気がゆきに語りかける。
確かに彼は、長年親しんでいる白龍の対なのだと。
(でも‥どうして、朔まで気付かなかったんだろう)
消滅した神が、突然戻ってくるなんて‥‥。
朔なら気付いたのでは?と考えたものの、すぐに放棄する。
白龍ですら気付いたのが直前だったのだ。
そんな物かもしれない。
それに、龍神についてゆきは精通していないのだから、憶測で計っても栓なき事。
「っ!?‥‥‥‥黒、龍っ‥!!」
あれから。
ゆきの叫びを聞きつけた面々が庭に集まって、黒衣の少年を強く抱き締める朔達を優しく見守っている。
黒龍の肩に伏せているから顔は見えないけれど。
朔の髪は小さく震えていた。
今の朔の気持ちは自分の事のように分かる。
(‥‥良かったね、朔)
ずっとずっと待っていた最愛の人に、やっと逢えて。
零れた涙をごしごしと拭って顔を上げた時、
「‥‥‥‥えっ‥?」
いつ、やって来たのか。
朔と黒龍を挟んでゆきの向かいに立つ彼を、見つけて。
どくん、と心臓が跳ねた。
「敦盛の五行の気も、満ちたね」
「‥‥ああ。彼のお蔭だ」
白龍を見て柔らかく微笑う敦盛を、ゆきは呆然と見ていた。
間違いなく、そこにいるのは敦盛だけれど。
(‥‥‥やっぱり)
あの違和感は間違いなかった。
今、はっきりとそれを感じた。
彼は───彼の気は、変わっている。
「え?‥‥白龍、敦盛さんの五行って何のこと?」
「僕にも教えてくれませんか?先程のゆきさんの言葉と何か繋がりがありそうですし」
彼から感じるいつもの、海のような深い水気。
そして感じるはずのない、命の波動。
「‥ゆき」
弁慶の言葉に少しだけ瞠目した敦盛は、ゆきに小さく笑いかける。
‥‥胸が、激しく鳴った。
「おいおい、何の話なんだ?俺達にも説明しろって」
将臣の声なんて耳に入らない。
「ゆき」
敦盛は真っ直ぐに名を呼ぶ。
大好きな、優しい声。
「敦盛くん‥っ!」
信じられなくて、溢れる想いとは裏腹に名を呼ぶことしか出来ない。
駆け寄って飛び付くゆきをしっかり受け止めた。
「どうして‥‥‥?」
「私の願いを、叶えてくれた」
感じる「鼓動」はゆきと、もうひとつ。
紛れもなく敦盛の胸から伝わってくる。
優しい腕は彼の想いの分だけ、熱かった。
腕だけじゃなくて、肩も、頬も、胸も
‥‥‥‥重ねあった唇も。
「お、お前達っ!何をしているっ!?」
べりっ。
「ぎゃっ!痛いってば!」
「あ、ああ、すまん!」
首根っこを引っ張られ尻餅をついたゆきに、九郎が慌てて謝るも、時既に遅し。
「‥‥うっ、いや、これは」
「‥‥‥‥‥‥九郎殿。私のゆきに何を、したのだろうか‥?」
「いいいや、おお俺はだな、お前達がふしだ 「天流瀑布」
「ま、待て敦盛‥‥‥っ!ま‥」
「とうとう九郎さんまで‥っ!」
「ふふっ、相変わらずゆきさんの事になると敦盛くんは強いですね」
「あれは水属性の他に、金属性と土属性の協力が必要で‥‥って、全員揃ってますね」
「うむ。金属性の譲と景時、土属性の弁慶と私がいる。効力も倍加されているだろう」
「げっ。俺の時よりパワーアップかよ‥‥しかも混乱の状態異常もオマケされるんだよな」
「あはは〜‥‥九郎、気の毒に‥‥成仏してね〜‥」
「野郎の安否なんてどうでもいいけどね。ところで朔ちゃんは中かい?」
「そうだよヒノエくん。私も中に入るね、また術かけるときに呼んでねって敦盛さんに伝言して下さい。行こう、白龍」
「うん!!」
「‥‥取り敢えず中に入ってお茶でも飲みながら、話を聞かせてくれませんか」
とにこやかな笑顔の弁慶に、誰も反論しなかった。
「一瞬あの世が見えた」と一部の人物は後に語る。
緩やかな陽射しの午後。
陽光が京邸に程よい温もりを与える。
思い思いに座りながらも緊張した場を、少しだけ宥めてくれるかのように。
「‥‥‥二年前、神子が私を封印してくれた、後の話になる」
しん、とした室内に響く言葉の内容に、ゆきの肩が揺れた。
「私の身体は浄化の光に融け、気が付けば海の中を漂っていた‥‥」
「敦盛は龍脈に還らずに、海の底を漂っていたのか?」
「ああ‥‥‥いや、譲。漂っていたのではなかったかもしれない」
「私に、引き寄せられたんだよ」
「黒龍に?何故ですか?」
黒龍は問いかけた弁慶を見、それから首を傾げて朔を見る。
「なぜ‥?わからない‥‥‥彼から、懐かしい気を感じた。とても、懐かしい私の対の気を。それから‥‥‥あなたの」
「‥私?」
「うん」
今の彼は朔の事を、それも「恋人」だった彼女を覚えていないのだろうか。
それでも彼女が自分の神子だと分かっているらしい。
そんな彼を、朔は優しく見つめていた。
「‥誰かに呼ばれた気がした。気が付けば、海の底で光る欠片の前に立っていた」
「光る、かけら‥‥?って、それって敦盛くん、黒龍の?」
「‥‥恐らく、以前、和議の時に砕けた逆鱗の一部だったんでしょう」
「あー‥‥あれか、清盛が持っていた」
昔、徐々に力を失った黒龍は、龍の姿を保っていられず人の姿になった。
それでも龍脈を巡る五行の力は衰えて行き、やがて喉もとの逆鱗のみを残して、彼の存在は消滅した。
その逆鱗は敦盛の伯父に当たる清盛の手に渡り、平家の怨霊を生み出す禍つ力の元となってしまう。
和議の場で、望美達が逆鱗を壊すまで‥‥‥。
「龍脈に流れる五行は、満ちた」
黒龍はゆっくりを言葉を探す。
人の言葉として伝わるようにゆっくりと紡ぐ。
五行は満ちた。
けれど、海の底の黒龍がその姿を構成出来るまで、まだ時間を必要としていた。
あと何年‥‥何十年か。
最高位の応龍の一面である彼の器が再生されるまで、時間が掛かるのは当然だろう。
けれど、引き寄せられた。
出逢ったのは、龍脈に融ける前の敦盛。
彼にかすかに残っていた黒龍の神子と白龍の気が、逆鱗を光らせた。
「‥‥だから、敦盛くんは還ってこれたの‥?」
恐る恐る訊ねるゆきは、敦盛の手をそっと握る。
「ああ」
「‥‥でも、怨霊のままだったのに、どうして今になって‥」
躊躇いがちに、敦盛の手に頬を寄せる。
‥‥暖かな手。
「どうして今になって、怨霊じゃ、なくなったの?」
「‥‥‥‥はぁっ!?」
話についていけない九郎の素っ頓狂な声が響く。
黒龍は告げた。
『私を待っている。
私の五行が姿を構成するまで、力を貸して欲しい』
敦盛は答えた。
『この身は穢れたもの。浄化され五行に還る。
あなたの願いには応えられない』
『出来るよ。あなたの身体を構成する力なら、今の私にも出来る───』
だから、時が満ちるまで
敦盛の中で眠らせて、と。
───また、ゆきに逢える。
狂おしいほど歓んだのは、一瞬だけ。
散々苦しんだ現実を、再び目前に突きつけられる。
また逢っても、怨霊の身で何ができるのか。
この手は、やがて再びゆきを傷付ける刃になるのに。
共に歩めないから、手を離さざるを得なかったのに‥‥‥。
俯く敦盛の前で。
逆鱗が強く、輝きを増した。
『私は黒い龍。時が満ちれば、願いを叶えられる。
───願い事は、何?』
「すっかり夜まで話し込んじゃったね」
「‥‥ああ」
星が天を埋め尽くす勢いで輝く夜。
二人の姿はいつもの屋根の上
───ではなく、ゆきの部屋の中。
胸に頬を寄せ、打ち鳴らす鼓動を聞くゆき。
抱き締めれば湧き上がる愛しさと同時。
長い事忘れていた感覚に、敦盛は戸惑った。
「あ、敦盛くんドキドキしてる‥」
「そっ、それは‥‥‥ゆきに触れて、いるから‥‥」
「‥‥‥っ」
愛しい。
その分だけ、動悸が激しくなって苦しい。
昔、人間だった頃は恋を知らずにいた。
こんな風に脈打つ程の想いを、初めて知る。
ゆきの傍に還ってから、徐々に変化していった身体で、初めて知った。
それはまるで、新しい恋を経験したような感覚‥‥‥。
「不思議だと思う」
くすり。
笑う敦盛にゆきが顔を上げると、額に落ちてくる唇。
「不思議?」
「ああ。私は三度、新しい生を受けた」
この世に生まれ、怨霊として再び今世に戻り。
ゆきに出逢った。
そしてこれが、三度目の人生。
「こうして、貴女と共に生きてゆけるとは思わなかった」
「‥‥うん。ね、敦盛くん」
「何だ?」
「結局、みんなの前で言わなかったよね?敦盛くんの願い事」
「‥‥‥それは、」
「もしかして、弁慶さんが言ってたこと‥‥?」
その柔らかな肩をきつく抱き寄せた。
愛しい肩口に顔を埋めて、溢れそうになる万感の涙を堪える。
甦るのは、敦盛の後ろ姿に尋ねてきた弁慶の言葉。
『敦盛くんの願いは、人としてゆきさんと一生を過ごす事だったんですね?』
「‥‥いや、少し違う」
「え、ええっ?‥‥なあんだ、嬉しかったのに」
この腕の中に抱いていたい。
二人、共に生きていたい。
確かにそれを切実に願ったけれど。
「私の願いは、もっと欲が深いのだから」
「えーっ!?わ、わかんないよっ」
うんうんと頭を捻るゆき。
敦盛は声を出して笑った。
『───願い事は、何?』
願う事はただひとつ
昔も今も、
世界がどれ程変わろうとも
‥‥‥たったひとつだけ。
『ゆきの願いを叶えて欲しい。誰よりも幸せになるように‥‥』
最愛の存在と今度こそ共に生きてゆける喜び。
共に歳を取り、子を抱いて。
季節が移るごとに花開くゆきの笑顔を、感じられる。
───願う事すら許されなかった願いを、貴女は抱いてくれていた。
全身全霊の愛を感じた喜びに、眼を閉じた。
完
20090531
BACK