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海は広く豊かだった




清らかな神子の白き光が、穢れた身と共に、負の感情を包んで癒す‥‥‥



己の意識が龍脈に融けてゆく瞬間

それは、個の理念を捨て、万に同化するような心地というべきか


海に還るような、安らぎを覚えた








もとより偽りの生に執着などなかった


怨霊という哀しい存在から解放されるべきだと

否、解放されたいと


心の奥でいつも願っていた




ゆきと過ごす日々の中でも、ずっと


それがこの手を離す事だと知りつつも

離れたくなどないけれど










この身体はやがて本性に戻り、彼女を手に掛けるだろうから

それならば‥‥‥と















自ら望んだ封印


ゆっくりと、うねる波のような優しい水と時間の中

浄化の光が繭となりこの身を包み、海の底───龍脈の中へ誘う

















―――そのまま消える筈だった


新たな光に、出会うまでは








「───願い事は、何?」






光に問われるまま、言葉を紡ぐ


癒され、溶かされ、あらゆる葛藤も苦しみも消え

剥き出された魂からの、答えを





「私の願いは‥‥‥」






願う事はただひとつ





昔も今も、


世界がどれ程変わろうとも





たったひとつだけ










海の暁〜black〜
『還海』A





 




『私が海なら‥‥‥‥ゆきは海を照らす暁だと思う』



最期の瞬間、あなたはそう笑った。

さよならだって分かっているのに、私はその笑顔に何も言えなかった。

あなたが、私を置いて逝く未練よりも、私を「守れた」って安堵して。



幸せそうだったから、何も言えなかったんだよ。



























「‥‥‥ん‥?」



朝日が眩しいのか。

ゆきがぼんやりと、目を擦るのを、敦盛が至近距離でじっと見つめた。



生身が冷えぬよう敦盛の室から衾を引っ張り出したので、彼女の身体は埋もれている。


濡れ縁にそっと吹く風は朝の涼を纏い、いっそ清々しい。




やがて大きな瞳を更に大きくして、『敦盛くん』と声にならない声で呟いたのが分かって。

―――その泣き出しそうな顔に、切ない気持ちになる。


また、辛い夢を見たのだろう。




「よく、眠れたのだろうか?」



誰の膝の上にいたのか理解したらしく、腕を伸ばしてぎゅうっとしがみ付いてくる。



「‥あ‥‥え?」

「ゆき?」

「え‥‥‥ううん、何でもない‥‥」




抱きついたかと思えば首を傾げて、もう一度確かめるように敦盛の肩に頬を寄せる。



「‥‥‥う、うん。眠れたよ‥‥‥って、朔は?」

「朔殿は疲れている様子だったから、部屋に戻ってもらった」

「ほんと?先に寝ちゃって‥悪いことしたな」

「‥‥いや。ゆきに感謝していると、朔殿が言っていた」

「良かった‥‥‥」

「ああ」




昨夜の、朔との会話が甦る。




軒下で肩を寄り添わせている二人が、ほんの少しでも安らぐように。
願いながら吹いていた笛は、自分を呼ぶ小さな声で途切れた。


屋根から飛び降りると、朔の肩に凭れ眠るゆき。

当たり前の様に、彼女を抱き上げた。



『この娘のお蔭で眠れそうよ』

『‥‥ゆきの優しさに、私もいつも掬われているから‥』

『うふふ。貴方達は似たもの同士なのね』

『‥‥?』


感謝している、と微笑し自室に戻ってゆく朔の後ろ姿が不意に、腕の中で眠る娘のものと重なった。





敦盛のいない時間を、ゆきは、朔の様な表情で笑っていたのだろうか。

見ているだけで胸が締め付けられそうな、切ない笑顔で。



「‥‥ゆき」

「ん?なに、敦盛くん?」




(そろそろ真実を告げるべきかもしれない‥‥)



敦盛は眼を閉じる。

頬を擽るゆきの髪。

彼女に再び触れられるこの幸福が、どうやって手にしたものか。

あとどれ位続くのか。






時が満ちつつあることを、先刻知った。
ならば、もう口にしても構わないだろうか‥‥‥。



いや、まだ早い。



「何でもない」

「ええっ?気になるなあ‥‥‥!っと、いけない!」



何か思い出したのか、再び敦盛の背に勢いを付けて腕を回す。

何となくゆきがそうしたいのだろうと理解して、彼女を支えながら床に仰向けになった。



「もうちょっとだけ、一緒に寝よ?」

「!!‥こ‥‥此処で?」



濡れ縁は人が眠る場所ではない。
しかも午睡ならともかく、早朝には不向きなのに。



「うん。布団はあるし、くっついたらあったかいし‥‥‥だめ?」

「‥‥っ!?い、いやっ、それは!!」



結局、じっと見つめてくるゆきに対し、拒否などするつもりはない。

付き合ってしまう自分は甘いのだろうか。



‥‥将臣や譲や九郎辺りが聞けば「甘すぎる」と確実に答えそうなことを、真面目に思った。



















なにかが、違う。



私は何を見落としているのだろう。















「う〜ん‥」

「どうしたんですか、ゆきさん」

「あ、弁慶さん」



昨日さんざん説教された場所で、朔と一緒に散々説教してきた相手と顔を会わせば、ゆきは渋面を隠せない。

もちろん、濡れ縁でぐうすか眠る(しかも敦盛を道連れに)自分が悪いんだと知っているけれど。



「昨日の様子と言い、何かあったんですか?僕でよければ話して下さい」

「でも、仕事‥」

「もう薬は置いてきましたから。丁度、今日はこれから暇だったんです」



軍師であると同時に薬師の弁慶。
平和な時にはこうして集落に薬を届けたり治療にあたる。

そんな彼の表情は至極穏やかで、きっと軍師でいる時よりも生き生きしてるんだとゆきは思っていた。



「敦盛くんの事でしょう?」

「えっ、なんで分かったんですか?」

「ふふっ、君の顔に書いてありますよ」

「ええっ!?」




(うわあっ‥‥‥‥って、書いてるわけないでしょ!)


はっと我に返り、慌てて頬に当てた手をまた元に戻したけれど、遅かったらしい。
弁慶は俯いて肩を震わせていた。



「もう、人が悪いですよ」

「え、ええ、すみません。つい‥」



つい、何だというのか。
相変わらず性格の良く分からない人だ。



溜め息をひとつ。

弁慶が笑いを治めるまで、ゆきは待つことにした。


空を見上げれば、昨日の朝とそっくりな青い空。




やがてすみません、と柔らかな声がして、ゆきは隣に視線を移した。



「敦盛くん、じゃないみたいなんです」

「‥‥‥彼が、ですか?」

「はい。なんて言えばいのかな‥‥‥‥敦盛くんって、どんな感じだったのか分かんなくなっちゃった」




こんなに傍にいるのに。


昨日も、その前も‥‥‥‥いつからだったか。










触れ合う度、段々と深くなる「違和感」













「君は不思議なことを言うんですね。僕には敦盛くんのままですよ」

「‥‥そうなんだけど‥‥今までとは違うような」

「例えば?」



弁慶の眼がきらりと鋭く輝く。

例えば?
そう言えば違和感を感じた時、自分は何をしていただろう。



首を傾げたのは一瞬、ゆきの心臓が大きな音を立てた。



「‥‥‥‥あっ」

「ゆきさん?」




(そうだ!思い出した!!)




どうして気付かなかったんだろう。



(わ、私って鈍すぎるよっ‥!!)



それを感じるのはいつも、敦盛に抱きついていたときだった。

‥‥‥やっと、気付いた。






あまりにも当たり前で、有り得ないことに。

有り得なさ過ぎて、逆に気付く事さえ出来なかったなんて。









立ち上がってしまったゆきは弁慶の肩をがっしりと掴んで、そのままの勢いで口を開く。




「分かったよ弁慶さん!敦盛くんはね 「ゆきさん、後ろを見て下さい」

「は?」





‥‥勢いを殺がれてムッとした。

けれど、弁慶がいつになく驚いているから振り返り、固まった。




「‥うそ」



たった今まで気配すらなかったのに。



僅か、数十センチほど離れた背後に、子供が立っていた。



(‥‥この子、どこかで見た‥‥‥?)



衣擦れの音。弁慶がゆっくりと立ち上がったようだ。





「初めまして。君は、黒龍ですね?」

「───うん」



黒衣を纏う子供は、白龍にそっくりで。
そうなれば考えられるのは一人しか、いない。





白龍の対なる存在。

朔がたったひとり、愛していた存在。


───黒龍。





「‥‥‥え?」




偶然なのか。

それとも、運命なのか。



「え?え?‥‥えええ───っ!?こっ、ここ黒龍!?」




絶叫は邸中に響き、すっかり平静に戻ったのか「皆を呼ぶ手間が省けましたね」とにこにこ笑う豪胆な弁慶の弁慶にも何も反応出来ないでいた。








黒龍と関係があるのだろうか。







抱き締めた時に感じた、彼の


─────たしかな鼓動と。













還海Bに続く


 





   
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