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どれくらいそうしていただろう。
食い入る様に見つめるしか出来なくて、ただ呆然と立っていた、けれど。
「‥‥‥くっ!!‥‥‥ぁ‥‥‥ぁぁあああ!!」
「敦盛くん!?」
「‥‥‥来るなっ!!」
「‥‥‥‥‥‥っ!」
絶叫と共に敦盛がのたうつ。
差し伸ばしたゆきの手を、怨霊と化した右手が払った。
拒絶の言葉と共に。
ピリッと走る熱に視線を落とせば、ゆきの右腕は肘から手首に一直線の傷が走っていた。
それは鋭い爪による拒否の証。
「‥‥‥すまないっ!!」
驚いて顔を上げた敦盛と、真面に視線がぶつかった。
「‥‥‥あっ‥‥」
彼の眼は、いつもの澄んだ紫ではなかった。
現在ゆきの腕を、ぽたぽたと流れるものと同様、鮮血の色。
自分の方が痛そうに顔を歪めて、
咄嗟に敦盛の手はゆきに伸びる。
‥‥‥が、その掌は、宙で拳へと変わった。
握り締めたまま、下へ垂れ下がる。
‥‥‥ゆきに触れる事が、怖かった。
「‥‥‥て、くれ。ゆき‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥それは、」
「‥‥‥頼む‥‥‥離れて‥‥」
敦盛の意識は徐々に薄れていく。
代わりに浮上する烈なる感情。
それは全てを壊したい衝動だった。
ゆきの腕から溢れる紅いものが、雨に混じって薄い色になりながら地面に流れて行く。
最愛の存在を、自らの手で傷付けてしまったのに。
激しい後悔と同時に、沸き上がる衝動に身を任せてしまいそうになる。
誰よりも大切なのに。
千々に引き裂きたいと、今にも手が伸びそうになっていた。
この腕で守りたいのに。
この手で壊したい。
もっと、もっと。
ゆきの紅を見たいと。
人外の、怨霊としての本性が顕れようとしていた。
「‥‥‥行けっ‥‥‥!!行ってくれ!ゆき!!」
もはや、保てそうになかった。
有るはずのない脈が、波打つ。
「傷付けたくない‥‥‥っ!!」
もはや腕だけではなく全身が醜く変化しようとしている。
焼けてしまいそうな熱を感じた。
この手は、ゆきを守ると決めたのだから。
高速に薄れていく『敦盛』としての、最後の意識で叫んだ。
最期の最後まで、貴女を守らせて欲しいと。
「傷付けたくない‥‥‥っ!!」
悲痛な叫びと共に敦盛の肩が、どくんと波打つのを見た。
逃げなければならない。
きっと、彼は変わってしまう。
今まで対峙してきたモノと同じ様な姿になってしまう。
分かっているのに、不思議と気持ちが安らいでいた。
じゃり、と濡れた小石を踏み一歩近付く。
「‥‥‥る、な‥‥」
「‥‥‥敦盛くんのバカ」
右肩までが不自然に盛り上がっていた。
けれど、もう一歩近付く。
敦盛は今や怯えの混じった眼でゆきを睨んでいた。
「‥‥‥行けっ!!」
「行かない!!」
「‥‥駄目だ!!私はゆきを‥‥」
「でも行かない!!行けない!!」
ゆきは敦盛の首にしがみついた。
「やめ、ろ‥‥‥」
「やだ!!どこにも行かない!!」
「ゆき!!」
「敦盛くんが好きだから行かない!!」
何故か、敦盛の右手は大人しくなっていた。
だが、二人とも気付かないでいる。
敦盛は空いた左手‥‥‥辛うじて変化してない腕を使い、ゆきを振り解こうとした。
だが、全力で縋る彼女を剥がす事は困難だった。
一瞬前までは気丈に叫んでいたゆきの肩が、震え始める。
顔を埋めている首筋に、熱を感じた。
「‥‥‥側にいたい。もっとぎゅっと抱き締めていたいよ‥‥‥好き。好きなの。だから‥‥‥」
ゆきの口から、とうとう嗚咽が漏れた。
抱き返す事も押し退ける事も忘れて、敦盛はただ黙っている。
「お、怨霊でもっ‥‥‥怖いけど‥怨霊でもいいよ。敦盛くんの側にいられるなら」
「‥‥‥駄目だ。傷つけて、しまう‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥それでもいい」
「ゆき!!」
耳元で響く、激怒の声。
それでも、ゆきは離れなかった。
(敦盛くんはバカだよ)
心底からゆきは思う。
自分の方が辛い癖に、「ゆきを傷付けたくない」と繰り返す彼。
怨霊に変わっていくのに。そんな恐怖よりもゆきの心配だなんて。
胸を掻き毟る程苦しいくせに、
ゆきの身ばかり案じる敦盛を知ってしまえば、『彼』に対する恐怖が消えてしまった。
ただ、儚く消えてしまいそうな、予感を覚えて。
ゆきは涙が止まらなかった。
「側にいる。敦盛くんが‥‥‥怨霊になっても、一緒にいる」
「‥‥‥駄目、だ‥‥」
「聞かないよ。もう決めたもん。だから‥‥‥」
ゆきは一旦腕を解いた。
しかし、敦盛はもう突き放す力など残っていない。
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