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「じゃぁ、違う質問。お前はオレから離れられると思うかい?‥‥‥‥‥‥風花」



囁くように、漏れる名前に吐息が交じる。

首に遠いはずなのに、ビクッと首の後ろが熱を持った。


僅かな反応を見逃さなかった彼の唇が、孤を描く。



‥‥‥‥‥‥私、どうかしている。
今、触れたい衝動と戦っているのは何故なの。

あなたに触れたくて、触れて欲しくて、どうしようもないの。




「‥‥‥離れられないわ」

「ふふっ、可愛いね。素直な女は好きだよ」



ヒノエはクスクス笑うと、柱に当てた手を離した。



片手で私の頬に触れる。
もう片方の指で、私の唇を辿る。


ゆっくりと緩慢な動き。
けれど急速に、身体中に熱が広がる。



「‥‥‥‥んっ‥ヒノエ」



懇願の意思は伝わった筈なのに、ヒノエの唇は、触れようとしてくれなかった。

代わりに長い指先が、私の顔の輪郭を辿ってゆくだけ。




「‥‥‥‥‥‥お仕置きするって、言わなかったかい?」

「‥‥‥さぁ?」



ヒノエの問いかけにとぼけて見せる。

ヒノエの眼が強い光を帯びた。




「‥‥‥オレの花嫁は忘れっぽいのかい?」

「あら、ヒノエが錯乱してるだけかもよ?」

「へぇ‥‥‥それもいいね。じゃぁお仕置き。今夜は‥‥‥願いを叶えてやるよ。風花はオレに、どうされたい?」

「‥‥‥お仕置きじゃないわ、それ」

「立派なお仕置きだろ?お前が望みを口にするまで、叶えてやらないんだからね」




頬を這っていた指は、唇に戻る。
ビクッと、また波が全身を走る。



私を捉えて離さない、紅い眼。

願う事は一つだけなの。



「‥‥‥‥‥‥触れて欲しいの。指も、唇も、ヒノエの全部が欲しい」

「‥‥‥‥‥その顔、堪んないね。オレも限界かな。お前に触れたい」



言うが早いか、息吐く暇もなく、重なる唇。
割り込まれる、舌。




いつかのように焦りはなくて、私を眩暈させる様なキス。

ここが外だと言う事すら、頭になかった。





始めから性急で、
私達の熱を冷ますものは、互いのもたらす快感の、行き着く先。









「お前は分かっていないようだけどね‥‥‥熊野の男をここまで惚れさせたんだ。本当は、月に帰りたいなら帰ってもいい‥‥‥どんな手を使っても手放す気はないけどね」



まどろみの中、ヒノエの囁きは心地よく響いた。

直に触れ合う胸から、落ち着いた彼の鼓動。
頬に触れる滑らかな感触が気持ちいい。



馬鹿ね、なんて言いたいのに、睡魔が勝って言葉に出来なかった。







望美が「元の世界に帰る」と言った時に涙した理由。

聞けばあなたはどんな顔をするかしら。










「おはよう、姫君」



眼を開けた瞬間に、愛しい笑顔が飛び込んだ。



「おはよう‥‥‥」



密着した身体が暖かい。
何より、触れ合える喜びに、胸が熱くなった。

軽く、おはようとキスを交わすと、ヒノエの眼が顰められた。



「‥‥‥悪い。昨日は乱れたお前があまりにも綺麗で、夢中になってたからさ‥‥‥身体、大丈夫かい?」

「‥‥‥確かに怠いかしら。でも、そう珍しい事でもないでしょう?」

「言うね、風花」



クスクス笑うと拗ねた様に眼を細めて、口を塞ぐようなキスの嵐。

それは、私の笑いが収まっても‥‥‥続けられた。
息が上がるまで。



「‥‥‥そうじゃなくてさ。身体、痛いところはないかい?」

「ええ。痛いのはないけど‥‥‥」



激しいのはいつもの事。
その度に翌朝は倦怠感が付き纏うけれど、それすら幸せの証だと。
ヒノエも分かっているくせに、今日の彼はどこか違っていた。



過剰な程に、私の身体を気遣う。


一体どうしたのかしら?


不思議そうに見る私に気付くと、少し息を吐くヒノエ。
やっぱり変。



「‥‥‥‥‥まぁ、そんなにヤワじゃないだろうけどね、オレの子は」

「‥‥‥え?」

「熊野別当の子供だから強いはずだ、って言ったんだけど?」

「‥‥‥‥‥‥‥え?」



不覚にも、私は固まってしまった。



「なんで、知っているの‥?」




まだ、何も告げていないのに。


確かに月のものは止まっている。

でも‥‥‥私でさえ、気付いたのは三日程前の事なのに。

落ち着いて考えてみてようやく、最近の食欲が減った事との因果関係が出て来たのに。



「‥‥‥どうして分かったの?」

「愚問だね。オレがお前の事に気付かない訳がないだろ?」

「でも妊娠なんて、そう分かるものじゃないわよね?‥‥‥もしかして、隠し子がいるとか?」



こんなに格好よくて、地位も頭脳も高いヒノエなら、有り得ない事ではない。

睨み付けると、ヒノエは声を出して笑った。



「だってそうでしょう!?男性が女性の妊娠に気付くのって、似たような経験あるからだと思うわよ」



尚も笑い転げるヒノエにムッとして、腕の中から抜け出した。

上半身を起こすと、さすがに彼も笑いを止める。



「本当に可愛い姫君だね、オレの風花は。何故オレが気付いたか、本気で分からない?」

「‥‥‥分からないわよ」


下から私を見上げる眼が、光を帯びる。



「簡単な事だけどね。お前の身体が変わったからだよ」

「変わった‥‥‥?」



特にまだ変化はない。
腹部も目立たない所か、身体の隅にも妊娠の兆候は見られないのに。



「ああ。身体の線が柔らかくなったかな。オレには分かるんだ、お前の変化なら全て‥‥‥」



ぐっ、と腕を引き寄せられれば、ヒノエの胸の上に倒れる。
そのまま反転すれば、組み敷かれた状態に。



「‥‥‥いつか言ったろ?熊野の男は惚れた女には弱い、ってさ。
オレをここまで溺れ込ませた姫君は、後にも先にもお前しかいないんだ。だから‥‥‥」




そこで唇を重ねて、昨夜の余韻を呼び覚ます。


あっと言う間に火が付いて。
その瞬間に、離れてしまう。



「お前が風に乗りたいと言うならそれでいい。月に帰りたいなら帰ればいいんだ。
‥‥‥‥でも、オレの手は離さないけどね、風花」



溢れんばかりの愛の言葉に、泣けて来た。

ヒノエの唇が、涙を掬ってくれる。




「‥‥‥バカね。ヒノエから離れて生きていける訳ないって、知ってるくせに」

「当然」




そう言って、晴れやかに笑う彼。

暫しの沈黙は、キスがもたらした結果。

だけどそれも、やがては甘い声で破られた。




「‥‥‥でも、自由がなくなるのよね。赤ちゃんがいるなら刀も握れないし」

「その分オレを見ていればいいじゃん」

「そうね‥‥‥ヒノエがずぅっと傍に、いてくれたなら、見ているわ」



忙しいくせに、と横目で見上げれば、ヒノエは弾けるように笑い出す。



「大事な身重の奥方様を護るのも、別当の務めってね。その話もあって、しばらく帰って来れなかったんだ」



でも、これからはオレがお前を護るよ。






そう言って、またキスをした。












冬には、新しい命がこの世に生まれる。


私が彼に恋をして、
彼が私を恋をしてくれて、

二人の想いの結晶が。





運命が悪戯を起こさなければ
決して出会う事がなかった私達。



二人、共に居られる幸福が
ずっと続きますように。


そう願ったのは春の事だった。





 
 

  
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