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耳をつんざく激しい音に、私は眼を開けた。
望美の手を握り壁に凭れ座った姿勢で、いつの間にか眠っていたようだ。
こんな時なのに‥‥‥と思ったが、仕方ない。
睡眠不足と疲れが押し寄せてしまったのだろう。
‥‥‥変な態勢で眠ってしまったから、身体のあちこちに鈍い痛みが走る。
ド‥‥ン、と激しい音。
雷?
それと、それから‥‥‥雨が降っている。
天井近くの格子戸を見上げるも、外は暗い雲に覆われている。
今がどれくらいの時刻なのかすら分からなかった。
「‥‥‥ん‥」
幸いにも、望美に熱はなかった。
傷が痛むのか、眉根を寄せている。
私は眼を伏せる。
部屋の入口の外で身じろぐ音は‥‥‥ひとつ。
会話も聞こえない。
恐らく見張りをしているのは一人か、もしくは二人だろう。
手負いの望美がいるから逃げ出せない、と踏んでいるようだ。
外は激しい雨と雷。
私だけで何とかなる、見張りの数。
けれど、逃げ出す訳にはいかなかった。
望美を抱え、敵を蹴散らす自信まではないから、大人しくしている他ない。
私の為に身体を投げ出してくれた望美を、命をかけても守りたいの。
‥‥‥そう。
何を嘆いていたの、私。
私達を拉致した者達。
彼等の言う通りに動いても、命の保証などないのに‥‥‥。
望美を守るのは、私しかいない。
親友の寝顔を見つめて、鼻に掛かった前髪を退ける。
絶望的な状況だと、決め付けるのはまだ早い。
深呼吸をひとつ。
部屋の外、廊下からガヤガヤと数人の男の声が聞こえた。
ドタドタと立てる足音は、気配を隠す事に長けていないようだ。
それはつまり、戦いに慣れていない者と言う事になる。
もちろん、私達の武器は取り上げられている。
何度目か分からないが、ざっと室内を見渡した。
ないものが突如現われる訳もないけど。
‥‥‥分が悪い賭けになるのは、もう仕方ない。
私は眼に付いたそれを、手近に引き寄せた。
不自然にならぬ様に、ある程度の距離を保つように。
葉擦れの音が聞こえた気がした。
格子戸を振り返る。
「ああ‥‥そうね」
思わず笑みが零れた。
そう、私は忘れていたの。
私は藤原風花。
熊野別当の
‥‥‥世界一したたかな男の、
妻なんだって。
「ご機嫌は如何でしょうか。奥方様」
姿を見せたのは、やはりこの男。
恐らく、今回の首謀者だろう。
命令を下すことに慣れきった、それでいて一人では何も出来ないような人物独特の、見下す視線を向けている。
「そうね、悪くも良くもないわ」
「それはそれは。何か不自由なことがありましたら申してください。貴女は大切なお方なのですから」
言葉と眼つきが合っていない。
自分が一番偉いのだと言いたげな、頭の悪そうな男。
どう対応すべきか考えたのは束の間。
腹を括る。
「お気遣いくださってありがとう」
私には、情報が少なすぎる。
そしてこの男は愚鈍。
室外に護衛の気配がするものの、中まで入る様子がない。
そのことから、中に居る丸腰の女と怪我人に、さして危険を感じていないようだ。
ならば、色々聞き出す絶好の好機。
案の定、私がこぼした微笑みに満更でもなさそうだった。
「このような場所に突然お連れした事を、まだお詫びしていないかと」
「いいえ。もう結構です。こうして彼女の手当てをして下さったもの。腹は立つけど‥‥‥少なくとも、これ以上は何もしないと分かりました」
望美に眼を遣りながら、わざと髪を撫でる。
ぴく、と震える彼女の瞼。
‥‥今は動かないで。
髪を撫でていた手を滑らし、そっと翡翠色の眼を覆った。
不自然な動作を男に気取られぬように、視線を上げて男と眼を合わせる。
「けれど、どうしてこんな事をなさったの?何も解らないままでいるのは‥‥‥不安だわ」
駆け引きを始める。
僅かばかり、媚びた眼で‥‥‥上目遣いに男を見つめた。
そうすると、男の目が好色の色を浮かべる。
このスケベネズミ男。
内心で罵りながら、男が好みそうな微笑を浮かべる。
‥‥‥ヒノエに嫉妬されちゃうかしら、なんて思いながら。
「手荒な真似をしたのは我々です。が、信じていただきたい。奥方様‥‥‥いや、清盛様のご息女君」
「風花で結構です。確か、平家の復興って聞いたけれど‥‥‥」
少しだけ、首を傾げた。
私が「無知で不安そうなか弱い姫君」に見えればいいんだけど‥‥‥。
もしここに、将臣や知盛がいればきっと爆笑していただろう。
ヒノエがいれば‥‥‥どんな顔をするかしら?
何も知らない馬鹿な男は、狙い通りに反応してくれた。
隠し切れない下心をちら付かせつつも、親切な殿方になってくれる様だ。
吐き気がする。けれど仕方ない。
「その通りです、風花様。貴女様のご実家を再興する為に我々は内密に動いておりました」
「だったらそう言って下されば、私‥‥‥こんな事をなさらなくても、お話を伺ったのに」
眼を潤ませる事など容易かった。
男が息を呑む気配。
「も、申し訳ございません!ですがこれは平家の、ひいては貴女様の御為。
‥‥‥内密に、との還内府様のご内意なのです」
「そう、なの」
これで、すべてが分かった。
もうこの男から聞き出すことなどなさそうだ。
手の平はまだ望美の眼元。
軽く押さえつけると、瞼を数回ぱちぱちした感触が伝わる。
『起きているよ』と。
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