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「風花。身体は大丈夫?」
「‥‥え?」
「本当は辛いんだよね?歩き方で分かるよ」
邸に戻る為に、山道を登っていた。
昨日ヒノエの全てを受け止めた身体はぎしぎしと痛む。
そして寝不足も祟ったのか。
望美が気遣う程に、それは表に出ているようだった。
「‥‥‥あと少しだから、頑張って!」
「ふふっ、ありがとう」
望美と眼が合う。
互いに小さく笑う瞬間を分かち合うと、少しだけささくれだった気分も凪いだ。
「‥‥‥ホントはさ、ヒノエくんを殴りたいんだよ?風花を泣かせるなってね」
「それ、すっごく洒落にならないからやめてね。大体私は泣いてないもの」
「うーん?そうかな‥‥‥でもね、ヒノエくんは風花が好きで好きでたまんないんだよね。それが分かるから、何も言えないんだなぁ‥‥」
望美の言葉に、足が止まった。
「‥‥‥‥望美、ヒノエの事‥‥‥」
「風花‥‥‥‥‥‥なんっでそうなるかなぁ!!」
急に怒ったように頭を掻き毟り、しゃがんだ望美。
壊れたのかしら、と心配になる。
「言ったよね!?私が一番気にかかるのは風花なんだよって!!」
「‥‥‥望美」
「ねぇ、風花‥‥‥」
と、望美は一旦言葉を区切った。
上げた顔に宿る、緊迫した表情。
「風花、走れる?」
「勿論。大丈夫よ」
私が差し出した手に掴まると、望美はゆっくりと立ち上がった。
彼女も私も、もう片手は鞘に。
油断なく辺りの気配を窺うと、既に囲まれている事が分かった。
「‥‥‥どうやら逃がしてはくれないみたいね」
「そうだね。やるしかないかな」
ニヤッと笑うと、望美の手が剣を抜く。
既に刀を構えた私と背中合わせになった。
迎え撃つ態勢に気付いたのだろう。
人の動く気配がする。
「隠れてないで出てきなさい、この‥‥‥根性なし!!」
「うわぁ‥‥‥風花らしくて好きだなぁ!」
木陰から男が四人‥‥‥五人、出て来た。
「気の強さは望美には負けるけど?」
「そう?おとなしいフリして実は風花の方が気が強い‥‥‥‥‥‥‥‥っと‥来るよ」
緊迫した望美の呟きと同時‥‥‥脇から瞬時に振り下ろされた刃を躱す。
安易だと思うほど、男の動きは簡単に予想が付いた。
「随分なご挨拶だね!」
「‥‥‥熊野別当の奥方様とお見受け致します」
苛立った望美の抗議を聞いていない様に、私と刀を合わせている男が静かに言った。
‥‥‥何処かで、この男達に引っ掛かりを覚える。
思い出せないのが悔しい。
それでも、白い肌や刀の扱い方で分かる事がある。
「‥‥‥あなた達、熊野の人間じゃないわね」
「ほう。流石は平家の姫君でいらしたお方だ」
互いに力の方向を変え、刀を弾く。
ギン、と刃のぶつかる音が背後から聞こえた。
「望美!」
「楽勝!」
そうだ。
望美よりも自分の心配をしなければ。
剣術では私は望美に劣るのだから、彼女の足を引っ張らないように。
横凪ぎの一閃を屈んで躱す。
その勢いで地面に手を突き足を払った。
あっけなく避けられる。
「奥方様。貴女には来てもらう。
‥‥‥嫌と仰るのならば、こちらにも考えがある」
「折角ですけど、夫の言いつけで知らない人に付いて行かないと決めているの」
「だいたいさぁ、そんなヘボ野郎に協力する気になれないよね!」
「挑発しないでよ、望美‥‥‥」
ギィィン!
ガン!
激しい金属音が聞こえる。
望美が背後で討ちあう音と。
私のそれと。
さっきの望美の挑発に色めき立った彼等は、草陰から次々と沸き出て来た。
振り下ろされた刀身を躱して、私は相手の鳩尾に峰を叩き込む。
数は随分と減った。
望美の剣技はやはり素晴らしく、私が一人を片付ける合間に三人を相手する。
命を奪う事はなく、峰討ちや利き腕を斬り付けていく私達。
十人を軽く超えていた成らず者達はあと二人。
完全に、油断していた。
「風花っ!!」
ヒュッと空気を裂く音。
直後、望美の声がした。
私を突き飛ばした相手が彼女だと気付いた時には、もう。
崩れ落ちる、紫苑の髪。
「‥‥‥‥‥‥望美っ!?」
抱き留めるつもりが、
受け止め座るだけで精一杯。
かなりの射手だ。
胸に刺さる矢が心臓から逸れている事を祈るしかなかった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥彼女の手厚い看護。これが条件だわ」
「無論。貴女が大人しくしてくれさえすれば、手荒な事はしない」
よく言うわ。
出掛かった激しい怒りは、伏せた眼の中に閉じ込める。
「誓って。破れば‥‥‥舌を噛みます」
「誓おう」
そして、
うなじに衝撃を覚えて
深い眠りについた。
「‥‥‥風花‥?」
あれから一昼夜が過ぎて、ようやく望美が目を覚ました。
「起きたの?もう少し寝ていていいのよ」
「‥掴ま‥‥‥んだ、ね」
小さな笑みを浮かべて、曖昧に誤魔化した。
「もう少し、ゆっくり寝ていて」
「ご‥‥‥め、ね‥‥」
「‥‥‥望美」
僅かに唇を動かして、謝罪の言葉を呟いて‥‥‥望美は再び目を閉じた。
違うの、望美。
巻き込んだのは、私。
「ごめんね」
ごめんね望美。
あの時、ヒノエを追いかけなければ。
これは、浅慮なのだろうか。
あの後。
うなじに手刀を入れられ気絶した私が目覚めた時は、寂れた邸の一室だった。
隣に眠る望美は手当てされていて、ホッとした。
『平家が再び隆盛を迎える為には熊野の力が必要なのです。
平家の姫君であり、別当殿が溺愛している貴女さえいれば
‥‥‥熊野は動く』
零落した貴族、を彷彿とさせるような男が薄笑いを浮かべて吐いていた。
冗談じゃない。
取り引き材料なんかにされる訳にいかない。
捕らわれたのが私一人だけならば、きっと。
抜け出したか、舌を噛んだかしただろう。
けれど今、望美の命を握るのは
「熊野別当の妻」の存在。
見捨てるなんて出来なかった。
望美を守れるのは私しかいないじゃない。
言いなりになるしか手がない。
‥‥「和議」が締結されて一年。
熊野が平家の為に動けば逆賊になる。
でも、ヒノエが断れば、私達の命はない。
ヒノエが愛してやまない熊野。
逆賊なんて冗談じゃない。
けれど‥‥‥目の前に眠るのは、動けない程弱った親友。
望美を巻き込んだ責任は、きちんと果たさなければ。
溢れそうな苦い後悔。
望美の手を握り締めた。
ねぇ、ヒノエ。
こんな私が
あなたの側にいる資格、あるのかしら。
ただあなたの隣にいたかった。
ただあなたを愛していた。
ヒノエの妻になる。
その先に生まれる責任や立場を、理解したつもりでいた。
けれど今、私は。
熊野を守る為に何ひとつ出来ない。
「ごめんね、望美。
‥‥‥ごめんね‥‥‥ヒノエ」
あなたの隣を‥‥‥‥‥歩く、覚悟がなかったの。
遠くの空で、雷鳴が轟き始めた。
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