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「‥‥‥どうしてもっと早く言ってくれなかったの!」
「仕方ないじゃん。オレの風花が、朝から情熱的に」
「もう!」
「‥‥‥っと。激しいね、姫君」
恥ずかしくて、咄嗟に側にあった湯呑みを投げてしまった。
勿論のこと、それは見事に片手で受け止められた。
ヒノエは何事もなかった様に膳の上に置く。
彼の眼に怒りはない。
けれど、浮かぶのは‥‥‥読み取れない感情。
ここは謝らないとまずい。
「ごめんなさい、ヒノエ」
「‥‥‥さて、どうしようかな?躾の悪い姫君にはお仕置が必要だね」
「ヒノエってば‥‥‥」
ヒノエが立ち上がった、と思えば次の瞬間に私は彼の腕に抱き上げられていた。
「なに、するの‥‥‥?」
情けない事に、私は内心冷や汗を掻いている。
掠めるキス。
「お仕置といきたいのは山々だけど、そうも時間が許さないからね。代わりに‥‥‥」
一旦口を噤み、夜着姿の私を全身くまなく視線で撫でた。
それだけで背筋が痺れる程、ヒノエの眼は熱く色っぽい。
「そうだな。オレがお前の着替えをするって事で、どうだい?」
「‥‥‥私が着替えさせられるのを嫌がってるって知ってるくせに」
「ははっ。お仕置だからね」
かくして私はヒノエの手で、着替えさせられた。
その間中‥‥‥身体中に紅い花を咲かせられたのは、言うまでもない。
着せられたのは、普段来客を迎える時の高価な着物ではなかった。
上質だけれどシンプルな色合いの、赤を基調とした重ね。
きちんと客を迎えねばならないなら、この衣装はどうか。
と言う無言の訴えに気付いたのだろう。
「今日の客は非公式に呼んだからね。気楽にしなよ」
ヒノエの言う『来客』とは、私の護衛としてやって来た人物の事らしい。
我が身くらいは何とかなる程度の武術は、身に付いていると思う。
そう言うと、怒ったような眼で彼は言った。
「姫君は自分の立場を分かってないからね」
「‥‥‥どういう事よ?」
何となくムッとすれば、更に憮然とした表情の彼が私を見下ろす。
「‥‥‥言ったろ?お前はオレの唯一の弱点なんだって」
「それは聞いたけど‥‥‥」
語尾が小さくなる私を、
ヒノエは正面から抱き締めた。
「‥‥‥風花。これ以上オレを狂わせないでくれないかな」
「狂わせる?」
そんな事、覚えがない。
狂わせる、なんて尋常ではない言葉。
意味を聞きたかった。
でも、掠れる声が余りにも切なくて。
余りにも苦しそうに私を抱き締めたから。
ヒノエが何を思って私に護衛を付けるのか、自分で推察するしかなかった。
‥‥‥それはきっと、秋に将臣がもたらした言葉に繋がっているのだろう。
『熊野別当の妻を狙う輩がいるらしい。だからお前が一人でいる事に驚いたぜ』
あの時私は、『烏が付いてるから』と答えた。
それは私も暗黙で了承している事を、ヒノエも知っている。
ならば、今になって、何故護衛を付けるのか。
‥‥‥ねぇ、あれから何かあったの?
問いたいのに、
ヒノエが縋る様に抱くから
「風花‥」
「‥‥‥うん、分かった」
私の存在を確かめる様に名を呼ぶから。
何も聞かずに頷いた。
心の中に、儚さにも似た一抹の不安を感じては、いたけれど。
その後、対面を果たした『護衛』は
ヒノエが認めるのも頷ける程の、最強の人物だった。
‥‥‥‥熊野に冬が、やって来る。
私達が出会って二度目の、冬が。
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