04 (4/20)
『‥‥‥あれ?』
紅い紅い一面の花。
私は制服姿で立っていた。
『‥‥‥嘘』
あの時の夢の記憶が確かならば。
ここは、きっと‥‥‥
『お前‥‥‥あかり、か‥‥‥?』
『とももりくん?』
振り返れば、記憶よりずっと成長した銀色の少年が佇んでいた。
『あかり‥‥‥?』
『本当に、とももりくん‥‥‥?』
互いに成長していた事。
互いにその名を覚えていた事。
たった一度だけ、しかも六年も昔の事なのに、それがとても嬉しくて。
‥‥‥ただの夢ではないと、直感した。
『どうして着物なの?』
『‥‥‥普段着だ。お前こそ、妙な姿をしているが‥‥‥?』
『制服だけど?』
『‥‥‥せいふく?』
眉をしかめて聞いてくる『とももりくん』に、私はある種の疑問を感じた。
時代錯誤な衣装。
堅い言葉遣い。
腰に下げた刀。
私と彼は、「何か」が違う。
けれどもこの時既に、ただの夢だと認めたくない私が存在していた。
だから、尋ねてみる。
『とももりくんはどこに住んでるの?』
『‥‥‥京の、六波羅に邸がある』
『ろくはら?京都?』
いや、今『京』だと言ってなかったか?
ろくはら‥‥‥何かで聞いたような気がするけど、覚えていない。
悶々と悩む私。
『‥‥‥あかり』
眼を上げると、『お前は?』と言わんばかりに顎をしゃくってくる。
ほんの少ししか会ってないのに、こんな仕草まで分かるようになって‥‥‥嬉しいのやら複雑なのやら。
『私は鎌倉に住んでるの』
『鎌倉‥‥‥?』
『そう、鎌倉。知ってる?』
『‥‥‥お前は俺を馬鹿にしているのか?』
少し憮然とするから慌てて否定した。
『そうじゃないってば』
『ほう‥‥‥ならば、何だ?』
彼は、唇の片端を歪めて笑う。
その仕種が、やけに妖艶で。
男に免疫のない私は顔が真っ赤になった。
どこか面白そうな、余裕を感じる。
私は言いたい事すら忘れてしまって、足元に視線を落とす。
ふと花を見て、驚いた。
『‥‥‥薔薇?』
最初から‥‥‥前に出会った時も、この花が咲いていた気は、する。
だけど、それが薔薇だとは気付かないのはどうして。
こんなに目立つ花を。
『ばら、と言うのか。この花は‥』
『え?‥‥‥‥‥‥知らないの?』
『ああ。少なくとも邸には咲いていない』
外の花など注意して見た事ないが、な。
頭上から声が聞こえた、と思った瞬間、彼の姿は私の足元に。
しゃがんで、優雅な仕種で薔薇に手を伸ばす。
『気をつけて。棘があるよ』
『‥‥‥っ。面白い』
忠告した時にはもう遅くて、彼の指は傷付いていた。
そのまま花を摘み採ると、立ち上がった。
『とももりくん、傷!』
『‥‥‥大した事はないだろう?』
いや、指先は結構深い傷を負っているように見えるけれど。
絆創膏、ポケットに入れておけば良かったのに。
後悔しながらポケットを探る。
『あっ‥‥‥』
この前買った卸したてのハンカチに指が触れた。
柄が可愛いから、と望美とお揃いで買ったもの。
『はい。拭かなきゃ』
『ふん‥‥‥必要ない』
『駄目でしょ。化膿するんだから』
言いながら無理矢理彼の手を取り、血を拭った。
握ったハンカチごと、不意に手を握られる。
『あかり』
『‥‥‥ん?』
『やる』
ずい、と差し出されたのはさっきの薔薇。
どこか気怠そうなのに危険な香りがして、見ているだけでおかしくなりそうだった。
空いた手で受け取る。
籠る程の芳香は、目の前の彼の様に気高い。
そう、思わずに居られなかった。
『あ、ありがとう』
『‥‥‥お前に、良く似合う』
『‥‥‥や、やだ』
『クッ‥‥‥‥冗談だ』
『ああそう』
どうしよう。
頬の熱は取れそうもない。
怒っている、と意思表示をすべく手を引っ込めようとしたけど、代わりにぐい、っと裏返された。
掌を上に向けられて、怪訝に思い視線を上げた。
私の目の前で彼は、先程負った傷口に歯を当てて、囓った。
ぽたぽたと指先から流れる、真紅。
手の中の薔薇と同じ。
あろう事か彼は、驚いて固まっている私の掌をその紅でなぞった。
「知盛」と。
‥‥‥血で書かれた文字なのに、気持ち悪いと思えない。
『知盛くん、か‥‥‥』
『‥‥‥知盛』
『え?』
『そう呼べ』
『知盛?』
それでいい、と彼は笑った。
皮肉そうに片頬を歪めて。
二人世界。その端が明るく光り始めた。
‥‥‥もう、この時間が終わる。
『知盛!ハンカチあげるね!!』
『はん‥‥‥?』
『それの事!ハンカチ!!』
言いたい事が山程あるのに。
聞きたい事も溢れる程、あるのに‥‥‥。
言葉の洪水に頭が翻弄された。
上手く紡げなくて、咄嗟に知盛の襟を掴む。
『知盛、あの 『あかり』』
静かに遮る、
昔より低い声で。
『‥‥‥また、な』
『‥‥‥‥‥‥‥‥‥うん』
何故か酷く暖かくて、私は安心した。
大丈夫。
きっと、また会える。
気が付くとやはり布団の上。
‥‥‥うん。鮮明に覚えている。
嬉しい。そう思いながら眠い眼を擦ろうとして、止まった。
まだ乾き切っていない。
握り締めてしまったからか、擦れたからか。
あちこちを汚してしまった。
「‥‥‥学校行けないじゃない」
何故か私には
手を洗うと言う選択肢が思い付かなかった。
「知盛のばーか。こんな事しちゃって」
クスクス笑いながら、掌にキスをした。
「知盛」
名前を呟いただけで、心臓が大きく鳴った。
こんな感情、私は知らない。
大丈夫。
私達はきっと、また会える。
銀の彼の夢の中で。
銀の夢が、醒めても‥‥‥‥‥‥大丈夫。
枕元にあった紅い薔薇と、真紅で印付けられた掌と。
そして、同じ位に紅く染まっているかも知れない、私の頬。
「‥‥‥‥‥‥知盛」
また、会いたい。
BACK