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生田の森を背に、待ち望んだ者の訪れを迎える。
「あなたは、平知盛‥‥‥?」
予想していた、否、待ち焦がれたと言ってもいい。
戦うなら私が相手になる、と正眼に構えた女の姿を認めた時、胸が歓喜に打ち震えた。
ここまで平家を追い込んだ、源氏の神子。
「クッ、気の強い女だ。‥‥‥名は?」
「春日望美だよ」
足を踏み出したと同時に揺れる長髪が踊るように美しい。
何より、純粋な意志を孕んだ眼の、射抜く強さ。
女だと舐めてかかった訳ではない。
が、想定以上の強さに、いつしか口端が上がっていた。
「‥‥‥ほう。獣の様な女、か」
「っ‥‥‥!」
女が肩を押さえ、一歩後退する。
滲み出た紅の鮮やかさ。
「神子!」
叫んだのは、いつの間にか源氏に組した裏切り者。
「大丈夫です、敦盛さん‥‥‥行くよ!」
「クッ、面白い。そうでなくてはな」
背後の男共に勲しの一声を上げ、自ら先陣をきって飛び込んでくる女。
刃を手にした刀で軽く受ける。
そんな、と驚愕に眼を見開く女の耳元に囁いた。
「そろそろ遊びは終わりだ───源氏の神子」
「なっ‥‥‥」
「させるか!」
刀を受けたまま、もう一方の刀を心臓へ突き立てる。
だが銀の刃から伝わる筈の肉の感触はなく、代わりに鋭く打ち鳴らす金属同士がぶつかる音。
‥‥‥仕留め損なったか。
一旦退くと、女を背に庇う重い剣筋の主が此方を睨んでいた。
ようやく、源氏の大将のお相手だ。
「望美、もういい。俺達に任せてお前は下がっていろ!」
「九郎さん、でも!」
「いいから聞け!」
「取り敢えず止血しませんか?血で滑って刀が握れないでしょう」
「‥‥‥はい、弁慶さん」
「では九郎と敦盛くん、頼みましたよ」
「ああ」
九郎、と大将の名を呼んだ男が源氏の軍師らしい。
場を任された二人と、雨の如き隙の無い剣戟の攻防。
刃を受け止め、斬り、皮を裂き、凪ぐ。
その合間に軍師が女を連れ、後ろへ退がるのを眼で追った。
殺すには惜しい。
女も、男達も、これから更に強くなるだろう。
このまま力を付けた奴らと、殺し合えればさぞ愉しいだろう。
俺の考えが伝わったか否かは知らぬ。
その時、背後の森から口笛の音が微かに聞こえた。
───撤退を伝える合図だ。
「クッ‥‥‥どうやらお前達とのお遊びも、終わりらしい」
「───何っ!?」
得物を鞘に収めた俺を斬れば良いものを。
戸惑い俺を見遣る大将は、戦場の作法とやらに忠実な堅物らしい。
「どういうこと、知盛っ!?」
「‥‥‥さぁ、な?」
答えるつもりなどない。
が、愉しい一時の礼に言葉の端に事実を滲ませてやった。
「望美さん。恐らく還内府が帝を連れて遠くへ逃げた後です。今の口笛はその合図。知盛殿は僕達の足止め役だったんでしょう」
「そんな!ここまで来たのに!」
「仕方ありませんね。‥‥‥貴方を仕留めておきたいのは山々ですが、双方ともに分が悪い。そして僕達はここで時間を割く訳にいきませんし、ここは互いに引きませんか?」
他の者共が射殺さんばかりの視線を投げる中、一人冷静な軍師が問うた。
否、問いではなく確認か。
「‥‥‥随分と都合がよろしいようだが?」
「柔軟だと認めて欲しいですね」
言外に近付く援軍の存在を匂わせている。
俺にも異存は無い。
気が殺がれた。
無言の同意を受け、撤退を始めた源氏の男共。
その後を、此方を振り返りながら着いて行く女。
そして、
「───おい」
女が握る『それ』を見付けた。
「な、何?知盛」
「何故、お前が‥‥‥?」
「え?あ、ハンカチ?」
戸惑いながらも女は素直にそれを広げた。
一面に花が描かれている。
恐らく誰一人見たことが無いであろう、赤い花。
その小さな布の名称ですら、十年前に知っている。
忘れるはずも無い。
脳裏で鮮やかに描けるほど、見慣れているが故に。
「親友とお揃いでお守りみたいなもので、」
「早く来い望美!」
「あ、はいっ」
大将に呼ばれ、女は首を傾げながら駆け足で去った。
───何故、源氏の神子が持っている?
『知盛!ハンカチあげるね!』
懐から袱紗を取り出した。
銀地に猩々緋の糸で描かれる、平家紋の揚羽蝶。
広げれば、十年来手放せずにいたそれが姿を見せた。
古びて色褪せた模様は、この時代には生息せぬ花。
「お前は‥‥‥胡蝶ではないのか‥‥‥?」
馬鹿な。
愚かで、馬鹿馬鹿しい考えだ。
浮かぶは自嘲の笑み。
傍に置けるとでも思ったのか。
現の腕に抱ける女だとでも?
「‥‥‥不可能、だな」
あれは、血生臭い戦の似合わぬ女。
乱世になど縁がない、平和な世界に生きる女。
戦う事でしか生きてゆけぬ俺の、対極にある女だ。
───お前は。
能天気に生きればいい。
夢の彼方で、俺を忘れ‥‥‥笑っているといい。
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