Amour non partag (1/1)





その日まで私は、普通の大学生活を送っていた。

運命、後にそう名付けるだろうあの晴れた日。

昼までの講義を終え、帰路に着いた私は、開いた電車のドアへと踏み出した途端、足が空を切った感触。
当たり前のように堅い床に着く筈が、身体を真下に引っ張られてゆく。
あの混乱───奈落に落ちるような。

そしてどうしてだか次の瞬間、水の中で溺れていた。
それまで生きていた常識が覆る世界に飛ばされたと気付いたのは、そのすぐ後。
なんと私は全く知らない国どころか、知らない世界の――コゴール砂漠近くの街、マンタイクの池に落ちてしまっていたらしかった。













それから約二年が経った、帝都ザーフィアスの下町。


噴水から吹く暖かい風が、目の前の黒髪を弄ぶ。

つい此処が外なのも忘れて、眠たくなるほどの陽気。
こうして水道魔動器の傍らに座ると、下町にも春の恩恵を感じられた。


「本気で行かねえの?ユイ」

「うん。よろしく言っといてね、ユーリ」


日本ならこんな日を『小春日和』って言うんだろう。

思い出して少し感傷に浸れたらどんなにマシだろうか。
帰れなくなった家を恋しがるより、此処に慣れてしまった。


「人をパシんな。言いたきゃ自分で言え」

「言えないからお願いしてるんだってば」

「‥‥ったく、困ったお嬢さんだな」


共に世界を旅した黒髪の青年は、今日はいつになく機嫌が悪そうだ。


‥‥‥確かに。
約束を破るのは私だから、私自身が説明すべきだ。

ユーリだって言伝を引き受けるのは気が進まないだろう。
これが悩みぬいた上での結論とは言え、嫌な役目を押し付けてしまう結果になったのはやっぱり申し訳ない。


私だって本当はお花見、したかったんだよ。


自分の都合で行かないんだから、自分で断りに行くべきだ。

けれど、それが出来れば苦労しないわけで───。


「‥‥フレン、待ってんぞ」


まるで思考を見抜いたかのようなタイミングでユーリが口にしたのは、命の恩人の名。







───ハルルの樹が満開になったら、一緒に見よう。君に見せたいんだ。






彼の声が鮮やかに蘇る。



「‥‥そう、かもね」

「かもじゃねえっつの」

「あはは‥」

「お前な‥‥この前のアレ、やっぱあいつ絡みだろ?」

「さ、さあ?何の事だか」


覚えていなくていいのに。ユーリの馬鹿。馬鹿ユーリ。

惚けてみたもけれど、『この前のアレ』とやらは今でも脳裏に焼きついている。


一ヶ月前のことだ。
下宿先の女将さんから頼まれた買い物帰り、フレンが綺麗な女の子に告白されている現場に遭遇してしまったのだ。


思わず逃げ出した私が落とした買い物袋は、たまたま擦れ違ったらしいユーリが拾ってくれたらしい。
私はユーリに気付かなかったけれど。


あの一件がきっかけで、うっかり―――本当にうっかり、気付きたくなかった感情を自覚してしまったのだから。



「ふぅん。ま、そういう事にしといてやるよ」

「ありがと」


フレンがどんな返事をしたのか、知らない。

あれから会ってないから聞きようがない。


礼を述べると、ユーリが怠そうに剣を弄び始めた。
鞘に仕舞っているとはいえ、そんなに旋回させたら危ないってば。
ましてや鞘に括り付けた細い紐を振り回して、ぶっ飛ばしたらどうする気だ。
というか、目の前の私にぶつかったらどうしてくれる。


「ハルルで待ってんの、あいつだけじゃねぇのにな」

「‥‥分かってる。エステルとリタには手紙書くよ。また遊びに行くって」

「カロル先生とジュディもそろそろ集まってる頃だろうな」

「ほんと!?カロくん達ってギルドの仕事が忙しいんじゃなかったの?」

「たまには休憩も必要っつーことで。バウルと散歩ついでにパティ拾ってくるって張り切ってたぜ」

「パティも!?」


最終兵器とばかりに引っさげられた名前は、金髪おさげの最萌え少女。
思わず顔が輝いてしまう。
固い筈だった決心がぐらぐらと揺れ始めるのを感じてしまう。

そんな私に、ユーリがにやりと唇を歪めた。


「うわ、すす凄いどうしよう!皆で会うの久しぶりだよね!」

「わかったから落ち着け」

「これが落ち着かずにいられますか‥‥‥ってあれ、一人足りない?」

「足りなくねぇ。気の所為だ」

「ええー‥‥聞いたら泣くよレイブン」

「おっさんなんかどうでもいいって。んで、どうする?お嬢さん」


ユーリが小首を傾げる。
羨ましいほど綺麗な黒髪がさらりと肩を滑り、これまた羨むほどの美形が首をちょっと傾けるだけで、とんでもなくエロい。
つい吹き出してしまった。


「あはは!ユーリの陰口をレイブンに言っちゃうのもアリか」

「今更だ。‥‥でもま、安心したわ」

「安心?」

「ちったぁ笑える様になったな。ここんとこ泣きそうな顔してたろ」

「‥‥‥」



ちょっと笑ったユーリが指を伸ばして、私の額を軽く突く。


「ゆ、ユーリさん!?」

「フレンに彼女出来たか知るのが、そんなに怖いか?」



バレバレなのは理解してた筈なのに、やたらと動揺したのは。

‥‥きっと、この鋭い眼のせいだ。


「う‥‥ん。怖いよ。でも、怖いからって逃げても何一つ変わらないんだよね」

「そういうこった」



彼女と付き合うの?
とは、怖くて怖くて聞けなくて逃げ回った自分。
肯定されたらと想像するだけで変な汗を掻いてしまう程緊張してしまうのだから重症なんだと思う。

───それでも。
ちゃんと向き合うべきなのだ。
こんな自分にそろそろ限界を感じているのだから。

ユーリは私自身にそれを言わせたかったのだろう。



「わかった、行く。フラれたら骨を拾ってね」

「心配すんな。そん時ゃ俺がお前貰って大事にしてやっから」

「そうそう、貰っ‥‥‥え?」


貰う?

あれ聞き違い?聞き間違いだよね?
ああそうか「拾う」と間違えたんだろう。
なんだ、びっくりした。

それとも、もしかして今のはユーリ流の冗談なのかも?
ほらユーリ優しいから。


「ユーリ、励まし」


『励ましてくれてありがとう』
の冒頭の部分を紡いだと同時、ユーリも口を開いた。


「わり、うっかり本音が出たわ」

「へ」


‥‥‥あれ。


「だろうなと思ってたが、気付いてなかったのか。結構態度に出してたんだがな」


あれ?
ちょっと待て、あれ。


キラキラと輝く笑顔。
そういえば、『この男にあまり近付かない方がいいわ、ユイは可愛いから火傷するから』とかナイスバディの某クリティアっ娘に念押しされていたっけ。
すっかり忘れていたけれど。


ぽかんとしたまま、いや呆然としたまま歩い。
帝都からずっと繋がれた手に私が気付くのは、夜桜に似た美しい薄紅の花が咲く街だった。








Amour non partag = 片思い(仏)

あれ、フレンまで入り切らなかった…
次回に続く(すみません)



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