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「はぁ‥‥‥そうですか」
気の抜けた返事、少し不服そうな表情。
とても初めての大役をこなす風には見えない。
そんな私を宥める様に、マネージャーは肩を叩いた。
「恋ちゃん、大丈夫だって。リハも万全だからさ〜。君にしか出せない柔らかさと可愛い笑顔でフォローもバッチリ!」
「余計にプレッシャー与えてない?」
「あはは‥‥‥あ、ごめん!事務所から電話だ!後で愚痴なら聞くからね!」
携帯を片手に慌ただしく走って行く、一見頼りない男の背を見送って、再び溜め息を吐く。
10代半ばにアイドルユニットで華々しくデビューしたけれど。
20歳の誕生日少し前、女優として転身する事を決めた。
いつまでもチヤホヤされるなんて思っていない。
自ら見切りを付け「卒業」したのは賭けに近いけど、後悔はしていない。
‥‥‥けれど。
「役者仕事じゃないって言うのが不安だよね」
世の中甘くなんてない。
芸能界なんて特に、何があるか分からない。
まさか、女優転身して三年目の仕事に、「製菓番組の助手兼進行役」が舞い込むなんて思ってもみなかった。
所謂、主婦のゴールデンタイムと言われている昼間からも、大きくずれた時間帯の、小さな番組。
正直な話、レギュラーを持てたのは有り難い。
いつ打ち切られるやら分からないが。
それでもこうしてスタジオの隅に座り、セットが組み上がるのを見ていると、不意に感動を覚えた。
‥‥‥そう。仕事に不服はない。
問題なのは、当の「先生」とやらが‥‥‥
「無名の新人で、パティシエでもない若い男、ねぇ」
自分と同じ年らしい。
いくら視聴率の取れない時間帯だからと言っても、そんな人物をよく起用したものだ。
ベテランじゃないって言う事が、やはり不安材料。
パラ、と台本を捲り、何度も見て覚えた名前を呟いた。
「流山、詩紋ね」
「はい」
「‥‥‥え?」
まさか返事が来るとは思っていなかった。
びっくりして振り返れば、最初に眼に付いたのは
‥‥‥太陽。
「あ、と‥‥‥流山さん?」
「はい。初めまして、流山詩紋です」
癖のある髪が、閉鎖されたスタジオにあっても陽の光を思わせた。
その下の青いふたつの眼が、優しい空みたい。
「挨拶をしたくて楽屋を訪ねたら、スタジオだと伺ったんです」
ふわり、笑う。
柔和な印象から、昔はきっと女の子と間違えられたのだろうと窺える。
けれど、無駄のない輪郭やくっきりと浮き出た鎖骨の綺麗なライン。
スッキリした肩幅は、どう見ても男のもの。
「すみません。本番の空気を掴みたくて、さっさとここに来ちゃって。私から挨拶に伺えば良かったんですけど」
「いえ、とんでもない!流石だって感心していたんです」
プロですね、と彼が真面目に呟くから何だか笑えた。
こんな事でプロだと言われても正直困る。
「僕‥‥たまたま働いていたカフェで声を掛けられて、気が付いたらここにいるんです」
困った様に笑う流山さんを見て、
彼をスカウトした人物の眼は確かだと、思った。
綺麗な顔に、ホッとさせてくれる笑み。
初仕事を控え知らず緊張していた私の肩も軽くなるような、癒される雰囲気に。
「‥‥‥あ、いけない。私まだ名前も 「知っています、桜井恋さん」
自分はまだ名乗っていない事に気付き慌てた。
これから先生と助手として共同体になるというのに。
立ち上がろうとして。
けれど途中で遮られた、強い語気。
「‥‥‥貴女のこと、いつも見ていました」
ただ私は芸能界にいて長いから、彼は見知っていると言っただけな筈。
ファンということはないだろう。でも、知っていると。
そんな意味で言った、筈。
なのに、切なく響いたのは‥‥‥何故?
詩紋とはこの日、出逢った。
とくん、と小さく跳ねる鼓動を伴いながら。
Age 22
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