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社長が用意してくれた部屋はスィートルームではないけれど、充分過ぎるほど広い。
柔らかなルームライトにマボガニー調の家具が光沢を放っている。
クローゼットには紙袋に入った着替えや下着が用意されていたのを、さっき確認した。

ローテーブルには、事務所から思わず持って帰った雑誌の他に、小説やファッション誌が並べられていた。
恐らく、あらかじめ事務所の誰かが用意してくれたんだろう。

私が退屈しないように‥‥もしくは、少しでも気が紛れるように。

そう感じれば、胸の一部が暖かくなった。




「‥‥ありがとう」


信じる、と言い切った私を詩紋くんはじっと見下ろした後、そう小さく呟いた。
それからぽつりと口を開く。


「ねぇ恋。記事を見たとき、最初に何を思った?」

「何って‥‥」


脳裏に浮かぶ、社長の厳しい眼差し。

ずっと恐れていた。
こんな形で、詩紋くんと私の名前がいつか並ぶ日が来ることを。
こんな風に、詩紋くんとの絆を世間に晒されてしまうことを。


だから、それを目の当たりにして、私は‥‥‥。


「昔の事を思い出した?」

「‥‥うん」


静かな問いかけに、頷かざるを得なかった。
言うまでもなく詩紋くんは気付いてる。
いつまでも心の奥底で燻っている、傷を。


「怖かった?」

「‥うん」

「そうだよね。僕も怖い」


天気の話題でもするようにあまりにもさらっと言うものだから、一瞬言葉の意味を掴み損ねた。

隣を見上げれば、こちらを見下ろす詩紋くんの顔から感情が窺えない。


たった今、怖いと言ったこの人が。
どうして自ら二人の関係を暴露したのか。

分からないと問いかけようとしたとき、ふと、ひらめく。


「‥もしかして詩紋くん、バレる前にバラしちゃえ、と思ったとか?」

「え?‥‥‥‥‥ぶっ」

「ええっ!?違う?」


きょとん、とした後、思い切り笑い出した詩紋くんに慌てる。


「あはは、恋は面白いね」

「‥面白いって失礼な。違うの?」

「違わないけど違うよ」

「あのねえ‥‥詩紋くんの考えてること、さっぱり分からないよ」


笑いながらあっさりと否定する詩紋くんが恨めしい。

若干拗ねながらじろりと睨んで見せるも、笑いすぎて涙を手の甲で拭き取る彼の仕草に少し見惚れてしまった。

いつの間にか部屋を占めていた、重く苦しい空気はすっかり消えている。

そんな中、荒い息を整えながら詩紋くんが口を開いた。


「バレる前に自分から、と言うよりも、これは僕の我が儘なんだ」

「わがまま?詩紋くんの?」

「そう。恋が恐れているのは、昔の事があったからだよね?」

「確かに‥‥。でもそれは、ほんの一部だよ」

「一部でも、嫌だったんだ。恋が僕以外の人を思い出すのが」

「‥‥それって‥‥」


過去に、嫉妬してた?


「情けないよね」

「そ‥‥そんなことない!」


また自嘲めいた笑みを浮かべた。

‥‥‥ずっと。

詩紋くんは何も言わなかったけど。
昔の彼を忘れられていないのかと、気を揉んでくれていたのか。

だとしたら、嬉しい。

古傷は、今でも私を臆病にさせる。

もしあの時にスキャンダルも何もなければ、違う道を歩んでいたのかもと何度も考えた。
あのまま何もなければ、過去の彼は私を選んでいたかもしれないと。
前を向くと決めた私に何度も悪夢を見させた。


だけど、今は違う。


この道でよかったと思う。心から。




「公表させて欲しいって、社長と松本さんを説得したのは僕。タイミングが早いって言われたけど、反対はされなかったよ」

「‥‥‥?」

「考えてみて?確かに君にも僕にもスキャンダルはマイナスかもしれない。けど、僕が最初に共演したのは君だよ」

「‥‥あのときも噂になったっけ」

「うん。僕は嬉しかったんだよ」


インタビューを受けたときに、詩紋くんとの事も何度か聞かれた。

お似合いだとか微笑ましいとか言われたりして、当時は恋愛の対象として見ていなかっただけに戸惑っていたけれど。


うちの事務所側も、相手が詩紋くんだからか黙認していた。



「社長曰く、あの時にはもう予感してたんだって」



僕達がこうなることを。


詩紋くんがお日様の笑顔で告げた。




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