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『今日のゲストは俳優の流山詩紋さんです』
「───え‥‥っ?」
いつの間にかうとうとしていたらしい。
突然聞こえた名前に驚いて顔を上げれば、楽屋の隅に置かれたテレビに映る笑顔。
『こんにちは』って画面越しの挨拶をぼんやりと眺めていると、テレビの前に立つスーツ姿が振り返った。
「おはよう。時間だよ」
「‥‥‥何だ、松本さんか」
「あー、酷いな。誰と間違えたんだろうね、この子は」
「え?‥‥‥違うって。折角いい夢見てたのに、って思ったんだよ」
苦笑しながら立ち上がって思い切り伸びをする。
テレビを目覚まし代わりに利用した松本さんは「じゃぁ池山ちゃん呼んでくるよ」とへらりと笑いながら外に出た。
「‥‥重症なのかも」
一瞬、彼が起こしてくれたのかと思った私。
起こしてくれたのが彼だったら、なんて思うなんて。
まだ今日の撮影は終わってない。
今までなら余計なことを考えずに仕事に没頭出来たのにね。
視線は、画面から離れない。
テレビと私はこんなに近く、手を伸ばせば届く距離。
でも実際は、物理的にも現実的にも遠い距離で笑う恋人の姿を、私は見ているんだ。
彼の眼は私を見ているんじゃない。
今、彼を見ているのは私だけじゃない。
スタジオには女の人が沢山いて、ファンの子も沢山いて、ほら今だって彼が喋るたびに黄色い声が上がってる。
女の子なら誰でもときめく笑顔だと思うのは、きっと私の欲目なんかじゃない。
‥‥‥なんて、馬鹿なことを勝手に思ってしまう自分に苛ついた時、楽屋のドアがノックされる。
「恋、ちゃちゃっと直すからそこ座ってねー」
「はーい!お願いします‥‥‥あ、ラベンダー?」
池山さんがメイクボックスを開けると、濃い花の香りががふんわりと部屋に流れた。
それはさっきから部屋中に充満している優しい匂いと一緒。
そして、カウンターの上に置かれた、眠る前までは確実になかった袋。
「そうよー。リラックス効果があるからね」
「‥‥ありがとう」
「いいえ、よく眠れた?」
「うん、スッキリした」
優しい心遣いが嬉しくて、真実とは反対の返事をしながら。
胸は、痛んだ。
「もう秋かぁ‥‥」
「だね。ここの所忙しくて、季節も忘れるよ」
ハンドルを握る松本さんに頷いて、窓の外を見る。
色が変わり始めた街路樹の葉。
ショップには暖色系のワンピースが並んでいる。
もう、秋になるのか。
「ところで最近、会ってるのかい?」
「え?」
「流山くん」
「──っ!?」
どうして。
私、一言も口にしてないのに。
彼の事、一言も。
「ほら、女優だったらとぼける演技くらいしなきゃダメだろ?」
「‥‥だ、って‥‥‥何で」
言ったことないのに。
「あのなぁ、何年君のマネやってると思うんだ。恋は妹みたいなもんだからね」
「松本さんっ‥‥」
「なーんてね。ホントは詩紋くんに挨拶されたから知ったんだけどさ」
「は?」
ホロっと来たのは束の間。
続く言葉に眼を真ん丸に見開いた。
松本さんは堪え切れないというようにクスクス笑う。
「僕は本気です、桜井さんが傷付かない様全力で守ります。ってさ」
「‥‥‥」
「だから僕の居ない所で泣いてたら教えて欲しい、だって。若いっていいねぇ」
僕の、居ない所で、泣いてたら‥‥‥
馬鹿、詩紋くんってば何を言ってるの。
「‥‥‥‥‥反対、しないの?」
「反対?」
「だって、私は‥っ」
じわり、涙が滲んでいた。
膝の上で握り締めた拳が震え出す。
詩紋くんとの恋愛は綱渡り。
知られない様に、密やかに紡いでいかなきゃいけないんだ。
ずっと傍に居たかったら。
ずっとずっと、恋人で居たいから。
バレてしまったら、きっともう‥‥‥。
「まだマスコミが怖いかい?」
「‥‥っ、わた、しは‥‥」
ぎゅっと握った拳に、ぱたりと雫が落ちた。
泣きながら、FMで人気ロックバンドのバラードが流れているのに気付く。
「うわー、タイミング悪いな」
松本さんが嘯きながら、FMのスイッチを切った。
それ以降二人とも何も言わず、マンションに着くまでの車内は静寂に包まれる。
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